さて、新婚夫婦のおごりで食べるディナーは、シェラトンホテルの最上階レストラン「ハノハノ・ルーム」のコンチネンタル料理である。
そのレストランからは、海に突き出た美しいダイヤモンドヘッドを眺めることができる。
しかし私たちが案内されたのは、
ダイヤモンドヘッドと反対側の窓際のテーブルだった。
内心「ケチ」と思ったが、そのテーブルで正解だったと後で気付いた。
ダイヤモンドヘッドが見える席は海に面しているため、
夕日が沈むと何も見えなくなってしまう。
一方、私たちが座ったテーブルは市内に向いており、あたりが暗くなると、
ビルやホテルのにぎやかな照明が目を楽しませてくれるのだ。

レストランには生バンドが入っていて、ディナーが終盤に近づくと
ウェディングソングを演奏してくれた。
シンガーの女性が姉夫婦のために、「結婚おめでと〜」と
ウェディングソングを歌ってくれた。
周りから促されて父が姉とダンスを踊り始めると、家庭内カメラマンたちが
一斉にシャッターを切った。
父も姉もうれしそうである。
そのうち、姉の夫も真ん中に引き出され、結局、
父、姉、姉の夫、その弟さん1号の長男・Y君(6歳)が輪になって踊っていた。

さて、その輪の中で一際うれしそうにハッスルしていたのが、Y君(6歳)である。
彼は、私たちとは違う理由で、うっとりした表情でディナーを楽しんでいた。

姉の夫の弟さん1号夫婦は、ユニークな方針で子供を育てている。
それは、「子供には肉・砂糖・乳脂肪は与えない」というものだ。
Y君は、落語の「まんじゅうは毒」をさりげなく暗誦するお子様なのだ。
彼は普段、「お菓子」を一切口にしない。
目の前で他人がお菓子を食べていようとも、お菓子は大人が食べるものと割り切り、
駄々をこねるでもなく、おとな〜しくその様子を見ているのである。
早い話、お菓子は酒やたばこと同列に扱われているわけだ。
Y君の両親は学者夫婦で、海外生活も長くて英語がペラペラである。
レストランに入ると必ず、ウェイターさんやウェイトレスさんに
食材は何を使っているかを尋ねて、Y君が食べるものを注文する。

今回の旅行は、そんな彼が「生クリームのケーキ」や
「生クリームが入っているスープ」を食すことのできる数少ないチャンスだった。
Y君の両親が「Y、今回はお祝いだから、特別なんだよ〜」とやさしく語りかけると、
Y君は目をキラキラ輝かせて、うっとりした表情でうなずいていた。

ハノハノ・ルームで彼が口にした禁断の料理は、生クリームが入っているスープ。
Y君の席は私の席から離れていたので途中経過が
どんなものだったかは見てないが、気付くと、
Y君はスープがなくなっても皿をなめんばかりの勢いで食べていた。 笑)

子供とは、かわいいものである

実は彼、1日目のTavora・Tavora(↓ 20日の日記をご参照ください)では、
せっかくのチャンスをふいにしていた。
その日のディナーは夜の7時半に始まった。
ティラミスをはじめとするケーキ類がテーブルに上ったのは、9時半を過ぎたあたり。
つまり、日本時間では午前2時半すぎのことだった。
彼はデザートを待ちきれずに眠ってしまい、気付いたら
帰りのタクシーの中だった。(涙)
われわれは2台のタクシーに分乗して帰ったので、私は現場を見ていないのだが、
タクシーの中で後悔の念にうちひしがれていた彼を、
父親は「Y〜、世の中、そんなこともあるさ〜」(のん気な父さん風)
となぐさめていたらしい。

そんなわけで、彼は前夜の過ちを繰り返さんとばかりに、
時差ボケに負けじと大ハッスルして、ダンスまで踊ってしまった(と思われる 笑)。

次回はいよいよ、ドキドキの結婚式編。
UV エクスペール 50 XL 30ml

ワイハ日記のお休みを利用して、商品の紹介をさせていただくわ。

あたくし、肌は人一倍強いと自負しておりますわ。
えぇ、何を塗っても大丈夫、たわしでこすっても大丈夫な強くて頑丈な肌を持っておりますの。
えぇ、どうも、ありがとう。

ところが、実は人には言えない悩みがありますの。
それは、日焼けアレルギー

えぇ、分かっているわ。
天照大神が日焼けアレルギーだなんて、おかしいってことは重々承知よ。

でも、あたくし、ちょっと、白いんですの。
誰? 白ブタってつぶやいた方。
失礼よ。ぷんぷん

子供のころからの悩みは、集団写真を撮ると
1人だけハレーションを起こしてしまうこと。
私の顔面に一筋(で済めばいいけど)の光が走ってしまうの。
それはまるで、それはまるで……、心霊写真のようだったわ。

いいえ、でも、子供のころは、人並みに日焼けをしたのよ。

でも、今はもうだめ。

日焼け止めを選ぶまでになってしまったわ。
もう、何を塗っても効果がなくて、真っ赤に腫れて半ば水ぶくれになっていた私を救ってくれたのが、これだったの。
わたくし、これなくしては生きていけませんわ。

えぇ、えぇ、顔だけでなく、体にも使えますのよ。
え? お値段が張るのでは?
おっしゃる通りよ。
でも、背に腹はかえられないわ。
どなたか、外地にいらっしゃるときは必ずおっしゃって。 お願いよ。
商用サイトが宣伝目的でトラックバックしてきた場合は、容赦なく削除します。あしからず。

さて、2日目。
楽しいブランチ(↓ 23日の記事をご参照ください)の後は、ネイルサロン。

メンバーは、母、姉1号、姉1号の夫のお母様、私の4人である。
行った先は「ネイルサロン・ココ」。
http://www.aloha-street.com/est/?est_id=6486
オーナーのココさんは、さまざまなコンテストで優勝しているというネイリストだ。

ここもやはり、姉1号の夫の弟2号の紹介。
彼はサーフィンをするのだが、以前ハワイでサーフィンをしていたときに、
足の爪がボードにあたり、ぱっかり割れてしまったそうだ。
そこで、このサロンで修復してもらったところ、非常に調子が良かったと
もう大絶賛である。
ちなみに「ワイハー(20日の日記)」で書いたとおり、彼はD通にお勤めで、
その妻は○ALにお勤めのCA(キャビンアテンダント)。
最強のアベックなので、こうした情報には事欠かない。

さて、時間割りはこうなった。

[先発] 姉・姉1号の夫のお母様
     手足のパック・マッサージおよびマニキュア・ペディキュア

[後発] 母・天照大神
     母     ー手のパック・マッサージおよびマニキュア
     天照大神ー足のパック・マッサージおよびペディキュア

1時間の時間差で、お願いすることになった。
その間、母と私には自由時間が与えられたのだが、
私には歩きまわれない事情があった。
ペディキュアを塗ってもらう関係で、ホテルからサロンまでは
サンダルで歩いてきたのだが、そのサンダル底が木だったのだ。

……はっきり言って、歩くと指の間が切れそうだった。

というわけで、サロンの中でワイハ関係の旅行雑誌を見ながら
時間をつぶすことにした。

私「……」(もじもじ)

私「……」(もじもじ)

私「ねぇ、時間があれば、私も手をやってもらおうかなぁ〜。 
  時間大丈夫だよねぇ〜」

母「あら、いいんじゃない? お母さんも足をやってもらっちゃおうかな」

母・私「すみませ〜ん」

というわけで、私たち親娘は追加オーダーをしたのである。
しかし、これが後でとんでもないことに……。

先発隊の姉と、姉の夫のお母様の両手・両足の爪が変身を遂げたとき、
母と私はマッサージを受けてる最中で、椅子に座ったまま
両手・両足を前に突き出すという非常に間の抜けた格好をしていた。
足には、これからペディキュアをしてもらうってんで、サロン内だけで履く、
紙のようにペラペラなプラスチックサンダルがつっかけられた状態だった。

姉      「じゃ、お母様と私は先に行ってるわねぇ〜。 ディナーの待ち合わせは、
        6時半にホテルのロビーだから遅れないでねぇ〜」

私      「了解〜。
        ……あ。 (サロンスタッフの方に向いて)間に合いますよねぇ
        〜?」

サロンスタッフ「大丈夫だと思いますよ〜」

姉      「じゃ、お母様と私は先に行ってるわ〜。 また後で〜」

              しかし、現実には、

           微妙に大丈夫じゃなかった……汗

マニキュアを塗ってもらい、これからペディキュアに入ろうってときに、
ふと時計に目をやった母と私は、一瞬目を見合わせた。
マニキュアを塗ってもらった時間を参考にして計算すると、
ペディキュアを塗ってもらい終わった時点でちょうど6時半になりそうな、
そんな予感がチラリズムだったのだ。

私      「あの〜、私たちロイヤルハワイアンに泊まってるんですけどぉ、
        急いで帰るには、走って帰るのとタクシーで帰るのとでは
        どっちが早いでしょ〜か?」

ココさん   「あ〜、びみょ〜ですねぇ〜。
        ハワイって結構、一方通行が多いんですよ〜。
        走れるなら、走った方が早いかも……。
        でも〜(と足に視線を走らすと)、タクシー、呼びましょうか?」

母      「だ、大丈夫です。タクシーなくても帰れます〜(とやせ我慢)」

私      「(え〜〜〜〜!!!) ←声にならない絶叫
        あ、すみません。 え〜と、ペディキュアなんですけど、
        ケアだけしてもらって、色は今回はキャンセルってできますか
        〜?」

サロンスタッフ 「大丈夫ですよ。では、ベースコートとトップコートだけ塗りますねぇ〜。
       すぐ乾きますから〜」

母・私   「それでお願いしま〜す」

そんなわけで、サロンからホテルまで、走って帰ることになった。
その道のりは徒歩で10〜15分ほど。
途中土産物屋通り(いわゆるバザールってやつですか?)の真ん中をつっきり、
ワイキキで一番観光客が溢れかえっている道路をつっきり、
そのまた先のハワイアンショッピングセンターをつっきると、
そこにわれわれが宿泊していたロイヤル・ハワイアン(通称ピンクパレス)がある。

いざ、走って帰ろうってときに、重大なことに気付いてしまった。

    サンダルの底は……木……である。
    既にホテルからサロンに行く道で,
    そのサンダルには
    「ひぃ〜、ひぃ〜」言わされた。

私「……あ、あのぉ〜。 この、今私が履いてるペラペラのサンダル、
  もらってもいいですか?(必死)」

そのサンダルは、どう見ても紙マスクくらい消耗品です。
そのサンダルで石ころをふんづけたら、どう考えても足から血が出ます。
そのサンダルで道路を走ったら、どう考えても痛いです。
クッションもへったくれもないです。

サロンスタッフ「……い、いいですけど。 …タクシー、呼びましょうか」

とそこで母が前に出て、

「いえ、待ってる時間はないので、ここで失礼します〜。
 ありがとうございました〜。 ホラ、天照、行くわよ」

私「(鬼〜〜〜!!)←と心の叫び」

母と私は全速力で駆け出した。
いかにもペラペラなプラスチックサンダルを履いて、
どっからから逃げ出してきたかのような格好で、    ← 足元が。
観光客がブランド品やハワイアンキルトのショッパーをぶら下げて歩いている
その脇を全速力で駆けたのである。

……足の裏は…痛かった。 (涙)

そんなわけで、待ち合わせの時間に軽く7分遅刻したわれわれを
みんなはいたわってくれた。

あ、マニキュアは非常にきれいに出来上がったことをここに記しておこう。
私は肌になじむゴールドを塗ってもらい、
小指だけにお花(プチ・ラインストーン1個乗せ)を描いてもらった。

ちなみに母と私がいない間、父が何をしていたかというと

父「え? 散歩。 
  向こうの通りをまっすぐ行くと日本料理屋と居酒屋がたくさんあったぞ」
と骨の髄まで日本のサラリーマンチックな父であった。

ワイハ〜2

2004年1月23日 旅行
何事もなく無事に1日目を終えた天照一家。
2日目のスケジュールは、(午後)ネイルサロン→ディナー
以外何も決まっていなかった。

遅くに起床し、親子3人でホテルの近くを散策した。
伝説のサーファー「デューク」の像を横目に見ながら、ワイキキの
お買い物ロードをブラブラと歩く……訳もなく、
当然ながら母と私は通りに居並ぶショップに出たり入ったりと、
完全なる買い物モードに入っていた。
父は……終始退屈そうだったが。

旅行中、何度も何度も下のような会話がなされたことは
この際おいておこう。 (^^A)

母「もう、お父さんったら〜。
  せっかくの旅行なんだから楽しみましょうよ〜」

父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情

母「買い物はイヤなの? じゃあ〜、お父さん、ハワイで何したいのよ〜」

父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情

母「もうっ (ぷい)」

その日は、ワイキキ通り沿いにある中華料理店でブランチを取ることにした。
ぺらぺらの紙チラシを持って呼び込みをやっていた中国系のおやぢに
つかまったのだが、「まぁ、こんな紙チラシを配ってるくらいだから安いだろう。
ランチだし」という計算があったわけだ。

ビルの地下にあるその店の壁には、有名人のサイン入り写真が
ベタベタ貼ってあった。
ハリウッドスターやアジアの映画スターが中心だったが、ちょっと毛色が変わったとろこで、
ビル&ヒラリー・クリントン夫婦なんてのもあった。
その店は……壁がゴージャスなだけに値段もゴージャスだった。 (汗

料理の味は……かなり微妙。
いや、まずくはない、けっしてまずくはなかったけれど、
「この味にその値段はないだろ〜、ふつ〜」と思ってしまった。
ちょっと香港で暮らしたことのある人間としてはネ、許せないものがあったのネ。
日本と比較しても、かなり、いや、相当マズい気がする。

実は私、ジャスミン茶が大大大っ嫌いである。
以前北京を旅行したときに、どの店に入ってもふつ〜にジャスミン茶が
出てくるので、この街では生活できないと思ってしまった。
何が嫌いって、あの匂いがだめ。
自分は頼んでいなくても、同じテーブルで誰かがジャスミン茶を頼むと
ぷ〜んとあのかほりがしてきて泣きたくなる。
あれだけ匂いが強ければ、ふつ〜食事には出さないだろ〜と
思っちゃうが、北京の方々はそうは考えないらしい。
(と勝手に店のオーナーは北京から来たに違いないと決め付ける)

メニューに載っていた中国茶は、ジャスミン茶だけだった。
店の人に「別のお茶はないか」と尋ねたところ、鉄観音茶があるというので
それをオーダーした。
が、が、が、これがあとでとんでもない事態に……。

食事が終わって、会計伝票をチェックし始めたのだが、
それがどうにもこうにも読みにくくて、「総計」にいたるまでの
過程がまったくもってよく分からない。
やたらに「+××ドル」だの「−××ドル」という表記があって、
しかもその数が尋常じゃなかった。
ウェイトレスさんを呼んで聞いてみると、どうやら最初にレジを打ち間違えて
余計な分をつけたらしい。それを後になって引いたり、
また間違えて足したり引いたりしているうちに
訳の分からない伝票になってしまったらしい。
(ふつ〜はそこまで訳が分かんなくなったら、打ち直すと思うが……)
一応メニューでチェックしたところ、総計は合っているようだったので、
その額を支払うことにしたのだが……

鉄観音の欄を見ると、ナ、ナント15.5ドル × 3(人前) となっていた。

            ………   むっ

確かに値段を確認したときに、ウェイトレスさんは「15.5ドル」と言っていた。
それは確かだ。
しかし、彼女は「per person」とは言わずに、ただ「15.5ドル」と言ったのだ。
それじゃあ、3人で15.5ドルだって思っちゃうじゃ〜ん。 T0T

ということは、つまり、1人分の茶葉の値段は15.5ドル。

15.5ドル……1ドル108円で計算すると

 ……お1人さま 1674円なり チーーーーン  (ノ-_-)ノ ~┻━┻

われわれが、会計を済ませた後もテーブルにへばりつき、
ポットにおかわりのお湯を何度も要求したことは言うまでもない。
ちなみにその茶葉、「特級鉄観音」を謳っていたわりには
味も香りもいまいちだった……。

いや、ふつ〜の店だったのよ、ふつ〜の。(多分)
ただもう少しネ、味と値段のバランスがよければ、
ここまでボロクソには言わないんだけど……ネ。
というわけで、店の名誉のために、名前は伏せときます。

と、ここまではある意味店の対応に熱くなった話だが、
われわれにはほかにも熱くなる理由があった。

前日の夜の取り決めでは、食事代は父の財布から出すことになっていた。
伝票計算の騒ぎが一段落して、ウェトレスさんが持ち場に戻っていった後、
残された伝票を前にして(われわれはまだテーブルにいばした)、
父がおもむろにベルトを緩めた。

母「(お、お父さん、何してるのぉぉぉぉぉぉ?!?!?!?)←声にならない絶叫」

父「え? オレ、財布なんか持ち歩いてないもん。 お前が
  危ないからパスポートとお金は腹の中にしまえって言ったんじゃないか」

私「(ええええ〜!! 今時……)←声にならない絶叫」

つまり、こういうことである。
そこでの食事代金は思いのほか高かった。
多少の小銭ならばすぐ出せるが、余分なお金は腹の中。
なればそこから出すしかないだろう……。
あとで聞いたところ、父にはクレジットカードという選択肢はなかったらしい……。
ははは。

私が知る限り、父が海外旅行に出たのはこれで3度目である。
(母はなんだかんだいって、1年に1度は海外旅行をしているが)
父は若い時分には仕事で海外に行くこともあったようだが、
そんなときでさえクレジットカードを使う必要がなかったのだとか。
そんなわけで心配した母が超ウルトラ古典的なトラベルグッズ、
腹巻ベルトを父に渡したのだ。

ちなみに我が家は、「いつもニコニコ現金払い」をモットーとしている。
(しかし……海外に出てまで……)

とまぁ、こんなわけで午後の楽しいネイルサロンの話はまた明日。

ワイハ〜

2004年1月20日 旅行
いまだかつてないことだが、往路の飛行機の中では爆睡した。
それだけ、前の週のバイトがキツかったのだ。
と言いたいところだけど、
真相は、お腹いっぱい食べ過ぎて動くこともままならず、
「こりゃ〜、寝るしかないな」と脳みそが判断したからに違いない。
目覚めると、もう陸地が見えていた。

さて、空港に降り立って最初にすることは?
そう、入国である。
気を引き締めて行くぞ〜。
なにしろ、相手はアメリカの入国係官だ〜。
とIRAがドンパチやってた時代のヒースロー空港並みに
厳しい入国審査が待っていると気を引き締めたのだが、
どうも列に並んでる人たちの緊張感が違う。

陽気なハワイアン音楽と波の音に乗って「ようこそ、ハワイへ〜」という声が聞こえたので
振り返ると、ナ、ナント、そこかしこにモニターが設置されており、
そこからハワイの魅力を伝える映像がタレ流されているではあ〜りませんか。
しか〜も、思いっきり全部日本語。(笑)

父・母・私で固まって入国審査の列に並んでいたのだが、
入国係官は父の順番がきた時点で母を呼び、そして私までもを呼んだ。
どうやら3人まとめて入国スタンプを押してしまおうというハラらしい。
……って、そんなアバウトでいいのか??

係官「オォォ〜、ウェディング ネェ〜。
    私モ ウェディング、日本デ 旅行シマシタネ〜。

   (父と母に向かって)オォォ〜、ムス〜メさん、キレイネ〜」

と、ここで母が余計な一言を。

母  「ノーノー、この子じゃないのね」

係官「オォォ〜、アナタ 違ウネ〜」

私  「(ガク)」

思いっきりベタな会話が進行し、滞りなく入国手続きが終了。
私たちはarrivalゲートを抜けて、とりあえず某旅行会社のカウンターに向かった。
そこで、別の係官の窓口で入国した姉たちと合流した。

さて、今回の旅はパックツアーである。
私にとってパックツアーでの旅行なんて、××年ぶりのことである。
この先ど〜したらいいか分からずにぼ〜っとしていると、旅行会社の人がやってきて
私たちを空港の屋上に案内した。
待っていたのは、

(ジャジャーン) ビキニにレイ姿のおねーちゃんたちである。

「ウェルカム、ウェルカム」と言いながら、おねーちゃんたちは私たちにレイを配ると、
一列に並ぶように促した。

こ、これは……まさか…。
そう、そのまさかである。

ニカッと笑って写真におさまると、私たちはようやく解放された。
……かに思えたが、そうは問屋がおろさなかった。

私たちは旅行会社のバスに乗り込むと、そのままガーーーーッとホノルル内の
デカいデューティーフリーショップ(DFS)に連れて行かれた。
そこの2階には某旅行会社専用の部屋があり、
われわれツアー参加者はそこで、泊まるホテルやホノルル市内の足、
オプショナルツアーに関する説明を受けるのだ。
ちゃっかり「義理みやげ」の説明付きである。
説明を担当したのは大阪出身のおばちゃんだった。

おばちゃん「みなさん、今回の旅行はご近所さんもご存知ですよねぇ〜。
      あら、ハワイ行くん? ほなきぃ付けて。土産はいらんで〜。
      そ〜は言っても、マカデミアナッツくらい買うてきてくれんのやろな〜
      と思うのが人情です。
      そこで、みなさんにお配りしたいのが、義理土産注文書。
      ここで一括して申し込んでおきますと、義理土産の受け取りは
      帰りの飛行機に乗る直前。楽チンです」
      (関西の方、私のソフト関西弁が間違ってたら、ごめんなさい)
      
ここでようやく、われわれは開放された。

われわれが泊まったホテルは、ロイヤル・ハワイアン。
シェラトンホテル・ワイキキに隣接する、ピンク色のニクイ建物である。
歴史を紐解いてみると、なんと今シェラトンが建っている場所は
その昔ロイヤル・ハワイアンの駐車場だった土地である。
世界各国の要人がハワイでの定宿としてロイヤルハワイアンを
利用したという。
壁の色は趣味の悪い倉敷市庁の建物と同じだが、
なかなかどうして、歴史ある格調高いホテルなのだ。
どうりで宿泊費が高いわけだ。(ボソ
(倉敷市民のみなさん、ごめんなさい。 ^^;)
ちなみに、地元では「ピンク・パレス」と呼ばれている、らしい。

さて、ここで結婚式までの簡単なスケジュールを紹介しておこう。

1日目、ホノルル入り 夜はレストラン「Tavora・Tavora」で食事。
2日目、午後はネイルアートのお店へ 夜は新婚夫婦のおごりで
    シェラトンの最上階レストランで食事。
3日目、結婚式 夜はロイヤル・ハワイアンのレストランで食事
なんと、前半の3日間は図らずも全員で夕食をとることになった。

1日目は、早朝にホノルル入りしたものの、部屋が出来上がったのが2時過ぎだったので、
ホテルのオープンカフェで海を見ながらゆったりまったり過ごした。

そしてディナータイムは、ホテルから車で5分ほどの場所にある
イタリアンレストラン「Tavora・Tavora」へ。
聞くところによると、そこはかなり有名なレストランで、
一見さんお断りなのだそうだ。
最初、「おおおっ〜、それはすごい」と思ってその話をありがたく拝聴していたのだが、
「石田純一が2ヶ月に1回通ってくるらしい」という話を聞いたところで
「はぁ〜…そうですかぁ〜」と一気に気が抜けてしまった。
石田純一かぁ……。 なんか、もうちょっとこ〜……まぁ、いいや。(笑
「私、絶対に生石田純一を見たいわ」という方がいらっしゃいましたら、
一見さんお断りと言いつつも、ホテルのコンシェルジュを通せば予約入れられそうな
雰囲気だったので、トライしてみてはいかがでしょうか。(保証はいたしませんが)

で、なんでそんな一見さんお断りのレストランで食事をすることになったかというと、
実は姉の夫の弟2号の紹介なのである。
姉の夫の弟2号はD通にお勤めで(伏字になってないが 笑)、
エンターティンメント関係の色々なネタを持っている。
彼が予約を取るということで、われわれもそこに便乗したわけだ。
姉の夫の父親の計らいで、行きはホテルからリムジンで乗りつけることに。
おまけに、ふたを開けてみたら、うちの姉がオーナーの知り合いだったっつぅ〜ことで、
デザートは食べ放題だは、ワインは飲み放題だは(とはいっても、ワインは有料)で、
最後には「もう一口たりとも食べられません」というくらいイタリア料理を堪能した。

こんな感じで1日目は何事もなく終了。

しか〜し、2日目には初めての「家族で海外旅行」のボロが
ボロボロ出てくることに……。
日記と掲示板を作っちゃった。

え? こっちの更新はどうなってんのよ?
   こっちの更新が滞ってるのに?

え〜と、こっちは私の日常について
    あちらはサッカーなんかについて
並行して書きますんで問題はないかとぉぉ。

え?そういう問題じゃない?

は、はい。
……が、がんばって書きます。
そのうち、何気にこちらに一本化するかも。
ま、そうなったら、そうなったで。
ほっほっ。

天照大神の死語ってる場合 〜サッカーとか(弱)編
http://enjoy.atnifty.com/pc/amaterasu/
天照大神の死語ってる掲示板 〜サッカーとか(弱)編
http://enjoy.atnifty.com/keiji/main.php3?user=amaterasu
あっら〜、あっという間に10日以上も経ってしまった。
ここ数日間はるんぺんであることをいいことに、1日10時間以上も惰眠をむさぼり、
運動もせず、身を肥やしておりました。
そろそろ外出しないと、「女辞めますか?」どころか、「廃人始めますか?」の世界になってしまう。

というわけで、ぐぐぐぃっとさかのぼって、時は2003年12月15日。
おりしもホノルルマラソンが行われていたときに、われわれ天照一家は、ワイハ目指して成田を後にしたのであ〜る。

とその前に、
今回の旅行は、天照の姉(1号)の

「ワイハで結婚式を挙げたいぃぃぃ」

という一言で始まったものである。

しかし、本音を言えば、それはこういうことである。

 勤続××年の私が東京で挙式なんてやっちゃった日には、
 金がかかってかかってしょうがないわ。
 社内結婚だしぃ、2回目だしぃ〜。

私の本音は、

 え〜、東京でやってくれれば、せいぜいお祝い金だけで済むのに、
 なんでハワイなのよ〜。
 旅行代金のほかに、支度にも金がかかるし、お土産代も必要じゃないよ〜!!
 そもそも、その旅行代金は誰が払うと思ってんのよ〜。
 その上、結婚祝いまでよこせっての??
 私は今月無職なのよ〜!!!
 鬼〜、あほ〜、ばか〜、「旅行代金は私が払うわ」ぐらい言えないのか〜!!! 
 ×××!!! (以下 自粛)

というわけで、両親と私、姉1号(↑この姉)、姉1号の夫(11月に入籍済み)、
そして姉1号の夫の両親と、その弟1号家族、その弟2号は
成田を後にすることとなったのである。
 
ちなみに天照の姉2号(女王様)家族(ロイヤルファミリー)は今回、
日本でお留守番だった。
女王様は現在身ごもっており、この2月が予定日なのだ。
「機内で産気づいちゃったら困るわ」という天照母の一言で泣く泣くお留守番になった。
王様(姉2号の夫)だけでも、と一応お誘いしたのだが、
それを横で聞いていた女王様が
「ちょっと、私だけ置いてくつもり〜? キィィ〜(怒)」と難色を示したため、
ロイヤルファミリーにはわれわれの留守宅を守ってもらうことになった。

え? 家族構成が分かりにくい?
つまり、我が家は両親と娘3人。
長女は今回ワイハで結婚式。
次女(女王様)は身ごもっており、今回お留守番。
三女は私(天照大神)。

あちらは、両親と息子3人。
長男が今回ワイハで結婚式。
次男一家(妻・長男6歳・長女8ヵ月)は挙式に参列するためハワイへ。
三男は奥方が出産したばかりなので、単身参加。
ってな感じ。

さて、このワイハ旅行。
実は、出発までは何かと問題が多かった。
というのも、9月頭の時点で「11月末日は憧れの寿退社の日」と
小躍りしていた姉が、何の因果か10月頭から急に仕事が忙しくなり、
連日午前様状態に突入してしまったためだ。
結婚式も旅行の手配も全部相手任せになってしまい、
家族が旅行について何か尋ねても
「え? 分かんない。 後で聞いとくわ」を連発する有様で、なんとなくイヤ〜なムードが家族の間に流れた。
おまけに、今回手配してくれた旅行代理店の担当者はどうも新人さんだったらしく、
「ウェディングプラン」の無料サービス(でも、申し込みが必要)についてきちんと説明をしてくれていなかったことが旅行直前に判明。

私は「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩を見たい」という希望を持っていたのだが、そのオプショナルツアーを申し込もうにも、旅行のスケジュールが確定したのが旅行の2、3日前。
(10日くらい前に1度スケジュール表が送られてきたのだが、何か不備があったらしくて姉1号が回収していった)
結局、オプショナルツアーに関しては、自分が旅行会社に直接出向いて申し込みする羽目に。
わざわざ尋ねて行った旅行会社のカウンターで、オプショナルツアー「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩ウォークツアー」に参加したい旨を告げると、
旅行会社のおぢちゃんはサラッと、
「あ〜、キラウェア火山の溶岩ウォークツアーね〜。それ、つまらないですよ」
と言ってのけた。

私     「……は? (-_-#)」

おぢちゃん「それより、こっちのプラネタリウムツアーの方がお勧め。
      プラネタリウムはねぇ〜、ハワイで一番高い山に登ります。
      そこで観るんですよ〜、きれいですよ〜。
      寒いですけど、コートはツアーで貸し出してますから大丈夫。

      ほら、溶岩たって、ドロドロしてる溶岩じゃなくて固まってる
      溶岩の上しか歩けないし。
      ドロドロしてる溶岩は熱くて危険だし。
      ただ、黒い岩みたいなとこ歩いてもねぇ〜、つまんないでしょ〜」

私    「……」

     お、おぢさん、それがつまらないかどうかを判断するのは私なのよ。

                  わ・た・し。

      あんたにゃ〜関係ないだろ〜が(ノ-_-)ノ ~┻━┻)

      だいたい、つまらないってんなら、ど〜して
パンフレットに載せてんのよ?!?!
      それに、避寒地のハワイに行くのに、ど〜して
      コート着るような寒いところに行かなきゃいかんのよ〜?!?!
      星を見るために山に登るんだったら、プラネタリウムなんかに
      入らずに直接上を見上げりゃあいいじゃないよ〜!!!

と私が思ったのは言うまでもない。

そんなわけで、なんだかすっきりしない気持ちのまま
旅行会社の人の話を聞いたのだが、結局どのツアーに参加しても
早朝出発は避けられないことが分かったので、
「今回はツアーには参加しないことにしました」と言って
旅行会社を後にした。
(信じがたいが、大手旅行会社なんすよ、そこ)

すったもんだあったけど、ようやく出発日を迎えて、
意気揚々と成田へ出発した天照一家だったが、当然それだけで済むはずはなかった……。

成田での集合時間は午後7時過ぎだったが、余裕を持って6時には成田に入っていたため、
搭乗時間までめちゃくちゃ暇だった。
スケジュール表を見ると、6〜7時間のフライトで、現地に着くのは同日の朝9時。(日付変更線超えるからね)
そんでもって、機内食の表示は「朝食」となっていた。

私   「ということは、つまり、到着直前に食事が出るってことよね?
     だって、朝食だもん。 搭乗してすぐに食事が出るとすれば、
     “夕食”って書いてあるはずよね?」

天照母「そうでしょ。 そうよ。 そういうことだわね」

っつ〜ことで、成田のレストランでたらふくご飯を食べ、「も〜首までご飯がつまってるわっ」てなくらい満腹になったところで搭乗したところ、
離陸して1時間もしないうちに、キャビンアテンダント(CA)のおねーさんたちが食事を配り始めた。

私 「……(汗)」

CA「洋食と和食、どちらになさいますか?」

    そう、CAの人たちには罪はない。
    罪はないのだ〜(涙)。

CA「(ずいずぃ)どちらになさいますか?」

     あぁぁぁぁぁ〜、どうしてこんな腹いっぱいのところで
     「洋食」なんだ〜?!?!?!
     でも、でも、JALそばなんて、JALそばなんて食べたくない〜!!!

私「……よ、洋食でお願いしばす……(うううううう)」

私にとって、選択肢なんてものは存在しなかった。

                              −−−−つづく

あ……そんな

2004年1月3日
秘密メモまで全部書いた日記が消えた……。
しくしく……TT

というわけで、ものすごく直近の近況を。

関東近辺にお住まいのスギ花粉患者の皆様方、
あの〜、もう、飛んでますよね?
飛んでますよねぇぇぇぇぇ????

それともこれはただの風邪??
風邪なのぉぉぉぉぉ〜?!?!?!?(心の叫び)

というわけで、次回の天照大神の「死語ってる場合」は、ワイハ報告です。

あ、申し遅れました。
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたしま〜す。
熱が出ました。
日本は寒いよ。


ハワイも……思ったより涼しかった。
しくしく。

怒涛のような1週間

2003年12月14日
本格復帰を目の前に、ちょこっとバイトをしたのですが、
これが肉体的にえらいキツかった。
毎朝5時おきで(え? それって普通?)、連日立ちっぱなし、気を使いっぱなし。
たいした仕事はしていないけれど、異常に疲れました。

某国際会議の手伝いですが、この歳の人間にはツラいものが……笑。
無事に仕事を終え、1日で荷造りして、明日からワイハに行ってきます。
1週間程度で戻ります。

というわけで〜。
え? どこが怒涛のような1週間だったが分からなかったって?
うふ。それはまた別の機会に。
ではでは、1週間後に会いましょう。

そういえば、イタリア一イケメン度が高いクラブチームの帰国日と重なるので、
成田でいい男を愛でることができるとぬか喜びしましたが、
私はJALで第2空港ターミナル、あちらは(恐らく)アリタリアで第1空港ターミナルを使用するため、生で見れるなんて夢のまた夢だということが判明。
あ〜、(トヨタカップの)チケットは取れないし、イケメン軍団は試合に負けるし、イケメンを生で見れないし。
さんざんです〜。
ワイハで心を癒してきます。

眠い。

2003年11月30日
眠くて、まぢ、起きていられません。
どうして???
もう、もう間もなく本格復帰いたしばす〜。

先日スポーツクラブで血圧を測ってその数字を疑い、
その後に術後検診に立ち寄った病院でも血圧を測って機械の性能を疑ってしまった。

なんで毎日黒酢とか養命酒とか飲んでるのに、
90(上)に届かないの〜〜!?!?!?

まぁ、高血圧じゃないからいっか。
しかし、朝起きられん。
今は無職だからいいが、社会復帰できないじゃないか。
しくしく。

スポーツクラブに行くと、もっぱらヨガとサウナでお茶を濁してしまう。
でも、ヨガって結構汗かくんですよ、これが。

究極の選択

2003年11月4日
妹の不幸とは裏腹に、うちの姉は前述の通り、ワイハで結婚式を行いまふ。
旅行会社でウェディングパックを申し込むと、「新婚夫婦の家族も優遇しまっせ」というオマケが付きます。

その優遇とは、「お部屋の無料アップグレード」。
母などはまんざらでもない様子。
「あら、まぁ〜(喜)」

それはいいんですが、母は気を良くしたついでに爆弾発言をかましました。

「ねぇ、天照ちゃん
 あなたがトリプルでもいいって言うんなら、
 お母さん、あなたの旅行代金払ってもいいわよ。」

    (発言の真意)↓

親子3人で水入らず、トリプルの部屋に仲良く泊まりましょ。
1週間、面倒見てね。
当然あなたが通訳兼ツアーガイドよ。

「それに、あなたがほかのホテルに泊まっちゃったら、食事のたびに呼び出さなきゃならないから面倒でしょ」

    (発言の真意)↓

当然、お父さんとお母さんの面倒を1週間つきっきりで見てくれるのよね。
メニューの読み方も勉強してきてね。
ルームサービスを頼むときもあなたが頼りよ。
とにかく、なんでもかんでもあなたが手配してね。

====

姉は、「天照〜、私たち幸せになるから、ぜひとも結婚式に出てね〜」などと満面の笑みを浮かべながら結婚式への出席を促していたが、
費用は「自前で」と付け加えることも忘れなかった。

旅行パンフを見たが、新婚夫婦の年齢を考慮したのか見栄なのかよ〜わからんが、エラい高いホテルに宿泊することになっている。

冬といえば、ハワイの観光シーズンで、当然旅費は1年のうちでも高い方に設定されている。

しかも、私は今月から無職。

そのうえ姉は、「ところで、結婚祝いに何くれるの?」などと言う立派な××ップリ。

(おんどりゃ〜!!!)と叫びたくなるくらい、2度目の結婚だという自覚がない。

====

私は母に究極の選択を迫られたわけである。
その後何人かの友人をそれとなくワイハに誘ったが、
「ワイハー、いいねぇ〜」と言うので、何気に姉の結婚式があることを付け加えると
全員が全員、「いや〜、そうは言っても、年内に休みなんて取れないよ〜」と答える。
友人でも誘って、安いコテージに泊まるかぁ〜、友達がいれば両親もそうは連絡してこないだろ〜、うっしっしという私の狙いはことごとくつぶされてしまった。
まぁ、そりゃ〜、そうだよねぇ〜。

はぁぁぁぁぁぁぁ。

「やっぱり私たち、××歳だから、ゴージャスな結婚式を挙げたいのよねぇ〜」などと言う前に、
親兄弟しか招待していないんだから、招待客の旅費を負担するくらいの太っ腹具合を披露してくれてもいいんじゃないの?

さり気にプチ復活

2003年10月17日
どうして無職になることになったかという理由が何気に判明した今日このごろ。

ま、それは置いておいて、
今日と明日は姉の引越し準備です。
私の部屋には姉から預かったデカいたんすが2棹あるので、
それらを運び出さないといけません。

……人の箪笥だと思って、ごみの山にうずめてしまいました。
これから、掘り出し作業です、

ふは〜。
超大変。

というわけで

2003年10月3日
なぜか、11月から無職になってしまった……
いや〜、話せば長くなりますが、
ま、要は……
早い話……

ど〜いうことなんだ。
よ〜分からん。

……サッカーでも見ようかな。ポソ
ご近所のみなさま、連休中に救急車をハイヤーにしたのはこの私です。
大変おさがわせいたしました。

はひ〜。
日頃ダメダメ感に打ちのめされていたのが、
連休中に一気に噴出。

(というか、どうして私はいつも休みになると具合が
 悪くなるのでしょう。なんだか損した気分)

あの日は、起きた瞬間から気分が悪かった。
というか、どこだか分からないけれど体内のどこかが痛くて痛くてたまらなかった。
で、脂汗流しながら、トイレの前でう〜んうんと唸っているところを、
家族に発見されたわけです。

唇は真っ青だし、手は震えているし、というか体中震わしてるし、これは尋常じゃないと
判断した家族は救急車を呼んだ模様。

で、シャカっと病院に連れていかれて、
シャカっとレントゲンと撮られて、シャカっと血を採られて、シャカっと診察を受けたわけです。
(急患の血液はすぐ調べてもらえるのね〜)

激痛の原因は……不明。 

でも、貧血だということが判明。
なんでも、ヘモグロビンの数値が8しかなかったとか。
通常値は11で、10になったら要治療だそ〜です。
やれやれ。

ま、そんなわけで、お医者さんから、この貧血はシャカっと治すんじゃなくて、まず貧血になっちゃったその原因を調べるよろし言われて、無罪放免になりました。
どうやら点滴の中に痛み止めが入っていたようで、そのうち痛みはなくなりました。

う〜む、う〜む、う〜む。

健康になりたいです。
うちでは、月下美人が咲いております。
ちょっとお顔が重いので、うつむき加減でございます。

火星さんとお月さんとの距離がだんだん離れていきますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
(え? 話に脈絡がない? 放っておいてください。笑)
実は我が家は、家庭菜園でゴーヤを栽培している。
ゴーヤは、沖縄でなくとも栽培できるのだ。
今年は大豊作で、台所にふつーにゴーヤがごろごろと転がっている状態。

みなさん、ゴーヤの種を見たことありますか?

真っ赤です。笑)

(真っ赤な嘘ではありません。……失礼しました)

真っ赤です。

緑のゴーヤの中はまっかっか。
なんとまぁ、原色が目にまぶしいお野菜でしょう。

で、そのゴーヤの種、甘いらしいです。(天照大神の母談)

そんなわけで、早速「ゴーヤの種」を検索してみると、
なんとゴーヤの種はダイエットに最適な食品だった。

なんでも、筋肉を落とさずに、体脂肪だけを落としてくれるそうじゃ、
あ〜りませんか!!!

うぉぉぉぉ〜、食べなきゃ、嘘でしょ〜。

しかし、甘くておいしいのは、種の外側だけだった……。

というわけで、これから1週間かけて、いかにゴーヤの種をおいしく食べるかを研究するつもりです。
はい。

ほな、おやすみなさい。
ちょうど一週間前の土曜日の話。
昼過ぎまで惰眠をむさぼっていると、下(台所)から
母の呼ぶ声が聞こえたのね。
で、下に降りてみたら、私以外の家族全員が食卓を囲んでいたわけさ。

母「あら、天照ちゃん、お願いがあるんだけど。
  ××では今日、どんな映画を上映してるのかしら。
  インターネットで調べてもらえる?」

私「(寝起きでぼぉぉぉ〜)ん〜、いいよ」

と、何の疑問も持たずに、隣の部屋(居間)に移動して、そのまま倒れこんで、また寝に入ったわけさ。

私「……」

と20分もしたら、食事を終えた家族がぞろぞろと民族大移動を始めたわけ。
で、先頭に立って居間に移動してきた母は開口一番。

「あら、あなたがいることすっかり忘れて、ご飯食べちゃったわ!」

って、あーた、さっき私に頼みごとしてませんでしたっけか??

すごいわ、おかーさま。
やはり、あなたはタダモノじゃないわ。
本当に、すごい人よ。
……いろんな意味で。


ところで今、スカパーでイタリア・サッカー(セリエA)のサンプドリア(柳沢)vsレッジーナ(中村)戦をやっているのですが、
予想に反して、超面白い試合が展開しております。
柳沢が大活躍しております。

正直な話、セリエAに日本人が3人も行っちゃってやだなぁ〜
と思っていたのですよ。
セリエAって全試合を生中継してくれるわけじゃないから、
放送枠が日本人戦で占められたら、ひいきにしてるチームの放送が観れなくなっちゃうかもしれないんで。
私には、「日本人が出てるから」というこだわりはないのです。
楽しくて、胸が躍るようなすばらしいサッカーが見れればいいのです。
(あとは、かわいこちゃんが試合に出てるとかね。←ここ重要)

しかも、サンプドリアって今期昇格してきたばかりのチームだし、レッジーナなんか前シーズン降格争いしてたチームでっせ、あーた。
そんな2チームの試合が「超つまんなかったら、暴れるぞ〜」と内心思っていたわけです。
だって、サッカー見るためにスカパーに金払ってるんだもん。
日本人見るためじゃないもん。

というわけで、いや〜よかった、よかった。
面白かった。
柳沢〜、中村〜、がんばれ〜!!

と、今日もげんきんな私

日刊天照大神

2003年8月24日
Mmcさんのところで採取した「日刊あなた」をやってみました。
URLはここ http://p-apple.cside8.com/shinbun/

○好感度調査、1位は天照大神

今日公開された好感度調査ランキングで、去年に続き天照大神がぶっちぎりの1位を獲得した。子供からお年寄りまで、まんべんなく票を集めた結果だという。いくつかコメントを紹介しよう。「天照大神大好き!」(4歳、女子)、「天照大神は見ていてとても好感が持てる、最高さ」(36歳、会社員)、「夕飯はまだかのぉ…。へ?、さっき食べたでしょって?そうだったかのぉ…。」(98歳、無職)。どれも納得のいく意見ばかりである。この結果について聞かれた天照大神は、「とても嬉しいです。これに甘えることなく、初心を忘れず頑張ります。」と、横綱にでも昇進したかのような口調で語ったという。



○天照大神、国会のリストラを表明

先ごろ構造改革路線を打ち出して首相に就任した天照大神が、大胆な国会のリストラ策を発表した。有力議員の激しい抵抗に遭い廃案になった定年制導入に代えて、体力と判断力の優れた議員を残す「ダーウィン式」を導入するという。内容はまだ明らかにされていないが、側近によると「会議中に突然音楽が鳴り出す」椅子取りゲーム式になるらしい。この方式で今回の会期中に20席、次回の通常国会でさらに30席を減らすとのこと。退職者には民間の厳しさを導入、現物支給の退職金として「赤字国債」が手渡されるなど、ユニークな政策が相次ぐ天照大神政権、暫くは目が離せそうにない。 (河野功記者)



○天照大神の色気徹底研究

今年度の「恋人にしたい人」部門においてもぶっちぎりの一位を獲得した天照大神。イチローの7年連続首位打者など問題にならない15年連続での受賞である。わんぱく小僧から、おじいちゃん、ED患者までの票を幅広く獲得しており、まさにぶっちぎり!そのデビューからまったく変わっていないというプロポーションは、見事!の一言。その秘訣を聞いてみた。「三角食べをすることが大事だと思います。」インタビューの間も、ご飯、味噌汁、牛乳と三角食べは怠っていなかった。誰か天照大神の16年連続受賞を崩せる人はいないのか!?

< 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索