ワルシャワって……どんな街?
2001年10月18日ワルシャワは2つの顔を持っている街だった。
1つはめちゃくちゃ共産主義的な顔。
そして、もう1つは中世の顔である。
そう、建物など街の景観の話である。
スターリンがポーランド人民に送ったという文化科学宮殿
(市民からはダサダサと思われている)やワルシャワ中央駅付近は
共産主義的な建物とヤケに近現代的なビルが多いのである。
(圧倒的に共産主義的な建物の方が多いんだけどさ。)
建物の正面の壁や柱にはとんかちもった巨大な労働者の姿なんかが
レリーフとしてハマってるわけ。
行ったことないけど、多分ロシアとかってこんなかんじなんだろうなぁ〜
などと思ってしまうのよねん。
そして、ワルシャワは忘れちゃあいけない、ポーランドの首都・経済の街なのよ。
ってことで、SONYってデカい看板を掲げているような銀ピカのビルなんかもあるわけ。
マーちゃんのお勤め先なんかは、そういう近現代的なビルに入っているらしい。
しかし、そういうビルもどこか硬い硬質の印象を否めない。
う〜ん、東欧……偏見かなぁ〜。
なんか垢抜けないっちゅ〜か〜。
中世の町並みは、ナントその駅前の共産圏クサい建物群から
歩いていける距離にあるのよねん。
と言っても、私は小走りで行ったんだけどね。
巨大な建物群の角を曲がると、そこは中世だったって感じ。
石畳の広場があって、広場を囲む家々の窓は皆広場に向いてるの。
オープンエアーのカフェなんかもあったりしてね。
ガイドブックに載ってる、イタリア中世の街ってな感じ。
違うのはやっぱり気温と人々の色かなぁ〜。
しかし、その完璧なまでの中世の街は、実は割と最近(今世紀)になってから
作られたのよ。
まぁ、元々中世からそのままの景観を保っていたんだけど、
先の大戦でぶっ壊されてしまったので、民衆が執念で
再現したというお話。
それを聞くと、ポーランドの人たちって……スゴいのねと尊敬してしまうわ。
次回はそんなワルシャワでの観光のお話。
な〜んて、こんな予告なんて打っていいのか??
1つはめちゃくちゃ共産主義的な顔。
そして、もう1つは中世の顔である。
そう、建物など街の景観の話である。
スターリンがポーランド人民に送ったという文化科学宮殿
(市民からはダサダサと思われている)やワルシャワ中央駅付近は
共産主義的な建物とヤケに近現代的なビルが多いのである。
(圧倒的に共産主義的な建物の方が多いんだけどさ。)
建物の正面の壁や柱にはとんかちもった巨大な労働者の姿なんかが
レリーフとしてハマってるわけ。
行ったことないけど、多分ロシアとかってこんなかんじなんだろうなぁ〜
などと思ってしまうのよねん。
そして、ワルシャワは忘れちゃあいけない、ポーランドの首都・経済の街なのよ。
ってことで、SONYってデカい看板を掲げているような銀ピカのビルなんかもあるわけ。
マーちゃんのお勤め先なんかは、そういう近現代的なビルに入っているらしい。
しかし、そういうビルもどこか硬い硬質の印象を否めない。
う〜ん、東欧……偏見かなぁ〜。
なんか垢抜けないっちゅ〜か〜。
中世の町並みは、ナントその駅前の共産圏クサい建物群から
歩いていける距離にあるのよねん。
と言っても、私は小走りで行ったんだけどね。
巨大な建物群の角を曲がると、そこは中世だったって感じ。
石畳の広場があって、広場を囲む家々の窓は皆広場に向いてるの。
オープンエアーのカフェなんかもあったりしてね。
ガイドブックに載ってる、イタリア中世の街ってな感じ。
違うのはやっぱり気温と人々の色かなぁ〜。
しかし、その完璧なまでの中世の街は、実は割と最近(今世紀)になってから
作られたのよ。
まぁ、元々中世からそのままの景観を保っていたんだけど、
先の大戦でぶっ壊されてしまったので、民衆が執念で
再現したというお話。
それを聞くと、ポーランドの人たちって……スゴいのねと尊敬してしまうわ。
次回はそんなワルシャワでの観光のお話。
な〜んて、こんな予告なんて打っていいのか??
ワルシャワ:疾走する日々
2001年10月14日マーちゃん(仮)は、白人男性としては普通の大きさである。
しかし、私の方は日本人女性としてもちよっと小さい方。
そこに悲劇があった。
貴重な土日を2日間ともぶっ潰して、私のワルシャワ観光に付き合ってくれた
マーちゃんだが、私から感謝されることはあまりなかった。
いや、感謝はしてたんだけどさ、それを顔に表す余裕は私にはなかったと言った方が近いかも。
2人の身長差は実に30cm。
立ったまま会話をするのも首の骨が折れるんじゃないかってくらい疲れるが、
2人揃って歩き出すともっと疲れることになる。
そう、私は観光の間、ずっと小走りだったのだ。
おいおい、コンパスが違うんだから、少しはゆっくり
歩いておくれ。
と例え心の中で思ったとしても……。
いや、文句は言ったんだけどさ。
「あ、君は走らなくちゃいけないのね」
とかなんとか言ったまま、全く速度を変えずにまた歩きだすってのは
どういうこと?
お陰で、ガイドブックに載っている主要観光目玉はすべて
2日間で歩いけましたよ。
えぇ、お陰さまで。
もちろん、その事実に気付いたのは1日の終わりのガイドブックのおさらいをしている
時である。
あ……、ここって今日行った気がする。
あ……、ここもだ。
観光している最中なんて、ガイドブックを広げている暇はなかったのである。
マーちゃん、君、観光ガイドじゃなくてよかったね。
しかし、私の方は日本人女性としてもちよっと小さい方。
そこに悲劇があった。
貴重な土日を2日間ともぶっ潰して、私のワルシャワ観光に付き合ってくれた
マーちゃんだが、私から感謝されることはあまりなかった。
いや、感謝はしてたんだけどさ、それを顔に表す余裕は私にはなかったと言った方が近いかも。
2人の身長差は実に30cm。
立ったまま会話をするのも首の骨が折れるんじゃないかってくらい疲れるが、
2人揃って歩き出すともっと疲れることになる。
そう、私は観光の間、ずっと小走りだったのだ。
おいおい、コンパスが違うんだから、少しはゆっくり
歩いておくれ。
と例え心の中で思ったとしても……。
いや、文句は言ったんだけどさ。
「あ、君は走らなくちゃいけないのね」
とかなんとか言ったまま、全く速度を変えずにまた歩きだすってのは
どういうこと?
お陰で、ガイドブックに載っている主要観光目玉はすべて
2日間で歩いけましたよ。
えぇ、お陰さまで。
もちろん、その事実に気付いたのは1日の終わりのガイドブックのおさらいをしている
時である。
あ……、ここって今日行った気がする。
あ……、ここもだ。
観光している最中なんて、ガイドブックを広げている暇はなかったのである。
マーちゃん、君、観光ガイドじゃなくてよかったね。
放置プレイ
2001年10月11日ちゃいまっせ。
いや〜、すっかりご無沙汰してしまいました。
なんてったって、あ〜た、ポーランドから帰った次の日(9月18日)、
校了明ける(10月2日)まで1日も休まず
会社に出て何日も会社に泊まっていたものだから
疲れもとれず、その後も放心状態で
家に帰ってもPC触るどころじゃ〜ござんせんでした。
編集部のPCはディレクトリがぶっ壊れたせいで
平均5回はクリックしないとURLにとびやしないし、
ストレス溜まりまくりでしたよ〜、もう。
今はFDISKして、OS再インストールしてスッキリコン。
おかげさまで快適でございます。
さぁ〜て、これからバリバリ書くぞ〜!!
と言っているうちにまた次の校了がくるんだなぁ〜、もう。 涙)
いや〜、すっかりご無沙汰してしまいました。
なんてったって、あ〜た、ポーランドから帰った次の日(9月18日)、
校了明ける(10月2日)まで1日も休まず
会社に出て何日も会社に泊まっていたものだから
疲れもとれず、その後も放心状態で
家に帰ってもPC触るどころじゃ〜ござんせんでした。
編集部のPCはディレクトリがぶっ壊れたせいで
平均5回はクリックしないとURLにとびやしないし、
ストレス溜まりまくりでしたよ〜、もう。
今はFDISKして、OS再インストールしてスッキリコン。
おかげさまで快適でございます。
さぁ〜て、これからバリバリ書くぞ〜!!
と言っているうちにまた次の校了がくるんだなぁ〜、もう。 涙)
とゆ〜わけで(つづき)
2001年9月25日目が覚めると地上には「イタリア」が広がっていた。
イタリアは、畑、土のレンガ色、深みを帯びた針葉樹の緑色だった。
陽光があたって陽気に見えるのだが、レンガ色、深緑それだけを個別に取り出すとけっして明るい色ではないことに
気付いた。
なんか、不思議だった。
2つ合わせると明るく見えるのだ。
無事乗り換え地のミラノに着き、トランスファーカウンターで
乗り換えの手続きをとることになった。
カウンターに行って、順番待ちをしていると
前方はなにやらトラブっている様子。
どうやら数人の客の予約がキャンセルになっているようである。
う〜む、大変やな〜と思いつつもそれを尻目に
自分の番でチケットの予約票を差し出すと
自分もそのうちの1人らしいことが判明した。
いつまでたっても、係りの人は私に搭乗券をくれないのだ。
おまけに、どんどん私は後回しにされて、
あとから来た客がどんどんゲートに向かって去ってゆく。
私はあせり始めた。
なにせ、飛行機到着から次の乗り継ぎまでの時間は
きっかり1時間半しかとっていなかったからだ。
実質次のゲートが締め切られるまで時間は1時間。
その間に飛行機降りて、乗り継ぎチケット発券してもらって、デューティーフリーで頼まれ物を買い物
して……時間がないじゃん。
私「あの〜、私さっきからず〜っと待ってるんですけれど。
早く搭乗券ちょうだい。」
係官「もうちょっと待ってください。」
私「さっきからず〜っとそう言われて、ず〜っと待ってるんですけれど。
せめて何があったか説明くらいしてください。」
係官「どうも手違いでキャンセルされているみたいです。」
私「ならば、早く取り直してください。
その分のお金はちゃんと払ってあるんですから。」
係官「ですから、もうちょっと待ってください。」
というなり、そのイタリア人の係官は私のチケット予約票を机の隅においやると
別の仕事を始めたのだ。
イライラムカムカしているところに、日本人職員が
トランスファーカウンターに合流してきた様子が見て取れた。
すかさず私は、
「すみません。私、もう20分(←誇張)も待っているんですけれど
早く搭乗券をください。」
日本人係官「申し訳ございません。
本日はコンピュータの調子がおかしくて。
ただ今発券いたしますので。」
ようやく、チケットをゲットした私は嫌みの1つでも言いたい気持ちになっていたのである。
私「あの〜、リコンファームはいらないって聞いていましたけど
やっぱり必要ですか?」
日本人係官「いえ、今ので大丈夫ですから。
リコンファームは必要ございません。」
私「わかりました。どうもありがとう。」
無事に搭乗券を手にした私は急いで買い物を済ませ、
ゲートに向かった。
そこにはめちゃくちゃちっちゃい飛行機が泊まっていた。
あ〜、あの飛行機に乗るの?
私はちっちゃい飛行機が苦手である。
ましてやそれがイタリア人のパイロットによって操縦されるなんて。
やめて〜、と絶叫した気持ちを押さえて、飛行機に乗り込んだ。
以前イタリアーロンドンをブリティッシュエアウェイで
飛んだことがあるのだが、その時のパイロットがイタリア人だったのである。
飛行機もジャンボジェットではなかった。
今思い出してもお尻が痛くなるだが、ど〜したら
そんなに手荒に着地できるのだ?ってなくらい
荒い着地だった。
着陸直前、陸地が迫っている間も、機体は揺れに揺れて
なんだかこのまま水平を保たないまま突っ込むのではないかと思われたのだ。
しかも、その日は風がなかったと記憶している。
ところが、
思ったよりフライトは快適だった。
パイロットはイタリア人ではなく、ポーランド人だった。
機内のスナックというか軽食もまぁまぁイケてたし。
ほっ。
なんだか、ポーランド行きの飛行機に乗った瞬間から
場の空気、というか色が今までとは違うものになっていたのに気づいた。
人々の色が薄いのだ。
イタリア人の、ラテンの濃さとアジア人の黄味がなくなっていたのだ。
ヨーロッパに来たんだという実感が急に湧いてきた。
空から見るワルシャワは、さながら光の洪水のようだった。
これは全く予想していなかった。
きっと街中は光がなくて、空港の滑走路のラインが目立っちゃうんだろうくらいに思っていた。
私の頭の中のポーランドはいまだ共産主義を引きづる暗〜い土地だったのだ。
電球は切れたら切れっぱなし、とかね。
光の洪水を見たとたん、なんかホッとした。
空港に着いた。
空港は思ったより狭かった。
でもまぁ、これくらいが外国人にはありがたい。
あまり広い空港というのも考えものだ。
私はキョロキョロを辺りを見回した。
迎えがきているはずなのだ。
やっと、マーちゃんをみつけ、近づいていった。
が、なにか様子が変である。
マーちゃんはなにやらブツブツ独り言を言っているのである。
ヤバい。
ここで頼る人はマーちゃんしかいないのに、マーちゃんはもしや……。
よく見ると、マーちゃんの手には携帯電話が握られていた。
そして、耳にはイヤホン、口元にはマイク。
奴は電話中だったのだ。
マーちゃん「ごめん、ごめん。
待ってたら、電話がきちゃって。
今おばさんと話してた。」
いや〜、よかった。
正気だ〜。
もう、こんなところで遠〜い場所で人を不安のドツボに突き落とさないでくれよ〜。
というわけで、長いフライトは終わったのであった。
イタリアは、畑、土のレンガ色、深みを帯びた針葉樹の緑色だった。
陽光があたって陽気に見えるのだが、レンガ色、深緑それだけを個別に取り出すとけっして明るい色ではないことに
気付いた。
なんか、不思議だった。
2つ合わせると明るく見えるのだ。
無事乗り換え地のミラノに着き、トランスファーカウンターで
乗り換えの手続きをとることになった。
カウンターに行って、順番待ちをしていると
前方はなにやらトラブっている様子。
どうやら数人の客の予約がキャンセルになっているようである。
う〜む、大変やな〜と思いつつもそれを尻目に
自分の番でチケットの予約票を差し出すと
自分もそのうちの1人らしいことが判明した。
いつまでたっても、係りの人は私に搭乗券をくれないのだ。
おまけに、どんどん私は後回しにされて、
あとから来た客がどんどんゲートに向かって去ってゆく。
私はあせり始めた。
なにせ、飛行機到着から次の乗り継ぎまでの時間は
きっかり1時間半しかとっていなかったからだ。
実質次のゲートが締め切られるまで時間は1時間。
その間に飛行機降りて、乗り継ぎチケット発券してもらって、デューティーフリーで頼まれ物を買い物
して……時間がないじゃん。
私「あの〜、私さっきからず〜っと待ってるんですけれど。
早く搭乗券ちょうだい。」
係官「もうちょっと待ってください。」
私「さっきからず〜っとそう言われて、ず〜っと待ってるんですけれど。
せめて何があったか説明くらいしてください。」
係官「どうも手違いでキャンセルされているみたいです。」
私「ならば、早く取り直してください。
その分のお金はちゃんと払ってあるんですから。」
係官「ですから、もうちょっと待ってください。」
というなり、そのイタリア人の係官は私のチケット予約票を机の隅においやると
別の仕事を始めたのだ。
イライラムカムカしているところに、日本人職員が
トランスファーカウンターに合流してきた様子が見て取れた。
すかさず私は、
「すみません。私、もう20分(←誇張)も待っているんですけれど
早く搭乗券をください。」
日本人係官「申し訳ございません。
本日はコンピュータの調子がおかしくて。
ただ今発券いたしますので。」
ようやく、チケットをゲットした私は嫌みの1つでも言いたい気持ちになっていたのである。
私「あの〜、リコンファームはいらないって聞いていましたけど
やっぱり必要ですか?」
日本人係官「いえ、今ので大丈夫ですから。
リコンファームは必要ございません。」
私「わかりました。どうもありがとう。」
無事に搭乗券を手にした私は急いで買い物を済ませ、
ゲートに向かった。
そこにはめちゃくちゃちっちゃい飛行機が泊まっていた。
あ〜、あの飛行機に乗るの?
私はちっちゃい飛行機が苦手である。
ましてやそれがイタリア人のパイロットによって操縦されるなんて。
やめて〜、と絶叫した気持ちを押さえて、飛行機に乗り込んだ。
以前イタリアーロンドンをブリティッシュエアウェイで
飛んだことがあるのだが、その時のパイロットがイタリア人だったのである。
飛行機もジャンボジェットではなかった。
今思い出してもお尻が痛くなるだが、ど〜したら
そんなに手荒に着地できるのだ?ってなくらい
荒い着地だった。
着陸直前、陸地が迫っている間も、機体は揺れに揺れて
なんだかこのまま水平を保たないまま突っ込むのではないかと思われたのだ。
しかも、その日は風がなかったと記憶している。
ところが、
思ったよりフライトは快適だった。
パイロットはイタリア人ではなく、ポーランド人だった。
機内のスナックというか軽食もまぁまぁイケてたし。
ほっ。
なんだか、ポーランド行きの飛行機に乗った瞬間から
場の空気、というか色が今までとは違うものになっていたのに気づいた。
人々の色が薄いのだ。
イタリア人の、ラテンの濃さとアジア人の黄味がなくなっていたのだ。
ヨーロッパに来たんだという実感が急に湧いてきた。
空から見るワルシャワは、さながら光の洪水のようだった。
これは全く予想していなかった。
きっと街中は光がなくて、空港の滑走路のラインが目立っちゃうんだろうくらいに思っていた。
私の頭の中のポーランドはいまだ共産主義を引きづる暗〜い土地だったのだ。
電球は切れたら切れっぱなし、とかね。
光の洪水を見たとたん、なんかホッとした。
空港に着いた。
空港は思ったより狭かった。
でもまぁ、これくらいが外国人にはありがたい。
あまり広い空港というのも考えものだ。
私はキョロキョロを辺りを見回した。
迎えがきているはずなのだ。
やっと、マーちゃんをみつけ、近づいていった。
が、なにか様子が変である。
マーちゃんはなにやらブツブツ独り言を言っているのである。
ヤバい。
ここで頼る人はマーちゃんしかいないのに、マーちゃんはもしや……。
よく見ると、マーちゃんの手には携帯電話が握られていた。
そして、耳にはイヤホン、口元にはマイク。
奴は電話中だったのだ。
マーちゃん「ごめん、ごめん。
待ってたら、電話がきちゃって。
今おばさんと話してた。」
いや〜、よかった。
正気だ〜。
もう、こんなところで遠〜い場所で人を不安のドツボに突き落とさないでくれよ〜。
というわけで、長いフライトは終わったのであった。
とゆ〜わけで
2001年9月24日楽しい休暇の後は楽しくな〜いお仕事が待っておりました。
何故だか、休暇から帰った次の日から
会社に3泊、午前3時帰宅が2回。
とほほのほ〜。
というわけで、え〜(何がどういうわけなのかわかりませんが)
ポーランド日記をばー。
さて、前々回の日記に書いたとおり、
私の英語力は地の果てまで、いや地下6階建て(ビンラディン続きで)まで
落ち込んでいたことが証明されました。
そう、それは行きの飛行機の中。
あ、その前に書くことがあった。
実はその前日、休暇中にやるはずの仕事の一部でもかたづけようと
かなり遅くまでがむばっていた私。
おかげで終電を逃し、深夜バスを利用することに。(涙)
はひ〜。
そんでもって家に着いたのは午前3時。
そっから荷造りをしたわけです。
アジア旅行には慣れた私ですが、ヨーロッパとなると
わけが違う(と勝手に思い込む私)。
ジャケットはいるよな〜。
靴何足かいるよな〜。
スカーフは? アクセサリーは?
化粧品だって。 香水だって。
それから、それから……腹巻も。笑)
お。
そういえば、今回私は旅にモバイルPCを持っていくのだった。
すでに必要なメールアドレスなどはデータとしてはいっているし、
一応メールをダウンロードしておくか。
……………あ。
私は1日平均50通、あるいはそれ以上メールを受け取っているのだった……。
ハードディスクのないモバイルPC、メモリーが貧弱なモバイルPCは
ダウンロードの途中で動きを止めた……。
ヤバい。
そう、メールのダウンロードはモバイルPCの能力の限界を超えていたのだ。
ガチョーーーン
なんか、画面が文字通り、シロクロしちゃってるんですけど……。
電源を切っても、そのシロクロは止まらなかった。涙)
泣く泣くリセットをすると、データは全部消えた。
それが家を出る5分前。
泣く泣く、3.4Kgもする愛機をバッグの中へ。
そう。
そんなことをしているうちに
空港直行バスを逃してしまったわけです。
ピ〜ンチ
空港直行バスの受付のおね〜さん
「次のバスは1時間後です。
お客様の場合、予約をお取りになるときに
かなり余裕をみていらしたと思いますので
次のバスでも間に合うかもしれませんが……。
ただ、バスは道路事情に左右されますので
確実に間に合うとはお約束できません。
あとは〜、そうですねぇ〜。
電車の方が確実かと〜。」
しかし、それは午前7時半だった。
つまり電車で行くと、思いっきりラッシュアワーにぶつかるということだ。
そんな中をデカいスーツケース持って
階段を上り下りする勇気は私にはない。
私「あ〜、遅れてもいいです。
次のバスに乗せてください。」
思えば幸先が悪かった……。
ところが、金曜日なのに道路はまったく混んでおらず、
スイスイバスは進み、なんと搭乗時間の2時間半前についてしまった。
な〜んだ。
買い物できるじゃん。
パソコンバッグのちゃんとしたのを買って〜。
マーちゃんへの土産を買って〜。
あ、歯磨き粉が切れそうだった。
……。
なんだか、腕が痛い……。
まるで、旅行から帰ってきた人のように私はたくさんの荷物を持っていた。
しか〜し、心は遥か東欧へ。
そんなこと気にしな〜い。
と、元気にチェックインカウンターへ向かった。
チェックインカウンターのおねーさん
「お客様。お荷物、重量オーバーです。」
私「は?」
おねーさん「エコノミーのお客様は20kgまでなんです。
今回は当社の方でサービスをさせていただきますが、
お帰りの際はお支払いいただくことになります。」
私「はぁ〜。ありがとうございます〜。」
がーーーーーん。
昔荷造り名人の異名をとった私だったが、今となってはもう……涙。
しかし、マイレージためといてよかった。
きっと今回のサービスはマイレージためたいんです、と
最初に申告しておいたからだろう。
……関係ないのかな? ま、いいや。タダになったんだし。
とゆ〜わけで、ルンルンルンと飛行機に乗り込んだわけである。
経由地のミラノまでのフライトはおよそ12時間。
長旅だ。
ドクター・ショールのむくみ防止靴下を履いておこうっと。
ーと、ドリンクサービスが始まった。
(と、ここで冒頭の英語力に話が戻るのである。笑)
私は少し緊張した。
私の列のキャビンアテンダントはどっからどう見ても
イタリアンだったのだ。
そしてそこは、私にとって1年(半)ぶりに英語を使う場だったのだ。
ここが決まれば、あとは大丈夫(だと信じたい)。
CA「お飲み物は何になさいますか?(英語)」
私「あ〜、oolong チャーください。」
……やっちまった。
「ティー」というべきところを、思いっきり日本語で
「チャー(茶)」と言ってしまった。(赤面)
ガーンガーンガーーーーーン。
ショーーーーーーーーーック。
ヘナヘナヘナ〜。
も、もうだめだ。
いや、これは昨夜寝ていないからだ。
きっとそうだ、そうに違いな〜〜〜〜い。
心の中でそう叫ぶと、眠気が襲ってきた。
あ〜、寝るしかない。
寝とこう。
私は寝ることにした。
何故だか、休暇から帰った次の日から
会社に3泊、午前3時帰宅が2回。
とほほのほ〜。
というわけで、え〜(何がどういうわけなのかわかりませんが)
ポーランド日記をばー。
さて、前々回の日記に書いたとおり、
私の英語力は地の果てまで、いや地下6階建て(ビンラディン続きで)まで
落ち込んでいたことが証明されました。
そう、それは行きの飛行機の中。
あ、その前に書くことがあった。
実はその前日、休暇中にやるはずの仕事の一部でもかたづけようと
かなり遅くまでがむばっていた私。
おかげで終電を逃し、深夜バスを利用することに。(涙)
はひ〜。
そんでもって家に着いたのは午前3時。
そっから荷造りをしたわけです。
アジア旅行には慣れた私ですが、ヨーロッパとなると
わけが違う(と勝手に思い込む私)。
ジャケットはいるよな〜。
靴何足かいるよな〜。
スカーフは? アクセサリーは?
化粧品だって。 香水だって。
それから、それから……腹巻も。笑)
お。
そういえば、今回私は旅にモバイルPCを持っていくのだった。
すでに必要なメールアドレスなどはデータとしてはいっているし、
一応メールをダウンロードしておくか。
……………あ。
私は1日平均50通、あるいはそれ以上メールを受け取っているのだった……。
ハードディスクのないモバイルPC、メモリーが貧弱なモバイルPCは
ダウンロードの途中で動きを止めた……。
ヤバい。
そう、メールのダウンロードはモバイルPCの能力の限界を超えていたのだ。
ガチョーーーン
なんか、画面が文字通り、シロクロしちゃってるんですけど……。
電源を切っても、そのシロクロは止まらなかった。涙)
泣く泣くリセットをすると、データは全部消えた。
それが家を出る5分前。
泣く泣く、3.4Kgもする愛機をバッグの中へ。
そう。
そんなことをしているうちに
空港直行バスを逃してしまったわけです。
ピ〜ンチ
空港直行バスの受付のおね〜さん
「次のバスは1時間後です。
お客様の場合、予約をお取りになるときに
かなり余裕をみていらしたと思いますので
次のバスでも間に合うかもしれませんが……。
ただ、バスは道路事情に左右されますので
確実に間に合うとはお約束できません。
あとは〜、そうですねぇ〜。
電車の方が確実かと〜。」
しかし、それは午前7時半だった。
つまり電車で行くと、思いっきりラッシュアワーにぶつかるということだ。
そんな中をデカいスーツケース持って
階段を上り下りする勇気は私にはない。
私「あ〜、遅れてもいいです。
次のバスに乗せてください。」
思えば幸先が悪かった……。
ところが、金曜日なのに道路はまったく混んでおらず、
スイスイバスは進み、なんと搭乗時間の2時間半前についてしまった。
な〜んだ。
買い物できるじゃん。
パソコンバッグのちゃんとしたのを買って〜。
マーちゃんへの土産を買って〜。
あ、歯磨き粉が切れそうだった。
……。
なんだか、腕が痛い……。
まるで、旅行から帰ってきた人のように私はたくさんの荷物を持っていた。
しか〜し、心は遥か東欧へ。
そんなこと気にしな〜い。
と、元気にチェックインカウンターへ向かった。
チェックインカウンターのおねーさん
「お客様。お荷物、重量オーバーです。」
私「は?」
おねーさん「エコノミーのお客様は20kgまでなんです。
今回は当社の方でサービスをさせていただきますが、
お帰りの際はお支払いいただくことになります。」
私「はぁ〜。ありがとうございます〜。」
がーーーーーん。
昔荷造り名人の異名をとった私だったが、今となってはもう……涙。
しかし、マイレージためといてよかった。
きっと今回のサービスはマイレージためたいんです、と
最初に申告しておいたからだろう。
……関係ないのかな? ま、いいや。タダになったんだし。
とゆ〜わけで、ルンルンルンと飛行機に乗り込んだわけである。
経由地のミラノまでのフライトはおよそ12時間。
長旅だ。
ドクター・ショールのむくみ防止靴下を履いておこうっと。
ーと、ドリンクサービスが始まった。
(と、ここで冒頭の英語力に話が戻るのである。笑)
私は少し緊張した。
私の列のキャビンアテンダントはどっからどう見ても
イタリアンだったのだ。
そしてそこは、私にとって1年(半)ぶりに英語を使う場だったのだ。
ここが決まれば、あとは大丈夫(だと信じたい)。
CA「お飲み物は何になさいますか?(英語)」
私「あ〜、oolong チャーください。」
……やっちまった。
「ティー」というべきところを、思いっきり日本語で
「チャー(茶)」と言ってしまった。(赤面)
ガーンガーンガーーーーーン。
ショーーーーーーーーーック。
ヘナヘナヘナ〜。
も、もうだめだ。
いや、これは昨夜寝ていないからだ。
きっとそうだ、そうに違いな〜〜〜〜い。
心の中でそう叫ぶと、眠気が襲ってきた。
あ〜、寝るしかない。
寝とこう。
私は寝ることにした。
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はひ〜
2001年9月18日皆様には大変ご心配をおかけいたしましたが、
無事帰国いたしました。
私の旅先はNYではありませんでしたが、キリスト教国のヨーロッパであったためか
そして今回のテロに関与した疑いのある人物がエウロッパで逮捕されたためか
空港の警備は大変厳重でした。
16日から17日にかけて国内線→国際線→国際線→成田と乗り継いだ私、
その間に10回以上のセキュリティチェックを受けました。
おまけに今日から出社した赤坂では
うちの隣の隣のビル「赤坂パークビルヂング」に爆破予告があり、
辺りは騒然とする始末。
いやはやなんとも。
というわけで、そこらへんも交えながら近日中にたまった
旅日記をば掲載いたします。
あ〜、なんで今日から出勤することにしちゃったんだろう。
今日も終電を逃し、深夜バス帰宅だったよ。
無事帰国いたしました。
私の旅先はNYではありませんでしたが、キリスト教国のヨーロッパであったためか
そして今回のテロに関与した疑いのある人物がエウロッパで逮捕されたためか
空港の警備は大変厳重でした。
16日から17日にかけて国内線→国際線→国際線→成田と乗り継いだ私、
その間に10回以上のセキュリティチェックを受けました。
おまけに今日から出社した赤坂では
うちの隣の隣のビル「赤坂パークビルヂング」に爆破予告があり、
辺りは騒然とする始末。
いやはやなんとも。
というわけで、そこらへんも交えながら近日中にたまった
旅日記をば掲載いたします。
あ〜、なんで今日から出勤することにしちゃったんだろう。
今日も終電を逃し、深夜バス帰宅だったよ。
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青ざめる……。
2001年9月1日ペンパルのマーちゃん(仮)からメールがきた。
「じゃ、金曜日に会おうねん」
…………マズい。
もう、次の金曜日は9月7日だ。
それは私が飛行機に乗る日だ。
「金曜日に会おうねん」ということは
その日まで、もう1週間きったということだ。
まずいじゃん。
え〜い、一体何がまずいんじゃ〜い? と皆さんはお思いでしょう。
かなり、マズいのである。
実はここ1年間、私はまともに英語を使っていないである。
契約書関係の書類を読んだり、そこにサインをすることはあっても、
実際に英語を聞いたり話す機会はほとんどなかった……。
とゆ〜ことは、だ。
マーちゃん(仮)と会う時にはブッツケ本番で
え〜ごと格闘しなくちゃいけないわけだ。
なにしろ、マーちゃん(仮)は日本語のにの字も知らないので、
こっちがえ〜ごをしゃべらなきゃお互い意思の疎通が図れないのだ。
ヒクヒクヒクヒクヒク
マズい、ひじょ〜にマズい。
このままでは、せっかくエウロッパにエウロッパの専門家を訪ねて行っても
何一つエウロッパのことを聞けやしない……。
私のえ〜ごヒアリング対策はかなり短期集中型ではあるが、最低1カ月半は必要である。
まず、土日を丸々ブッツブして「フレンズ」をみまくるのである。
(「隣りのサインフェルド」とか「ダーマとグレッグ」なんかでもオッケー。
とにかく、やさしめのえ〜ごを早口でまくし立てるようなものが
ベスト。
コメディ映画も可。)
まとめて6話くらいを、最初の1回だけ日本語で見る。
あとはその同じストーリを英語で何回も何回も繰り返して見る。
そして、一緒にセリフを言う。
母親などは「さっきからぶつぶつ何言ってるの?何度も同じの見ちゃって」と呆れた顔を
しているが、そんなことは気にしちゃあいられない。
語学なんてものは、結局繰り返し繰り返しで「慣れる」しかないのである。
飽きたモン負けなのである。
何度も何度も繰り返し見て、英語がすんなり、英語のまま
頭に入ってくるようになったらしめたものである。
次に、ちょっとグレードアップしたドラマを見る。
(「フレンズ」は確かにおもしろいんだけど、これだけでは
かなり不安だ。)
例えば、「The X-Files」とか「ER」なんかがいい。
なぜなら、わかんない単語がたくさん出てくるからだ。
このテのドラマは「わかんなくてもパニックにならない」ようになるための訓練には
もってこいなのだ。
これも、土日をブッツぶして、日本語ー英語ー日本語ー英語、英語、英語……
ってな具合でみまくる。
そして、また一緒にセリフを言う。
「ほ〜、そういう表現があるんだ〜」と、ちょっと
お高い教育を
受けた人間の言葉の言い回しがなんとなくわかってきたところで、
今度は映像に頼ることをやめてみる。
次は音声だけのテープの登場だ。
めちゃくちゃつまんなくて、はっきり言って聞き始めて2分もしないうちに
眠ってしまうが、通訳学校時代にもらった教材のテープが役に立つ。
「日本における出産率の低下の原因と考えられているものの
1つに、女性の社会進出があげられている……うんぬんかんぬん。」
………… ぐーーーー。
たとえ寝てしまっても、構わず流すのだ。
そして、意識がある時は真剣に聞く。
そして、真似をする。
こんな調子で、大体1カ月半は休日のたびに家でお篭りの変な人に
成り下がり、英語漬けの日々を送るのである。
これをやっておくと、ヒアリングテストや英語の授業がひじょ〜に楽になる。
しかし、哀しいかな。
それだけやっても、というかそれだけしかやらないで
継続をしないと、私の場合は2カ月もありゃ〜、勘なんて
どっかにすっとんでってしまう。
まさに継続は力なり、なのである。
え〜と、これだけ長々と書いて何がいいたかったかというと
今回旅行に行くにあたって、なんの準備もしないうちに
ここまできてしまったということなのである。
(長いよ。(バシッ) ←自分つっこみ。)
あ〜、ポーランド語(も、ポーランド人が比較的お得意のドイツ語、
フランス語も)なんてち〜っともわからん。
としたら、英語に頼るしかないのに、肝心の英語は
……。
マズい。
マズいじゃん。
じゃあ、勉強しろよ。
と皆さんきっとおっしゃるでしょう。
でもね、今実は午前5時なんすけどね、一昨日の夜から
一睡もしないで仕事してるんすよ。
本当、時間がないのね。 涙
この校了が終っても、休暇中にやるはずの来月の仕込みとかもあるから、
ほとんど不眠不休なのね。 涙。
あ〜、避けたかったが、飛行機の中でこれまた寝ずに映画を見まくるしか
もう道は残されていないのね。
とほほ〜。
だれか、ドラえもんが持ってる翻訳機をください。
「じゃ、金曜日に会おうねん」
…………マズい。
もう、次の金曜日は9月7日だ。
それは私が飛行機に乗る日だ。
「金曜日に会おうねん」ということは
その日まで、もう1週間きったということだ。
まずいじゃん。
え〜い、一体何がまずいんじゃ〜い? と皆さんはお思いでしょう。
かなり、マズいのである。
実はここ1年間、私はまともに英語を使っていないである。
契約書関係の書類を読んだり、そこにサインをすることはあっても、
実際に英語を聞いたり話す機会はほとんどなかった……。
とゆ〜ことは、だ。
マーちゃん(仮)と会う時にはブッツケ本番で
え〜ごと格闘しなくちゃいけないわけだ。
なにしろ、マーちゃん(仮)は日本語のにの字も知らないので、
こっちがえ〜ごをしゃべらなきゃお互い意思の疎通が図れないのだ。
ヒクヒクヒクヒクヒク
マズい、ひじょ〜にマズい。
このままでは、せっかくエウロッパにエウロッパの専門家を訪ねて行っても
何一つエウロッパのことを聞けやしない……。
私のえ〜ごヒアリング対策はかなり短期集中型ではあるが、最低1カ月半は必要である。
まず、土日を丸々ブッツブして「フレンズ」をみまくるのである。
(「隣りのサインフェルド」とか「ダーマとグレッグ」なんかでもオッケー。
とにかく、やさしめのえ〜ごを早口でまくし立てるようなものが
ベスト。
コメディ映画も可。)
まとめて6話くらいを、最初の1回だけ日本語で見る。
あとはその同じストーリを英語で何回も何回も繰り返して見る。
そして、一緒にセリフを言う。
母親などは「さっきからぶつぶつ何言ってるの?何度も同じの見ちゃって」と呆れた顔を
しているが、そんなことは気にしちゃあいられない。
語学なんてものは、結局繰り返し繰り返しで「慣れる」しかないのである。
飽きたモン負けなのである。
何度も何度も繰り返し見て、英語がすんなり、英語のまま
頭に入ってくるようになったらしめたものである。
次に、ちょっとグレードアップしたドラマを見る。
(「フレンズ」は確かにおもしろいんだけど、これだけでは
かなり不安だ。)
例えば、「The X-Files」とか「ER」なんかがいい。
なぜなら、わかんない単語がたくさん出てくるからだ。
このテのドラマは「わかんなくてもパニックにならない」ようになるための訓練には
もってこいなのだ。
これも、土日をブッツぶして、日本語ー英語ー日本語ー英語、英語、英語……
ってな具合でみまくる。
そして、また一緒にセリフを言う。
「ほ〜、そういう表現があるんだ〜」と、ちょっと
お高い教育を
受けた人間の言葉の言い回しがなんとなくわかってきたところで、
今度は映像に頼ることをやめてみる。
次は音声だけのテープの登場だ。
めちゃくちゃつまんなくて、はっきり言って聞き始めて2分もしないうちに
眠ってしまうが、通訳学校時代にもらった教材のテープが役に立つ。
「日本における出産率の低下の原因と考えられているものの
1つに、女性の社会進出があげられている……うんぬんかんぬん。」
………… ぐーーーー。
たとえ寝てしまっても、構わず流すのだ。
そして、意識がある時は真剣に聞く。
そして、真似をする。
こんな調子で、大体1カ月半は休日のたびに家でお篭りの変な人に
成り下がり、英語漬けの日々を送るのである。
これをやっておくと、ヒアリングテストや英語の授業がひじょ〜に楽になる。
しかし、哀しいかな。
それだけやっても、というかそれだけしかやらないで
継続をしないと、私の場合は2カ月もありゃ〜、勘なんて
どっかにすっとんでってしまう。
まさに継続は力なり、なのである。
え〜と、これだけ長々と書いて何がいいたかったかというと
今回旅行に行くにあたって、なんの準備もしないうちに
ここまできてしまったということなのである。
(長いよ。(バシッ) ←自分つっこみ。)
あ〜、ポーランド語(も、ポーランド人が比較的お得意のドイツ語、
フランス語も)なんてち〜っともわからん。
としたら、英語に頼るしかないのに、肝心の英語は
……。
マズい。
マズいじゃん。
じゃあ、勉強しろよ。
と皆さんきっとおっしゃるでしょう。
でもね、今実は午前5時なんすけどね、一昨日の夜から
一睡もしないで仕事してるんすよ。
本当、時間がないのね。 涙
この校了が終っても、休暇中にやるはずの来月の仕込みとかもあるから、
ほとんど不眠不休なのね。 涙。
あ〜、避けたかったが、飛行機の中でこれまた寝ずに映画を見まくるしか
もう道は残されていないのね。
とほほ〜。
だれか、ドラえもんが持ってる翻訳機をください。
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あぁ〜、いい男ねぇ〜。 (うっとり)
2001年8月30日無事にお誕生日を変種部で迎えた私は、この1週間の疲れを癒すために
映画の試写会に行ってまいりました。
(ちっ、2泊もしちまったぜ。)
お題は「ブリジット・ジョーンズの日記」。
はい、ストーリーをダラダラと書くなんてことはいたしません。
公開はこの秋ですから。
ストーリー、映画の感想は置いといて……
きゃ〜〜〜〜〜〜!!!
なんていい男なの〜!!!
コリン・ファースっ!!!
説明しよう。
この映画の主な登場人物は3人だ。
1人は主人公の女の子。
もう1人はおなじみヒュ−・グラント。
そして、のこる1人がコリン・ファースだ。
彼を始めてスクリーンで見たのは
まだ私が……いくつだったかなぁ〜。
「アナザー・カントリー」って映画があったんですよ。
イギリスのパブリック・スクール(思いっきり「私立」なのだが、
何故か「パブリック・スクール」)を舞台に
繰り広げられる、イギリスの貴族、金持ちの子弟の男色遊びや校内での覇権争いを描いた映画である。
「あ、僕ね。ゲイなの」とカミングアウトした
ルパート・エヴェレット君の出世作だが、
実はこの映画でコリン君はルパート君のルームメイトの役をやっていた。
めちゃくちゃ声がよかったので印象に残っていた。
そして、めちゃくちゃ渋かった。
「お前さぁ〜、そんな下級生に手を出すのはやめろよ。」
などとルパート君を諭すマルクス主義者の訳だった。
ゲイと知ってもルパート君を暖かく見守りつづけ……
とにかく渋い。笑)
ちゃらちゃらが似合わない。 笑)
その後も彼は渋い舞台、映画を中心に渋い役ばかりをこなしていた。
だからあまり作品が日本にやってこない。
あぁ〜、コリン君、また日本にやってきてぇ〜ん。
などと祈っていると、たま〜にWOWOWで主演映画なんかを
やってくれたりするが、その映画の扱われた方が
めちゃくちゃ渋いので放映自体に気付かないことが多い。
あ、でもこの間NHKでやっていたドラマ「高慢となんちゃら」だったかな?
に出ていた。
あのドラマは結構NHKとしてはちょっと宣伝に力を……
入れてないか。 やっぱり。
まぁ、どうでもいいけど、その彼が試写会で見た映画に出ていたんですよ。
相変わらずめちゃくちゃいい声で。
デヘデヘ。
秋になったら、また見ちゃうかも。
デヘデヘ。
あぁ〜。
明日から、また眠れない日々が続くのねん。
コリン君の白昼夢でも見ようっと。 ← 危険
映画の試写会に行ってまいりました。
(ちっ、2泊もしちまったぜ。)
お題は「ブリジット・ジョーンズの日記」。
はい、ストーリーをダラダラと書くなんてことはいたしません。
公開はこの秋ですから。
ストーリー、映画の感想は置いといて……
きゃ〜〜〜〜〜〜!!!
なんていい男なの〜!!!
コリン・ファースっ!!!
説明しよう。
この映画の主な登場人物は3人だ。
1人は主人公の女の子。
もう1人はおなじみヒュ−・グラント。
そして、のこる1人がコリン・ファースだ。
彼を始めてスクリーンで見たのは
まだ私が……いくつだったかなぁ〜。
「アナザー・カントリー」って映画があったんですよ。
イギリスのパブリック・スクール(思いっきり「私立」なのだが、
何故か「パブリック・スクール」)を舞台に
繰り広げられる、イギリスの貴族、金持ちの子弟の男色遊びや校内での覇権争いを描いた映画である。
「あ、僕ね。ゲイなの」とカミングアウトした
ルパート・エヴェレット君の出世作だが、
実はこの映画でコリン君はルパート君のルームメイトの役をやっていた。
めちゃくちゃ声がよかったので印象に残っていた。
そして、めちゃくちゃ渋かった。
「お前さぁ〜、そんな下級生に手を出すのはやめろよ。」
などとルパート君を諭すマルクス主義者の訳だった。
ゲイと知ってもルパート君を暖かく見守りつづけ……
とにかく渋い。笑)
ちゃらちゃらが似合わない。 笑)
その後も彼は渋い舞台、映画を中心に渋い役ばかりをこなしていた。
だからあまり作品が日本にやってこない。
あぁ〜、コリン君、また日本にやってきてぇ〜ん。
などと祈っていると、たま〜にWOWOWで主演映画なんかを
やってくれたりするが、その映画の扱われた方が
めちゃくちゃ渋いので放映自体に気付かないことが多い。
あ、でもこの間NHKでやっていたドラマ「高慢となんちゃら」だったかな?
に出ていた。
あのドラマは結構NHKとしてはちょっと宣伝に力を……
入れてないか。 やっぱり。
まぁ、どうでもいいけど、その彼が試写会で見た映画に出ていたんですよ。
相変わらずめちゃくちゃいい声で。
デヘデヘ。
秋になったら、また見ちゃうかも。
デヘデヘ。
あぁ〜。
明日から、また眠れない日々が続くのねん。
コリン君の白昼夢でも見ようっと。 ← 危険
ラ、ラ、ラリホーーー!!!
2001年8月28日昨日は変種部に泊まり、今日は深夜の帰宅
明日は多分……深夜の帰宅。
あぁぁ〜、今日はうちに帰れてよかった。
お誕生日、おめでとう。
体大事にしろよ。
ちょっと目の下のクマ、なんとかしないとヤバいわよ。
以上、ちょっと自分に言ってみました。
あ〜、誕生日の日くらい変種部じゃないところに行きたい。
なんで、入稿と重なっちまったんだ。
私って不幸。
さぁ〜ってと、また仕事するか。
明日は多分……深夜の帰宅。
あぁぁ〜、今日はうちに帰れてよかった。
お誕生日、おめでとう。
体大事にしろよ。
ちょっと目の下のクマ、なんとかしないとヤバいわよ。
以上、ちょっと自分に言ってみました。
あ〜、誕生日の日くらい変種部じゃないところに行きたい。
なんで、入稿と重なっちまったんだ。
私って不幸。
さぁ〜ってと、また仕事するか。
あっあっ、今夜も眠れないっ!! うっ!!
2001年8月24日やっちまった。
きっと、疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたの。
そうに違いない。
今日私が家に帰り着いたのは、午前1時半である。
そして、明日は家を午前5時くらいに出なければならない。
なぜなら、
帰る時に、入稿する原稿の束を、早朝バイク便さんが
取りに来てくれる棚に置くのを忘れたから。
あああああああぁぁぁぁぁ〜〜〜。
なんてこった〜!!! 涙
明日の夕方から入稿が始まるから、
つまり帰れる時間がめちゃくちゃ遅くなるから
明日は寝坊して英気を養おうと思ったのに〜〜〜〜。
あああああぁぁぁぁ〜。
ところで、今日旅行用にモバイルCEを買っちまいました。
今更だけどWindows CE。 まっいっか。
皆様、ご存知?
ポーランドにPC持っていくなら、モジュラ−アダプターを
持っていかなあきまへん。
すごいよねぇ〜。
モジュラーの頭の形が違うのって初めてよ。
すごい国だ。
きっと、疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたんだ。
疲れていたの。
そうに違いない。
今日私が家に帰り着いたのは、午前1時半である。
そして、明日は家を午前5時くらいに出なければならない。
なぜなら、
帰る時に、入稿する原稿の束を、早朝バイク便さんが
取りに来てくれる棚に置くのを忘れたから。
あああああああぁぁぁぁぁ〜〜〜。
なんてこった〜!!! 涙
明日の夕方から入稿が始まるから、
つまり帰れる時間がめちゃくちゃ遅くなるから
明日は寝坊して英気を養おうと思ったのに〜〜〜〜。
あああああぁぁぁぁ〜。
ところで、今日旅行用にモバイルCEを買っちまいました。
今更だけどWindows CE。 まっいっか。
皆様、ご存知?
ポーランドにPC持っていくなら、モジュラ−アダプターを
持っていかなあきまへん。
すごいよねぇ〜。
モジュラーの頭の形が違うのって初めてよ。
すごい国だ。
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とゆ〜わけで、昨日のつづき(完全版)
2001年8月23日そして、第3の大問題は……
それは「母」という名の生き物。
ことの発端は先日である。
その日私は思いっきり顔に「どうしよっかなぁ〜」と
書いて、家の中をぼぉ〜っと歩いていた。
母「あら、そんな顔しちゃって、どうしたの?」
私「うん? あぁ。 そろそろ休暇を取りたいなぁ〜、
ぱぁ〜っと外国にでも遊びに行きたいなぁ〜
でも、あんまり休めないし、どうしようかなぁ〜と思って。」
母「あら、行ってくればいいじゃないの?
何を考える必要があるの?」
どうやら、母は私が香港などの近場に行くと想定していたらしかった。
しかし、私の頭の中の選択肢にはイタリアとポーランドしかなかった。
なぜなら、イタリアではお友達Kちゃんが働いていて、
いつまでいるかわからないけど、もしかしたら
そろそろ帰国するかもという情報を得ていたから。
そして、ポーランドにはペンパル、マーちゃん(仮)が
駐在していて、こちらもポーランドにいつまでいるか
わからなかったからだ。
それをたまたまマーちゃんへのメールに書いたら、
「ぜひ遊びに来なさい、案内しよう」と言われたので
ポーランドに行くことにしたのである。
しかし、行き先が決まっても私を悩ませているものの
存在は消えなかった。
それは時間である。
ヨーロッパに行くのなら、5日間や7日間などという、
地上を歩いているよりも機上にいる時間の方が長いという
ような日程だけは避けたかった。
しかし、仕事ガラそんなに東京をあけてはいられない。
う〜ん、どうしよっかなぁ〜。
−−−−と、その顔が母に見咎められた顔だったのだ。
私「じゃぁ〜、行ってくるわ。
ポーランドに。」
母「え? ポーランド?」
母、青ざめる。
=====
ど〜もその日から、母は私の顔を見るとため息をつくのである。
そして言うのである。
母「どうしてあなたって、小さい時から親に心配ばっかりかけるの?」
私「な、なんの話??」
母「免許取った次の日に、雨の中を50Kmも先のお友達の家に
運転していくし。しかも1人で。
香港にだって1人で働きに行っちゃったし。
しかも入社試験だって、事後報告だったし。」
私「??
入社試験は受ける前に「受ける」って言ったよ。」
母「でも履歴書出しちゃってからでしょ。
お母さんにそう言ったのは。」
私「そうだったっけ?」
母「どうしてあなたって子はいつもそうなの?
はぁ〜。」
何故、たかだか11日間娘が家を空けるだけで
そんなにため息製造マシーンになれるのだ??
1人で行くからだろうか?
訪問先に知り合いがいると言っているのに。
その日から、母は私を思いとどまらせるために
ポーランドに関するあらゆる悪い情報を仕入れてきた。
おまけに、オーストラリアで日本人女学生が行方不明になったという
ニュースにはわざとらしく頷き、反応している。
そして、それを私に見せる。
ま〜ったく、大人気ない。
↑ 「だいにんきない」とは読まないよ〜に。
とにかく、気が滅入るのだ。
朝起きると私の顔を見てため息をつく母。
家に帰ると私の顔を見てため息をつく母。
どないせ〜っちゅんじゃい〜。
「お母様、1人でポーランドなんて遠いところに行く
なんて言った私がバカだったわ。」
と言えば満足なのか?
そんでもって、またまた休暇を取れなくて
私が暗い顔をすれば満足なのか?
あ〜、わからん〜。
ところで、どうして9月のエアーチケットがあんなに
高いのかがわかった。
どうも「9月はポーランドの黄金の秋」らしい。
つまり、紅葉が美しいので思いっきり観光シーズンに
かぶっているということなのだ。
あ〜、道理で〜。
でも、まっいっか。
1年で1番美しい時を見れるから。
それは「母」という名の生き物。
ことの発端は先日である。
その日私は思いっきり顔に「どうしよっかなぁ〜」と
書いて、家の中をぼぉ〜っと歩いていた。
母「あら、そんな顔しちゃって、どうしたの?」
私「うん? あぁ。 そろそろ休暇を取りたいなぁ〜、
ぱぁ〜っと外国にでも遊びに行きたいなぁ〜
でも、あんまり休めないし、どうしようかなぁ〜と思って。」
母「あら、行ってくればいいじゃないの?
何を考える必要があるの?」
どうやら、母は私が香港などの近場に行くと想定していたらしかった。
しかし、私の頭の中の選択肢にはイタリアとポーランドしかなかった。
なぜなら、イタリアではお友達Kちゃんが働いていて、
いつまでいるかわからないけど、もしかしたら
そろそろ帰国するかもという情報を得ていたから。
そして、ポーランドにはペンパル、マーちゃん(仮)が
駐在していて、こちらもポーランドにいつまでいるか
わからなかったからだ。
それをたまたまマーちゃんへのメールに書いたら、
「ぜひ遊びに来なさい、案内しよう」と言われたので
ポーランドに行くことにしたのである。
しかし、行き先が決まっても私を悩ませているものの
存在は消えなかった。
それは時間である。
ヨーロッパに行くのなら、5日間や7日間などという、
地上を歩いているよりも機上にいる時間の方が長いという
ような日程だけは避けたかった。
しかし、仕事ガラそんなに東京をあけてはいられない。
う〜ん、どうしよっかなぁ〜。
−−−−と、その顔が母に見咎められた顔だったのだ。
私「じゃぁ〜、行ってくるわ。
ポーランドに。」
母「え? ポーランド?」
母、青ざめる。
=====
ど〜もその日から、母は私の顔を見るとため息をつくのである。
そして言うのである。
母「どうしてあなたって、小さい時から親に心配ばっかりかけるの?」
私「な、なんの話??」
母「免許取った次の日に、雨の中を50Kmも先のお友達の家に
運転していくし。しかも1人で。
香港にだって1人で働きに行っちゃったし。
しかも入社試験だって、事後報告だったし。」
私「??
入社試験は受ける前に「受ける」って言ったよ。」
母「でも履歴書出しちゃってからでしょ。
お母さんにそう言ったのは。」
私「そうだったっけ?」
母「どうしてあなたって子はいつもそうなの?
はぁ〜。」
何故、たかだか11日間娘が家を空けるだけで
そんなにため息製造マシーンになれるのだ??
1人で行くからだろうか?
訪問先に知り合いがいると言っているのに。
その日から、母は私を思いとどまらせるために
ポーランドに関するあらゆる悪い情報を仕入れてきた。
おまけに、オーストラリアで日本人女学生が行方不明になったという
ニュースにはわざとらしく頷き、反応している。
そして、それを私に見せる。
ま〜ったく、大人気ない。
↑ 「だいにんきない」とは読まないよ〜に。
とにかく、気が滅入るのだ。
朝起きると私の顔を見てため息をつく母。
家に帰ると私の顔を見てため息をつく母。
どないせ〜っちゅんじゃい〜。
「お母様、1人でポーランドなんて遠いところに行く
なんて言った私がバカだったわ。」
と言えば満足なのか?
そんでもって、またまた休暇を取れなくて
私が暗い顔をすれば満足なのか?
あ〜、わからん〜。
ところで、どうして9月のエアーチケットがあんなに
高いのかがわかった。
どうも「9月はポーランドの黄金の秋」らしい。
つまり、紅葉が美しいので思いっきり観光シーズンに
かぶっているということなのだ。
あ〜、道理で〜。
でも、まっいっか。
1年で1番美しい時を見れるから。
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敵は本能寺にあり……じゃなくて、身内にあり。 敵じゃなくて、大問題、か。
2001年8月20日(注意:この日記は暫定版です。)
え〜、紆余曲折がありまして、9月に超大型休暇をとることになりました。
と言っても、11日間というところがかなしいです。が、しかし、
同じ会社の別の変種部員に話したところ、
「ながっ。11日間も休むの? あんた、仕事どうすんの?」と
聞かれたんでございますの。
あ〜、本当に因果な商売だよ〜。
11日間も取るのである。
だって、だって、ここ2〜3年間休暇なんてとってないんだも〜ん。
いいじゃない〜。 休ませてよ〜。
この間休んだのは、血圧の上が80まで下がったからだもん〜。
また白髪が増えちゃう。
ということで、行ってまいります。
エウロッパ。ショパンの生まれ故郷だ。
そして、なんと今回はガイド付き。
↑ 以前の日記に登場したマーちゃん(仮)だ。
マーちゃん(仮)は実はすごいのだ。
ヨーロッパのプロと言っても過言ではない人なのだ。
だから、何を質問しても、エウロッパに関することなら
スパンスパンと答えてくれるはずだ。
ふふふふふっ。
---------ところが、
やはり、というか、案の定というか、
そんなにことがうまく運ぶはずがなかった……。(汗)
問題 その1 エアーチケット
その旅行社の入り口には「成田ーロンドン、81.000円」と
書いてあった。
私は迷わず、店に入り、
「ポーランドまで往復チケットくださ〜い」とあっかるく言った。
旅行会社「へい、いらっしゃい。ポーランドまで……。
空いてるお席はアリタリアの17万5000円。」
私「は? じゅ、17万5000円?
あの〜、表にロンドンまで往復81.000円って書いて
ありますけど〜。」
旅行会社「あ〜、あれ。もうとっくの昔に売り切れてます。」
私「あの、マイレージをためたいんで、KLMかなんかの席がとれば……。」
旅行会社「KLMはビジネスもいっぱいですねぇ〜。
あと、お席が取れるのは〜、アエロフロート
モスクワ1泊。」
私「アリタリアのそのチケットください!!」
旅行会社「あぶないところでしたね〜。最後の1枚ですよ〜。」
くそっ。
思ったより高くついたよ。
問題 その2 仕事
通常月なら8日売りのうちの雑誌は、10月に限って6日売りになる。
なぜなら、10月の8日は祝日で、前日は日曜、必然的に
売り日は前々日の6日に前倒しに。
おまけに9月は30日までしかない。
っつぅ〜ことで、入稿・校了スケジュールを見るってぇ〜と、
なんと帰国する前に入稿が始まってるじゃん。
青ざめる私。
っつぅ〜ことで、泣く泣く3.4Kgもする愛機を
エウロッパ旅行に連れて行くことに。
とほほ〜のほ〜
問題 その3以降は また明日。 笑)
ずびばせん。
なんか、下まぶたと上まぶたさんが
一緒にならなければ死んでやると
申しておりますので、続きは必ず
明日(か明後日書きます。)
では、おやすみなさい〜。
え〜、紆余曲折がありまして、9月に超大型休暇をとることになりました。
と言っても、11日間というところがかなしいです。が、しかし、
同じ会社の別の変種部員に話したところ、
「ながっ。11日間も休むの? あんた、仕事どうすんの?」と
聞かれたんでございますの。
あ〜、本当に因果な商売だよ〜。
11日間も取るのである。
だって、だって、ここ2〜3年間休暇なんてとってないんだも〜ん。
いいじゃない〜。 休ませてよ〜。
この間休んだのは、血圧の上が80まで下がったからだもん〜。
また白髪が増えちゃう。
ということで、行ってまいります。
エウロッパ。ショパンの生まれ故郷だ。
そして、なんと今回はガイド付き。
↑ 以前の日記に登場したマーちゃん(仮)だ。
マーちゃん(仮)は実はすごいのだ。
ヨーロッパのプロと言っても過言ではない人なのだ。
だから、何を質問しても、エウロッパに関することなら
スパンスパンと答えてくれるはずだ。
ふふふふふっ。
---------ところが、
やはり、というか、案の定というか、
そんなにことがうまく運ぶはずがなかった……。(汗)
問題 その1 エアーチケット
その旅行社の入り口には「成田ーロンドン、81.000円」と
書いてあった。
私は迷わず、店に入り、
「ポーランドまで往復チケットくださ〜い」とあっかるく言った。
旅行会社「へい、いらっしゃい。ポーランドまで……。
空いてるお席はアリタリアの17万5000円。」
私「は? じゅ、17万5000円?
あの〜、表にロンドンまで往復81.000円って書いて
ありますけど〜。」
旅行会社「あ〜、あれ。もうとっくの昔に売り切れてます。」
私「あの、マイレージをためたいんで、KLMかなんかの席がとれば……。」
旅行会社「KLMはビジネスもいっぱいですねぇ〜。
あと、お席が取れるのは〜、アエロフロート
モスクワ1泊。」
私「アリタリアのそのチケットください!!」
旅行会社「あぶないところでしたね〜。最後の1枚ですよ〜。」
くそっ。
思ったより高くついたよ。
問題 その2 仕事
通常月なら8日売りのうちの雑誌は、10月に限って6日売りになる。
なぜなら、10月の8日は祝日で、前日は日曜、必然的に
売り日は前々日の6日に前倒しに。
おまけに9月は30日までしかない。
っつぅ〜ことで、入稿・校了スケジュールを見るってぇ〜と、
なんと帰国する前に入稿が始まってるじゃん。
青ざめる私。
っつぅ〜ことで、泣く泣く3.4Kgもする愛機を
エウロッパ旅行に連れて行くことに。
とほほ〜のほ〜
問題 その3以降は また明日。 笑)
ずびばせん。
なんか、下まぶたと上まぶたさんが
一緒にならなければ死んでやると
申しておりますので、続きは必ず
明日(か明後日書きます。)
では、おやすみなさい〜。
ひときわ、うるさい団体。
2001年8月14日 香港 香港 ゆかいな香港14日に(笑)、香港が縁で知り合った友人知人と
韓国焼肉を食べた。
(正確には、日本に帰ってきてから知り合った人たちがほとんどだけど。
でも、香港つながりの人たちなのだ。)
主催は、香港で数少ない同期(3人しかいないのよん)でもあり、
大親友のJちゃんの夫だ。
J・夫は何を隠そうヨット関係会社の社長である。
そう、この会はもともと香港日本人ヨット関係者の集まりだった。
が、今では香港つながりで、私のようなヨットとは関係のない人間も参加している。
ヨット……う〜ん、リッチな響きだ。
だが、
香港にいたころ、自分はヨット関係の人とは
ま〜ったく気が合わない、知り合いになることもないだろうと思っていた。
なんか、ヨットって聞くと石原軍団とかあっちの方に思考が
とんじゃって。
「歌謡ロマンの世界? だっせー」と思っていたのである。
そうじゃなかったら、香港在住白人雇われ社長とか
雇われエグゼクティブとか、そういう人たちだけの
コミュニティが出来上がっていて、アジア人は入っていけないなどと
考えていたのである。
実際、香港に住んでみるとわかるのだが、
香港という場所では「アジア系の人たち」と「西洋系の人たち」とでは
キッパリ住み分けが出来ている。
で、非常に驚く。
住むまでは、もっと2つの文化が融合しているのかと思ってたのに。
そんでもって、マカオなんかに遊びに行っちゃうと
よけいに香港の「キッパリ」が目立って見えるのである。
私はどちらかといえば、アチラ系が苦手だった。
なぜなら、「人種差別」ってものがどんなものかを
身を持って教えてくれたのがアチラの人だったからである。
ま、そんな話はおいといて、Jちゃんに誘われなかったら
絶対に知り合いになれなかったであろう人たちと知り合いになれた。
Jちゃん、サンキュー。
基本的には、私は香港に住んでいた日本人と話をするのが
好きである。
中華料理が嫌い、香港嫌い、香港人嫌い、香港人に仲良かった人
いませんという人は別であるが。
香港に住んでた経験があって、あるいは香港に住んでいて、
「香港の楽しさ」を語れる人は、心がオープンな人である
ことが多いからだ。(ま、香港に限らないけど。)
で、そういう人たちとは話していると楽しいし、安心するのだ。
え? それってどういうこと?
つまり、こういうことである。
幸か不幸か、日本で生まれ育ったくせに、私は香港で社会人生活をスタートしてしまった。
ということは、頭の中から
「女子=お茶くみ」とか
「女子=男子のアシスタント」とか
「女子=男性の話の聞き役」とか
「女子=男性の話に割って入っていかない」とか
「女子=男子と議論しない」とか
「女子=男子の話になんでも同意する」とか
「女子=いつも微笑んでいなければならない」とか
「新人=上司の飲みの誘いを断らない」とか
いうことが頭からスッポリ抜けてしまっているということなのだ。
今の職場で、男子と話をしているとしょっちゅう
「ボロクソ言いますね」などと言われてこっちが困惑することがある。
私はただ自分の思うところを述べただけなのに、相手は
私が相手を中傷したとか、相手に否定的だなどと感じるらしく
顔に思いっきり不快感を表したりすることもある。
はたまた、前の職場では、毎週のように「飲み」に誘う上司に
辟易していた。
「一体君はどういう飲みに誘えば付き合うのかね?」
と問われ、
「なんで、アフタ−5まであんたの顔見なきゃあかんねん?」
とは当然言えず、
「すみません。私、カラオケとビールが苦手なんです」
とは言ってはみたものの、
「では、ホテルのバーでの飲みならどうだ?」
と聞かれ、ヒールのかかとで奴を殴ってやりたい衝動に
駆られたりしていたのである。
ま、そんな話はおいておいて、
香港で香港人の人たちと混じって仕事をした人たちは
女性や若造に変な期待はしないのである。
そして、強いのである。
相手がどんな話をしてこようが、自分の話に相手がどんな反応を
しようがそれをスマートに受け止める度胸のある人が多いのである。
もちろん、日本人とばっかりつきあっていて
「暗黙の了解」世界から抜けられず、
そうはならない人もたくさんいるが。
その会には
考えてみたらすごいメンバーが集まった。
社長3人(しかも皆若い)、銀行員1人、商社マン1人、
ポジションは知らないけどMcKにお勤め1人、コンサルタント1人、
社長令嬢1人、社長令嬢で社長夫人1人(Jちゃん)、
そして私。笑)
皆ものすごく食べる食べる、飲む飲む、そしてしゃべるしゃべる。
楽しそうにしゃべるしゃべる。
一際うるさい一団だったけど、みんなの笑顔がよかったのだ。
気持ちよ〜く、日ごろのストレスを発散しているのだ。
み〜んな心に余裕があって、ユーモアを忘れないのだ。
めちゃくちゃ楽しかった。
話も楽しかった。
仕事の話をする時も皆スマート。
あ〜、香港に行っておいてよかった。
この人達と知り合いになってよかった。
最近、心から笑うことって少なかったから
めちゃくちゃ楽しかった。
また呼んでねん。
韓国焼肉を食べた。
(正確には、日本に帰ってきてから知り合った人たちがほとんどだけど。
でも、香港つながりの人たちなのだ。)
主催は、香港で数少ない同期(3人しかいないのよん)でもあり、
大親友のJちゃんの夫だ。
J・夫は何を隠そうヨット関係会社の社長である。
そう、この会はもともと香港日本人ヨット関係者の集まりだった。
が、今では香港つながりで、私のようなヨットとは関係のない人間も参加している。
ヨット……う〜ん、リッチな響きだ。
だが、
香港にいたころ、自分はヨット関係の人とは
ま〜ったく気が合わない、知り合いになることもないだろうと思っていた。
なんか、ヨットって聞くと石原軍団とかあっちの方に思考が
とんじゃって。
「歌謡ロマンの世界? だっせー」と思っていたのである。
そうじゃなかったら、香港在住白人雇われ社長とか
雇われエグゼクティブとか、そういう人たちだけの
コミュニティが出来上がっていて、アジア人は入っていけないなどと
考えていたのである。
実際、香港に住んでみるとわかるのだが、
香港という場所では「アジア系の人たち」と「西洋系の人たち」とでは
キッパリ住み分けが出来ている。
で、非常に驚く。
住むまでは、もっと2つの文化が融合しているのかと思ってたのに。
そんでもって、マカオなんかに遊びに行っちゃうと
よけいに香港の「キッパリ」が目立って見えるのである。
私はどちらかといえば、アチラ系が苦手だった。
なぜなら、「人種差別」ってものがどんなものかを
身を持って教えてくれたのがアチラの人だったからである。
ま、そんな話はおいといて、Jちゃんに誘われなかったら
絶対に知り合いになれなかったであろう人たちと知り合いになれた。
Jちゃん、サンキュー。
基本的には、私は香港に住んでいた日本人と話をするのが
好きである。
中華料理が嫌い、香港嫌い、香港人嫌い、香港人に仲良かった人
いませんという人は別であるが。
香港に住んでた経験があって、あるいは香港に住んでいて、
「香港の楽しさ」を語れる人は、心がオープンな人である
ことが多いからだ。(ま、香港に限らないけど。)
で、そういう人たちとは話していると楽しいし、安心するのだ。
え? それってどういうこと?
つまり、こういうことである。
幸か不幸か、日本で生まれ育ったくせに、私は香港で社会人生活をスタートしてしまった。
ということは、頭の中から
「女子=お茶くみ」とか
「女子=男子のアシスタント」とか
「女子=男性の話の聞き役」とか
「女子=男性の話に割って入っていかない」とか
「女子=男子と議論しない」とか
「女子=男子の話になんでも同意する」とか
「女子=いつも微笑んでいなければならない」とか
「新人=上司の飲みの誘いを断らない」とか
いうことが頭からスッポリ抜けてしまっているということなのだ。
今の職場で、男子と話をしているとしょっちゅう
「ボロクソ言いますね」などと言われてこっちが困惑することがある。
私はただ自分の思うところを述べただけなのに、相手は
私が相手を中傷したとか、相手に否定的だなどと感じるらしく
顔に思いっきり不快感を表したりすることもある。
はたまた、前の職場では、毎週のように「飲み」に誘う上司に
辟易していた。
「一体君はどういう飲みに誘えば付き合うのかね?」
と問われ、
「なんで、アフタ−5まであんたの顔見なきゃあかんねん?」
とは当然言えず、
「すみません。私、カラオケとビールが苦手なんです」
とは言ってはみたものの、
「では、ホテルのバーでの飲みならどうだ?」
と聞かれ、ヒールのかかとで奴を殴ってやりたい衝動に
駆られたりしていたのである。
ま、そんな話はおいておいて、
香港で香港人の人たちと混じって仕事をした人たちは
女性や若造に変な期待はしないのである。
そして、強いのである。
相手がどんな話をしてこようが、自分の話に相手がどんな反応を
しようがそれをスマートに受け止める度胸のある人が多いのである。
もちろん、日本人とばっかりつきあっていて
「暗黙の了解」世界から抜けられず、
そうはならない人もたくさんいるが。
その会には
考えてみたらすごいメンバーが集まった。
社長3人(しかも皆若い)、銀行員1人、商社マン1人、
ポジションは知らないけどMcKにお勤め1人、コンサルタント1人、
社長令嬢1人、社長令嬢で社長夫人1人(Jちゃん)、
そして私。笑)
皆ものすごく食べる食べる、飲む飲む、そしてしゃべるしゃべる。
楽しそうにしゃべるしゃべる。
一際うるさい一団だったけど、みんなの笑顔がよかったのだ。
気持ちよ〜く、日ごろのストレスを発散しているのだ。
み〜んな心に余裕があって、ユーモアを忘れないのだ。
めちゃくちゃ楽しかった。
話も楽しかった。
仕事の話をする時も皆スマート。
あ〜、香港に行っておいてよかった。
この人達と知り合いになってよかった。
最近、心から笑うことって少なかったから
めちゃくちゃ楽しかった。
また呼んでねん。
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小泉君。 おばさん、よ〜わからんけんね〜。
2001年8月13日今日の小泉君は、まるでアイドルがお忍びで
ショップでお買い物するように、靖国にご参拝したね。
(ち〜っともお忍びでないところがミソなんだな。このバ〜イ。)
だいたい、「私的に参拝」な〜んていいながら、献花する時も
記帳する時も自分の名前の上に「内閣総理大臣」なんて
書いちゃうところが浅はかなような気がしちゃうのは気のせいかな。
この問題を新聞で読んだときに、ふっと「ジョン・F・ケネディ Jr.」が
死んだ時のことを思い出した。
彼が死んだ時にアメリカでは、真剣に「彼にはアーリントン墓地に
埋葬される権利があるだろうか」という議論が交わされたという。
確か、アーリントンってお国のために功績を残した人と、
その配偶者、その子供(※)のみが埋葬される墓地なわけでしょ。
(※)確か、功績を残した人と住居を共にしていて、未成年でとか色々条件がついていたはず。
考えてみれば(考えてみなくても)、ジョン・F・ケネディ Jr.って人は
ジョン・F・ケネディ大統領の息子ってこと以外
とりたてて何もないわけなんだな。
まぁ、雑誌を創刊したりはしてるけど、国のために何かした
わけではぜ〜ん然ないわけ。
国民の「知りたい」欲望を満たしてくれはしたけどね。
いい男だったからね。
つまり、まったくただの人。私人なわけだ。
そして、死んだ当時36歳。
独立した大人。
それが何故、アーリントン?
おまけに何故、ホワイトハウスが半旗にするわけ?
と、あの時の私は大層胸を痛めつつも冷静にアメリカの反応を
見ていたわけなんだけど。
(え?なんで胸を痛めたか。 そりゃ〜、あ〜た。
好みの男だったからよ。)
その時、思ったのね。
あれ、ケネディってさぁ、アメリカで唯一
カソリックで大統領になった人じゃない?
そんな人がプロテスタントの歴代の大統領とおんなじところに
埋葬されるわけ?
それっていいの。
で、アメリカンに確認したところ、アーリントンはただの墓地なので
宗教は関係ないそうだ。
そ〜よねぇ〜。
関係あったら、問題よねぇ〜。
と、日本に戻るが、要はそこが問題なのだ。
靖国神社、改め靖国墓地にすりゃ〜いいのにねぇ。
そんでもって、A級戦犯は別の場所に移すの。
外国の方たちは、遺族が望めばお国に返してあげて、
特に遺族から何も意見がでなければ墓地の同じ敷地内に
別の宗教の教会、お寺なんかも作ってさ、そこで祀ってあげるの。
なんか、この問題って毎年毎年繰り返してる割りには
なんの進展もないじゃない。
いいかげんにしろって感じよね。
当事者は皆疲れてヘロヘロよ。
戦後何年たったと思ってるのよ。
宗教ってのは個人の問題であって、国が介入する問題じゃないじゃない。
だから、戦争で亡くなった人達を国でまとめて祀るって
実はとってもナンセンスなわけ。
なんで、こんな簡単なことに気付かないわけ??
おまけに遺族の意向は無視だしね。
よっくわかりませんよ、おばさんは。
ま〜ったく。
ショップでお買い物するように、靖国にご参拝したね。
(ち〜っともお忍びでないところがミソなんだな。このバ〜イ。)
だいたい、「私的に参拝」な〜んていいながら、献花する時も
記帳する時も自分の名前の上に「内閣総理大臣」なんて
書いちゃうところが浅はかなような気がしちゃうのは気のせいかな。
この問題を新聞で読んだときに、ふっと「ジョン・F・ケネディ Jr.」が
死んだ時のことを思い出した。
彼が死んだ時にアメリカでは、真剣に「彼にはアーリントン墓地に
埋葬される権利があるだろうか」という議論が交わされたという。
確か、アーリントンってお国のために功績を残した人と、
その配偶者、その子供(※)のみが埋葬される墓地なわけでしょ。
(※)確か、功績を残した人と住居を共にしていて、未成年でとか色々条件がついていたはず。
考えてみれば(考えてみなくても)、ジョン・F・ケネディ Jr.って人は
ジョン・F・ケネディ大統領の息子ってこと以外
とりたてて何もないわけなんだな。
まぁ、雑誌を創刊したりはしてるけど、国のために何かした
わけではぜ〜ん然ないわけ。
国民の「知りたい」欲望を満たしてくれはしたけどね。
いい男だったからね。
つまり、まったくただの人。私人なわけだ。
そして、死んだ当時36歳。
独立した大人。
それが何故、アーリントン?
おまけに何故、ホワイトハウスが半旗にするわけ?
と、あの時の私は大層胸を痛めつつも冷静にアメリカの反応を
見ていたわけなんだけど。
(え?なんで胸を痛めたか。 そりゃ〜、あ〜た。
好みの男だったからよ。)
その時、思ったのね。
あれ、ケネディってさぁ、アメリカで唯一
カソリックで大統領になった人じゃない?
そんな人がプロテスタントの歴代の大統領とおんなじところに
埋葬されるわけ?
それっていいの。
で、アメリカンに確認したところ、アーリントンはただの墓地なので
宗教は関係ないそうだ。
そ〜よねぇ〜。
関係あったら、問題よねぇ〜。
と、日本に戻るが、要はそこが問題なのだ。
靖国神社、改め靖国墓地にすりゃ〜いいのにねぇ。
そんでもって、A級戦犯は別の場所に移すの。
外国の方たちは、遺族が望めばお国に返してあげて、
特に遺族から何も意見がでなければ墓地の同じ敷地内に
別の宗教の教会、お寺なんかも作ってさ、そこで祀ってあげるの。
なんか、この問題って毎年毎年繰り返してる割りには
なんの進展もないじゃない。
いいかげんにしろって感じよね。
当事者は皆疲れてヘロヘロよ。
戦後何年たったと思ってるのよ。
宗教ってのは個人の問題であって、国が介入する問題じゃないじゃない。
だから、戦争で亡くなった人達を国でまとめて祀るって
実はとってもナンセンスなわけ。
なんで、こんな簡単なことに気付かないわけ??
おまけに遺族の意向は無視だしね。
よっくわかりませんよ、おばさんは。
ま〜ったく。
うるさい君の命短し
2001年8月6日何度も書いているが、私は恐ろしく寝起きが悪い。
ので、普段目覚まし時計を2つ使っている。
実はそれでも起きられず、朝気付くと目覚ましが2つとも
止まっていたなんてことがしょっちゅうである。
ところが今朝は珍しく、目覚ましの音が規則的に聞こえている間に
目が覚めた。
目を閉じたまま、手前の時計に手をのばした。
…………とめてある。これじゃないほうか。
もう1つの方に手をのばす。
…………こちらもとめてある。じゃあ、なんだ、あの音は??
ザ〜とも、ジ〜とも、ズ〜ともつかない規則的な音が
ず〜っと響いているのだ。
もしや、夢? いや、それにしては騒がしい。
う〜、うるさい〜。
と頭をあげると、ベッド脇の窓に黒い影が……。
………う〜、なんだよ〜。
はっ、もしや……。
そう、そのもしや、である。
さっきから響いているその音は、あるところで急に変化した……。
…………あ、いや、そんな、やめて〜……(汗)
それは、やめなかった。
ジ〜、ズ、ズ〜………ウィ〜ン、ウィ〜ン……(間)
み〜ん、み〜ん、み〜ん、み〜ん、み〜ん!!!!!!
ああああああぁぁぁ〜。
その後私が居間に避難し、さらに眠りつづけたのは言うまでもない。
ちなみに時刻は10時だった。
今日は18:00の会議までに出社すればよかったんだもん。
ので、普段目覚まし時計を2つ使っている。
実はそれでも起きられず、朝気付くと目覚ましが2つとも
止まっていたなんてことがしょっちゅうである。
ところが今朝は珍しく、目覚ましの音が規則的に聞こえている間に
目が覚めた。
目を閉じたまま、手前の時計に手をのばした。
…………とめてある。これじゃないほうか。
もう1つの方に手をのばす。
…………こちらもとめてある。じゃあ、なんだ、あの音は??
ザ〜とも、ジ〜とも、ズ〜ともつかない規則的な音が
ず〜っと響いているのだ。
もしや、夢? いや、それにしては騒がしい。
う〜、うるさい〜。
と頭をあげると、ベッド脇の窓に黒い影が……。
………う〜、なんだよ〜。
はっ、もしや……。
そう、そのもしや、である。
さっきから響いているその音は、あるところで急に変化した……。
…………あ、いや、そんな、やめて〜……(汗)
それは、やめなかった。
ジ〜、ズ、ズ〜………ウィ〜ン、ウィ〜ン……(間)
み〜ん、み〜ん、み〜ん、み〜ん、み〜ん!!!!!!
ああああああぁぁぁ〜。
その後私が居間に避難し、さらに眠りつづけたのは言うまでもない。
ちなみに時刻は10時だった。
今日は18:00の会議までに出社すればよかったんだもん。
これは神のお導き?
2001年8月5日土曜日の校了明けがだいたい午前9:30だった。
殆ど2日間完徹だったので、体がだるい。
本当だったら即効家に帰って寝に入っただろう。
が、しかし、私はそうはしなかった。
表参道、10:50
Sメール(リフレクソロジーの店)に電話。
なんだか、徹夜のお陰で血はドロドロ、足はカチカチ。
ここはひとつ、プロにモミモミしてもらおうと思ったのである。
私「あ、天照大神です。どうも〜。
ちょっと2日ばかり寝ていないんで、めちゃくちゃ痛いと思います。
痛めつけてください。」
Sさん「あはは〜♪ お待ちしてま〜す。」
通い始めてわかったことは、Sさんがサドだということ。笑)
足の裏を揉まれて、私がヒィヒィ言うたびに、
異常に嬉しそうに「あっら〜、これは今一気に揉みほぐしちゃった
ほうがいいわね。ちんたらほ・ぐ・すより」と言って微笑むと
満身の力をこめてグリグリ〜っと揉んでくれるのだ。
14:00
散々痛めつけられ体が軽くなった私は、散歩することを
思い立った。
2日間ほとんど寝ていないのに、である。
相当ラリっていたらしい。
ブラブラと表参道を原宿方面へ歩いているうちに、ふっと私の頭の中を
何かがよぎった。
「某大手商社、ブーツを見放す。」
あ、そうだ。
ブーツに行ってみよう。
店じまいがいつかはニュースでは言っていなかったけど
そろそろ閉店セールをしてるかも。
予感は的中。
店内は全品半額だった。
(内心、『ちっ、たったの半額か』とは思ったけど。笑)
すでにブーツ店内は、品薄状態になっていた。
人気商品の棚はまるで盗人がとおった後のように。
それでも、私は欲しいものを無事にゲットできた。
月曜日にも来ることを心に誓い、店を後に。
そして、今日。
狂乱が終わり、たっぷり睡眠をとった後の私に
母がある提案をしてきた。
お散歩に行きましょ。
今日は涼しいから、散歩日和だね。
早速、2人で駅方面へ繰り出す。
と、駅ビルの中で、とある店が閉店セール。
ウハウハと買い物をする。
駅ビルを出て歩きながら気付いたのだが、
なぜかやたらと閉店セールや改装前うりつくしセールに
行き当たる。
いや〜ん。 もうお財布がスカスカなのに〜。
と言いながら、またウハウハセール会場に。
一体、どうしたというのだ。
ここ数年、物欲がないのが悩みだったのに。
ここ数日、私は買い物ばかりしている。
かといって、物欲にとらわれすぎているわけではないのだ。
決して、プロパーで品物を買わないあたりがそれを物語っている。
しかし、これだけセールをやっている店にあたっていれば、
「あ、これ。この値段だったらいっか。買っちゃおう」と思わせる
ようなものに必ずあたってしまうのだ。
それを、まるでつまみ食いのようにポツポツと買っていってしまうのである。
今まで眠らせていたカードをバリバリ使い始めたので
カード会社から心配(確認)の電話がくるんじゃないかと思うほどだ。笑)
もしや、これは(私以外の)神のお導き?
いやいや、上半期で結果を出せなかった店が……。
いや、そんな考えは捨てよう。
これは運命なのだ。
そう、そして、
宇宙の創造主からの、私へのメッセージなのだ。
お金は口座から引き落としとくから、来月からまた
きばって仕事してねっていうメッセージなのだ。
ちっ。
殆ど2日間完徹だったので、体がだるい。
本当だったら即効家に帰って寝に入っただろう。
が、しかし、私はそうはしなかった。
表参道、10:50
Sメール(リフレクソロジーの店)に電話。
なんだか、徹夜のお陰で血はドロドロ、足はカチカチ。
ここはひとつ、プロにモミモミしてもらおうと思ったのである。
私「あ、天照大神です。どうも〜。
ちょっと2日ばかり寝ていないんで、めちゃくちゃ痛いと思います。
痛めつけてください。」
Sさん「あはは〜♪ お待ちしてま〜す。」
通い始めてわかったことは、Sさんがサドだということ。笑)
足の裏を揉まれて、私がヒィヒィ言うたびに、
異常に嬉しそうに「あっら〜、これは今一気に揉みほぐしちゃった
ほうがいいわね。ちんたらほ・ぐ・すより」と言って微笑むと
満身の力をこめてグリグリ〜っと揉んでくれるのだ。
14:00
散々痛めつけられ体が軽くなった私は、散歩することを
思い立った。
2日間ほとんど寝ていないのに、である。
相当ラリっていたらしい。
ブラブラと表参道を原宿方面へ歩いているうちに、ふっと私の頭の中を
何かがよぎった。
「某大手商社、ブーツを見放す。」
あ、そうだ。
ブーツに行ってみよう。
店じまいがいつかはニュースでは言っていなかったけど
そろそろ閉店セールをしてるかも。
予感は的中。
店内は全品半額だった。
(内心、『ちっ、たったの半額か』とは思ったけど。笑)
すでにブーツ店内は、品薄状態になっていた。
人気商品の棚はまるで盗人がとおった後のように。
それでも、私は欲しいものを無事にゲットできた。
月曜日にも来ることを心に誓い、店を後に。
そして、今日。
狂乱が終わり、たっぷり睡眠をとった後の私に
母がある提案をしてきた。
お散歩に行きましょ。
今日は涼しいから、散歩日和だね。
早速、2人で駅方面へ繰り出す。
と、駅ビルの中で、とある店が閉店セール。
ウハウハと買い物をする。
駅ビルを出て歩きながら気付いたのだが、
なぜかやたらと閉店セールや改装前うりつくしセールに
行き当たる。
いや〜ん。 もうお財布がスカスカなのに〜。
と言いながら、またウハウハセール会場に。
一体、どうしたというのだ。
ここ数年、物欲がないのが悩みだったのに。
ここ数日、私は買い物ばかりしている。
かといって、物欲にとらわれすぎているわけではないのだ。
決して、プロパーで品物を買わないあたりがそれを物語っている。
しかし、これだけセールをやっている店にあたっていれば、
「あ、これ。この値段だったらいっか。買っちゃおう」と思わせる
ようなものに必ずあたってしまうのだ。
それを、まるでつまみ食いのようにポツポツと買っていってしまうのである。
今まで眠らせていたカードをバリバリ使い始めたので
カード会社から心配(確認)の電話がくるんじゃないかと思うほどだ。笑)
もしや、これは(私以外の)神のお導き?
いやいや、上半期で結果を出せなかった店が……。
いや、そんな考えは捨てよう。
これは運命なのだ。
そう、そして、
宇宙の創造主からの、私へのメッセージなのだ。
お金は口座から引き落としとくから、来月からまた
きばって仕事してねっていうメッセージなのだ。
ちっ。
とうとうきたよ。
2001年8月2日なんかさぁ〜、そりゃないと思うのよね〜。
ふつーの雑誌なら今ごろはとっくの昔に校了(編集者の締め切り)して、皆家で惰眠を貪ってるころよね〜。
それなのに、それなのに〜。
うちではやっとデザイン校(初校とも言う)が出たってんだから。
っつぅ〜ことは、つまり、
このあとに文字校(再校とも言う)、校了が控えているんだけど
その工程を1日でやれってわけよ。
皆普通は4、5日かけんのに。
できるかって〜の。
おかしいと思ったのよ。
だって、今月は早く入稿したのに、待てど暮らせど
原稿が帰ってこない。
お陰で、3日間もその日のうちに家に帰れちゃったわ。
この時期に家に帰れるって言われると、一気にブルーになっちゃうのよねぇ〜。
だって、しわ寄せが後で一気にくるってことじゃな〜い。
校了日なんて先延ばしできないんだからさ〜。
他の雑誌だったら、とっくの昔にもう編集部に本の搬入があるはずなのに〜。
昨日の夜から編集部にいるのに、今日の夜も徹夜確定。
うが〜〜。
…………眠い。
眠いわ〜。
もう、徹夜なんてできない年なんだから
ちょっとは考えてよっ!!
ふつーの雑誌なら今ごろはとっくの昔に校了(編集者の締め切り)して、皆家で惰眠を貪ってるころよね〜。
それなのに、それなのに〜。
うちではやっとデザイン校(初校とも言う)が出たってんだから。
っつぅ〜ことは、つまり、
このあとに文字校(再校とも言う)、校了が控えているんだけど
その工程を1日でやれってわけよ。
皆普通は4、5日かけんのに。
できるかって〜の。
おかしいと思ったのよ。
だって、今月は早く入稿したのに、待てど暮らせど
原稿が帰ってこない。
お陰で、3日間もその日のうちに家に帰れちゃったわ。
この時期に家に帰れるって言われると、一気にブルーになっちゃうのよねぇ〜。
だって、しわ寄せが後で一気にくるってことじゃな〜い。
校了日なんて先延ばしできないんだからさ〜。
他の雑誌だったら、とっくの昔にもう編集部に本の搬入があるはずなのに〜。
昨日の夜から編集部にいるのに、今日の夜も徹夜確定。
うが〜〜。
…………眠い。
眠いわ〜。
もう、徹夜なんてできない年なんだから
ちょっとは考えてよっ!!
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今日は1ページだけの校了
2001年7月30日今日は珍しく早く家に帰れた。
いいことだ。
最近なんだかんだ言って疲れ気味。
暑さも手伝ってね。
ここしばらく、人間とは思えない生活をしていたので
性格は荒むは、肌は荒れるわ。
おまけに、GWはぶっつぶれるわ、夏休みの旅行の計画はおじゃんになるわ。
やけっぱちになって、自分を捨てている気がする。
気がするんじゃなくて、捨てている。
いけない。
よくないよ。
緊張感を取り戻さなきゃ。
やっぱり、スッピンで会社に行っちゃうのはマズいよね。
(って、多いんですよ。 ここの会社にはそういう人。
でも、自分も真似する必要はないっての。)
まぁ、でもね。
確かに周りの人たちをみていると、
あの中でちゃんと服装に気を使って、
化粧をしていくのはバカバカしく感じるのよねぇ〜。
でもでもでも、他人は他人、自分は自分さ。
------------とゆーけで昨日買い物しまくりました。
(時間が前後していますが。 笑)
ワンピース 2枚、
スリーシーズン着れるニット 1枚、
レザーパンツ 1枚
サンダル 2足
……満足。
さ〜て、明日からバリバリ化粧してくぞ〜!!!
−−−−−−−−などと言っていると
いきなり徹夜する羽目になったり
するんだよなぁ〜。 涙)
いいことだ。
最近なんだかんだ言って疲れ気味。
暑さも手伝ってね。
ここしばらく、人間とは思えない生活をしていたので
性格は荒むは、肌は荒れるわ。
おまけに、GWはぶっつぶれるわ、夏休みの旅行の計画はおじゃんになるわ。
やけっぱちになって、自分を捨てている気がする。
気がするんじゃなくて、捨てている。
いけない。
よくないよ。
緊張感を取り戻さなきゃ。
やっぱり、スッピンで会社に行っちゃうのはマズいよね。
(って、多いんですよ。 ここの会社にはそういう人。
でも、自分も真似する必要はないっての。)
まぁ、でもね。
確かに周りの人たちをみていると、
あの中でちゃんと服装に気を使って、
化粧をしていくのはバカバカしく感じるのよねぇ〜。
でもでもでも、他人は他人、自分は自分さ。
------------とゆーけで昨日買い物しまくりました。
(時間が前後していますが。 笑)
ワンピース 2枚、
スリーシーズン着れるニット 1枚、
レザーパンツ 1枚
サンダル 2足
……満足。
さ〜て、明日からバリバリ化粧してくぞ〜!!!
−−−−−−−−などと言っていると
いきなり徹夜する羽目になったり
するんだよなぁ〜。 涙)
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……いやだよ、こんな看護婦がいたら。
2001年7月29日最近休日の度に私が家族の運転手になっているのには
訳がある。
実は私、来年「おばさん」になるのである。
姉のお腹にはお子様がいらっしゃるわけである。
ちなみにこの姉、「年越しピー」「のれんくぐり」の姉ではない。
(元旦及び1月8日の日記を参照ください。)
私には姉が2人いるのである。
ちなみに、この「子を宿している姉」を私達は「女王様」と
呼んでいる。
なぜなら、「エラそうだが、人から頼まれごとをすると断らない」からである。
まるで、英国王室の「ロイヤルデューティ」を実践しているような
人だからである。
さて、この女王様実は結構ツワリがひどく、
王様(女王様の夫)のご飯をつくるのもままならない。
が、訳あって王様は土日は1日中外にいて、外食をしてくることが
しょっちゅうなので、その間我が家では女王様をお招きし、
気晴らしをしていただくのだ。
(女王様はもちろんご飯もうちで食べていく。食べれるものを
食べれる量だけ。)
その際の、王宮から拙宅までの送り迎えを仰せつかっているのが私なのである。
……あら、ちょっと待って。
私は女神なのよ。
なんで、人間の女王に私が敬語使うわけ?
まっいっか。
さて、実はこの話は先々週の日曜日の話である。
(古くて、ごめん。笑)
女王様を迎えに行くついでに夕飯の買い物をすることになった。
女王様は歩き回れないし、1人にすることができないので
「運転係」の私と「買い物係」の姉が車に乗り込むことになった。
まず、女王様をひろって(王宮は駅の反対側にある)、
駅ビルに向かった。
そこで駅ビルの駐車場に入ろうとしたが、そこで女王様が
「あの屋上駐車場までの、イロハ坂のような
グルグル坂に私は耐えられない」とのたまわったのである。
そこで、私達は駐車場に車を停めることをあきらめ、
姉は買い物に、私と女王様は路駐の車の中で姉の帰りを待つことにした。
私「早く戻ってきてね〜。 女王様あんまり起きて座っていられないから。」
姉「は〜い。」
…………20分経過
女王様「ねぇ、天照大神ちゃん、私気持ち悪くなっちゃった。」
私「え? だ、大丈夫? じゃないか。」
女王様「まだ、大丈夫だけど、早く家に帰りたい。
なんか、人の多さに酔っちゃう。」
私「わかった。 おねーちゃんが帰ってきたら
できるだけ静かに運転してすぐ家(拙宅)にかえろ〜ね〜。」
女王様「…うん。」
…………さらに20分経過
私「おかしいなぁ。確か、刺身を買うだけのはずなのに。」
私、姉のケータイに電話する。
私「プルルルプルルル……
あ、おねーちゃん、何やってんの?
お刺身買うだけでしょ。
女王様、気持ち悪いってゆ〜から早く帰ってきてよ。
どこにいるのよ??」
姉「え? 試食コーナー。」
私「…………」
そう。
過去の日記に書いたと〜り、姉は健康優良児だった。
体力があるだけでなく、あまり病気になったこともない。
気持ち悪くなって吐いたこともない。
「あるよ」← とは車に戻ってから女王様と私から批難を
浴びせかけられた時の姉の弁
女王様「それって2日酔いじゃないよね、まさか。」
姉「あ……。」
女王様「私、おねーちゃんみたいな看護婦がいたら
絶対やだ。 健康すぎて病人の痛みがわかんないの。
こんなに気持ち悪いのに試食コーナーで
試食しまくっているなんて。」
私「そうだ、そうだ。
早く戻るっていったくせに。」
姉「だって、おいしいものは逃したくないじゃない〜。」
女王様・私「信じられな〜い!!!!!」
===================
とココから先は今日の話である。
姉の体調も大分よくなり、今日は近所のSATYでお買い物である。
当然運転手は私。
実は私達は出発前にTVで「香港グルメ旅」なる番組を見ていたのである。
車中での会話は自然と旅行の話に---。
女王様「あ〜あ〜、香港行きた〜い。
旅行行きた〜い。
私なんて来月のハワイ旅行もキャンセルしなくちゃ
なんなくなっちゃったし、つまんな〜い。」
(注:来月、王様の妹がワイハで挙式をあげることになったのだが
当然女王様は日本でお留守番である。)
私「行きたいよね〜。 香港。」
女王様「来年、一緒に行っちゃおうか〜?」
私「え? 子供どうすんのよ?」
女王様「この間お母さんがね、私が頼みもしないのに
『たまには子供を預けて遊んできてもいいのよ』って
言ってくれたの。」
私「は〜? それって「日帰り」って意味じゃないの?」
女王様「え? そうかな? (と人差し指をあごにあて、目を
パチパチさせる)」
私「…………。 だいたい、どういう話の流れでそうなったの?」
女王様「うん? ちょうどTVで乳児虐待のニュースやってた時。」
私「それは絶対、日帰りって意味だよ。
子育てでストレス溜めないようにとの配慮でしょ〜が。
そんな乳幼児置いて海外旅行なんてお母さんが許すはずが
ない!!」
女王様「そ〜かな〜。」
私「あんた、そんな無茶な……。」
女王様「たまには旅行に行きたいもんね〜。」
(と、お腹をなでる)
まぁ、旅行に行きたいって思えるようになっただけでも
いっか。
訳がある。
実は私、来年「おばさん」になるのである。
姉のお腹にはお子様がいらっしゃるわけである。
ちなみにこの姉、「年越しピー」「のれんくぐり」の姉ではない。
(元旦及び1月8日の日記を参照ください。)
私には姉が2人いるのである。
ちなみに、この「子を宿している姉」を私達は「女王様」と
呼んでいる。
なぜなら、「エラそうだが、人から頼まれごとをすると断らない」からである。
まるで、英国王室の「ロイヤルデューティ」を実践しているような
人だからである。
さて、この女王様実は結構ツワリがひどく、
王様(女王様の夫)のご飯をつくるのもままならない。
が、訳あって王様は土日は1日中外にいて、外食をしてくることが
しょっちゅうなので、その間我が家では女王様をお招きし、
気晴らしをしていただくのだ。
(女王様はもちろんご飯もうちで食べていく。食べれるものを
食べれる量だけ。)
その際の、王宮から拙宅までの送り迎えを仰せつかっているのが私なのである。
……あら、ちょっと待って。
私は女神なのよ。
なんで、人間の女王に私が敬語使うわけ?
まっいっか。
さて、実はこの話は先々週の日曜日の話である。
(古くて、ごめん。笑)
女王様を迎えに行くついでに夕飯の買い物をすることになった。
女王様は歩き回れないし、1人にすることができないので
「運転係」の私と「買い物係」の姉が車に乗り込むことになった。
まず、女王様をひろって(王宮は駅の反対側にある)、
駅ビルに向かった。
そこで駅ビルの駐車場に入ろうとしたが、そこで女王様が
「あの屋上駐車場までの、イロハ坂のような
グルグル坂に私は耐えられない」とのたまわったのである。
そこで、私達は駐車場に車を停めることをあきらめ、
姉は買い物に、私と女王様は路駐の車の中で姉の帰りを待つことにした。
私「早く戻ってきてね〜。 女王様あんまり起きて座っていられないから。」
姉「は〜い。」
…………20分経過
女王様「ねぇ、天照大神ちゃん、私気持ち悪くなっちゃった。」
私「え? だ、大丈夫? じゃないか。」
女王様「まだ、大丈夫だけど、早く家に帰りたい。
なんか、人の多さに酔っちゃう。」
私「わかった。 おねーちゃんが帰ってきたら
できるだけ静かに運転してすぐ家(拙宅)にかえろ〜ね〜。」
女王様「…うん。」
…………さらに20分経過
私「おかしいなぁ。確か、刺身を買うだけのはずなのに。」
私、姉のケータイに電話する。
私「プルルルプルルル……
あ、おねーちゃん、何やってんの?
お刺身買うだけでしょ。
女王様、気持ち悪いってゆ〜から早く帰ってきてよ。
どこにいるのよ??」
姉「え? 試食コーナー。」
私「…………」
そう。
過去の日記に書いたと〜り、姉は健康優良児だった。
体力があるだけでなく、あまり病気になったこともない。
気持ち悪くなって吐いたこともない。
「あるよ」← とは車に戻ってから女王様と私から批難を
浴びせかけられた時の姉の弁
女王様「それって2日酔いじゃないよね、まさか。」
姉「あ……。」
女王様「私、おねーちゃんみたいな看護婦がいたら
絶対やだ。 健康すぎて病人の痛みがわかんないの。
こんなに気持ち悪いのに試食コーナーで
試食しまくっているなんて。」
私「そうだ、そうだ。
早く戻るっていったくせに。」
姉「だって、おいしいものは逃したくないじゃない〜。」
女王様・私「信じられな〜い!!!!!」
===================
とココから先は今日の話である。
姉の体調も大分よくなり、今日は近所のSATYでお買い物である。
当然運転手は私。
実は私達は出発前にTVで「香港グルメ旅」なる番組を見ていたのである。
車中での会話は自然と旅行の話に---。
女王様「あ〜あ〜、香港行きた〜い。
旅行行きた〜い。
私なんて来月のハワイ旅行もキャンセルしなくちゃ
なんなくなっちゃったし、つまんな〜い。」
(注:来月、王様の妹がワイハで挙式をあげることになったのだが
当然女王様は日本でお留守番である。)
私「行きたいよね〜。 香港。」
女王様「来年、一緒に行っちゃおうか〜?」
私「え? 子供どうすんのよ?」
女王様「この間お母さんがね、私が頼みもしないのに
『たまには子供を預けて遊んできてもいいのよ』って
言ってくれたの。」
私「は〜? それって「日帰り」って意味じゃないの?」
女王様「え? そうかな? (と人差し指をあごにあて、目を
パチパチさせる)」
私「…………。 だいたい、どういう話の流れでそうなったの?」
女王様「うん? ちょうどTVで乳児虐待のニュースやってた時。」
私「それは絶対、日帰りって意味だよ。
子育てでストレス溜めないようにとの配慮でしょ〜が。
そんな乳幼児置いて海外旅行なんてお母さんが許すはずが
ない!!」
女王様「そ〜かな〜。」
私「あんた、そんな無茶な……。」
女王様「たまには旅行に行きたいもんね〜。」
(と、お腹をなでる)
まぁ、旅行に行きたいって思えるようになっただけでも
いっか。