A Single Man シングルマン
2010年12月1日 音楽
実はこの映画の感想を小3時間くらい考えているんだけど、
全然うまくまとまらない。
想像の翼を広げすぎて、本筋からだーいぶ外れた妄想になっちゃってるから、
まとまるはずもないんだけど。
そんなわけで、映画を観てない人はもちろん、観た人にも理解出来ない文章を
書いてしまったので、そのまま載せてみようと思う。(わ~、私ってチャレンジャー!!)
当然、オチはありまへん。
正直、最初と最後だけありゃーいいんじゃね? と思うけどね。
だから、後で書きなおすかもしれないし、書きなおさないかもしれない。
いや、消してしまうかもしれない。
けど、とりあえず。
********************************
時は、キューバのミサイル危機真っ只中の1962年。
舞台はロサンゼルス。
(夜霧のネオンサインさん、すみません。パクリました。てへ)
大学教授のジョージ(コリン・ファース)はある日、長年の恋人、ジムと愛犬を
交通事故で突然亡くす。
葬式に行こうにも、ジムの家族からは「来ないでほしい」と断られてしまい、
(当時はゲイなんて今より認められてないもんね~)
気持ちのやり場がないジョージは、生きている意味を見いだせなくなってしまう。
とりあえず、近所に住むかつての恋人、チャーリー(女・ジュリアン・ムーア)の元へ
駆け込み泣き崩れる。
泣きつかれたチャーリーは、ジョージと別れた後に結婚して子供を産むも夫とは別れ、
子供も自分の元を巣立って(?)しまい、「自分には何も残されていない」と人生に絶望していた。
お互いを慰めあう2人(と言っても、一線は越えない。超える気配もない)。
しかし、ジョージは「死ぬこと」を考えていた。
そんなジョージに近付く若者がいた。
大学の教え子だ。(名前忘れた)
教え子は心の中のもやもやをジョージに吐露し、ジョージに近付いていく。
彼の悩みは「ボクチンってば、もしかしたらゲイなのかも」なのだと観客には分かるのだが、
彼本人は気付かない。もしかしたら、ジョージも気付いていないのかも。
ある夜、ジョージと学生は海で素っ裸で泳ぐ。
彼の若さと肉体を目の当たりにしたジョージは生唾をごっくんと飲むのだが、
物語は、ジョージが言うところの「あるべき姿に戻って」いく。
肝心なところがボヤケているのはネタバレを防ぐため。ごめんちゃい。
ちなみにベッドシーンは出てこない。
あ、ジョージの放尿シーンはある。(音と表情だけだけど。なんか妙に……(ry )
****************************:
あぁ、苦悩するコリン・ファースをずーっとずーっと眺めていられるなんて、
なんて贅沢な映画。
と思いつつも、ある疑問を払拭できないまま映画が終わってしまった。
****************************
この映画には、2種類の人間しか出てこない。
ゲイの男たち、そして、母親チックな女たち。
「現在(相手の瞳とか肉体)の中に永遠を見ているゲイ」と
「将来を見据えて現在を生きるしたたかな家庭の妻・母親たち」の2種類。
そして、「永遠」を失った男の苦悩と、家族を失い「将来」を見いだせない女の苦悩が
交錯したとき、やっぱりロマンスは生まれなかった。
”どうしてこの映画には女の人が出てくるんだろう”。
多分、女の人がいなくても成立したんだじゃないだろうか。
ゲイ男にとっての生きる意味と、母親チックな女にとっての生きる意味。
どうしてこの2つを対比させる必要があったんだろう。
ゲイ男と、ゲイじゃない男でもよかったんじゃないだろうか。
ゲイじゃない男の影が薄すぎて、「ゲイじゃない男はいらない。彼らには関心も持っていない」
という声が聞こえたような気がした。
そして、女はすべからく「母親」という要素を持っていないといけないのだろうか、という疑問も
湧いてきた。
これって、女の存在意義は「やっぱり」子供を産み育てること、だという観念に
取り憑かれているせいだろうな、と思った。
トム・フォードの「自分はゲイだけど、保守的なんだ。だから、女性には母親でいて欲しいんだ。
みんな、ゲイ=革新的だなんて思うのは勘違いだぜ」という心の声なんだろうな、と思った。
確かトム・フォードはテキサスの出身。
保守的な土地で育ったがゆえにゲイであることに苦悩してきたんだろうなぁ~。
その点、女の人はいろんな意味で(当時は)男に依存しないと生きていけないから、
結局は男と共に家族を作って生きていく、そしてそれに満足することでしか輝けない、
と思ってるんじゃないかな。
そう考えると、トム・フォードがグッチで革新的なファッションを生み出したと話題になった
あのテラテラしたブラウスは、やっぱり「中性らしさ」を出したことで折り合いを
つけたものだったんだろうなぁ~と思う。
だって、彼は多分、女に「セクシー」なところを見出していなかった。
女はみんな、母親だもん。
母親にはセクシーさを感じないものだ。
でも、あの頃のトムは「セクシー・セクシー・セクシー」とセクシーを連発していた。
いくら仕事のためとはいえ、見えないものは見い出せない。
そこで、中性らしさを狙ったことで、それまでの「フェミニン」とは違うものを
生み出したんじゃないだろうか。
彼はそれに「セクシー」と名付けた。
そしたら、たくさんミューズが現れた。
あのテラテラしたブラウスを着て時代を表現したのはスーパーモデルであり、
マドンナだった。
スーパーモデルは女性から見たらセクシーだったけど、
男の人から見たら、実際どうだったんだろう。
背は高いは、足はデカイ。
美しいけれど、どこかアンドロギュヌス的なものに男の人は生身の女性としてのセクシーさを
見ることができたんだろうか。
モデルが本当に「女」のものになったのは、あのスーパーモデルブームからだと思う。
美しいけれど個性的で中性的なイネス・ド・フラサンジュがシャネルの専属モデルになった時、
それはものすごくセンセーショナルだったけど、それは彼女だけの話だった。
モデルが服を超えたところで目立つことって、それ以前はほとんどなかったんだと思う。
そして、スーパーモデルブームに乗ってきたモデルはほとんどが、「モデル」の延長線上でも
情報を発信し、今までの女とは違うところ、今まで男が担ってところで情報を発信し始めた。
マドンナは既に母親だったけど、そういう意味では「男」だからね。
ゲイにも人気だったし。(今は知らんけど)
やっぱり、女を女からひっぺがしたところに「セクシーさ」を見出そうとしたんだな。
、
という気がしてならない。
男がフリルなんかを身につけたグラムロックと同じね。
性を超えたところに「セクサーさ」を見る、というかね。
*************************
それにしても、トム・フォードのこだわり方って、いかにもこだわるゲイのこだわりって感じだ。(笑)
ファッションやインテリアにもそれが現れているんだけど、
ジョージが机の上に財布や鍵、洋服、靴を整然と並べ始めたときには、頭がクラクラした。
ありゃー、美意識というよりも、こだわりだ。
今回、私が「あぁ、これってすごい美意識だな」と感じたのは、ジョージ役にコリン・ファースを起用したこと。
彼でなければ、男を見るときの視線の動かし方が陳腐になってたと思うし、
ただのおっさんの苦悩に見えちゃったと思う。
苦悩することでエロティシズムを的確に表現するコリンだけが、あの役を表現できた。
トム・フォードのその美意識の高さには文句の付けようがないと思う。
全然うまくまとまらない。
想像の翼を広げすぎて、本筋からだーいぶ外れた妄想になっちゃってるから、
まとまるはずもないんだけど。
そんなわけで、映画を観てない人はもちろん、観た人にも理解出来ない文章を
書いてしまったので、そのまま載せてみようと思う。(わ~、私ってチャレンジャー!!)
当然、オチはありまへん。
正直、最初と最後だけありゃーいいんじゃね? と思うけどね。
だから、後で書きなおすかもしれないし、書きなおさないかもしれない。
いや、消してしまうかもしれない。
けど、とりあえず。
********************************
時は、キューバのミサイル危機真っ只中の1962年。
舞台はロサンゼルス。
(夜霧のネオンサインさん、すみません。パクリました。てへ)
大学教授のジョージ(コリン・ファース)はある日、長年の恋人、ジムと愛犬を
交通事故で突然亡くす。
葬式に行こうにも、ジムの家族からは「来ないでほしい」と断られてしまい、
(当時はゲイなんて今より認められてないもんね~)
気持ちのやり場がないジョージは、生きている意味を見いだせなくなってしまう。
とりあえず、近所に住むかつての恋人、チャーリー(女・ジュリアン・ムーア)の元へ
駆け込み泣き崩れる。
泣きつかれたチャーリーは、ジョージと別れた後に結婚して子供を産むも夫とは別れ、
子供も自分の元を巣立って(?)しまい、「自分には何も残されていない」と人生に絶望していた。
お互いを慰めあう2人(と言っても、一線は越えない。超える気配もない)。
しかし、ジョージは「死ぬこと」を考えていた。
そんなジョージに近付く若者がいた。
大学の教え子だ。(名前忘れた)
教え子は心の中のもやもやをジョージに吐露し、ジョージに近付いていく。
彼の悩みは「ボクチンってば、もしかしたらゲイなのかも」なのだと観客には分かるのだが、
彼本人は気付かない。もしかしたら、ジョージも気付いていないのかも。
ある夜、ジョージと学生は海で素っ裸で泳ぐ。
彼の若さと肉体を目の当たりにしたジョージは生唾をごっくんと飲むのだが、
物語は、ジョージが言うところの「あるべき姿に戻って」いく。
肝心なところがボヤケているのはネタバレを防ぐため。ごめんちゃい。
ちなみにベッドシーンは出てこない。
あ、ジョージの放尿シーンはある。(音と表情だけだけど。なんか妙に……(ry )
****************************:
あぁ、苦悩するコリン・ファースをずーっとずーっと眺めていられるなんて、
なんて贅沢な映画。
と思いつつも、ある疑問を払拭できないまま映画が終わってしまった。
****************************
この映画には、2種類の人間しか出てこない。
ゲイの男たち、そして、母親チックな女たち。
「現在(相手の瞳とか肉体)の中に永遠を見ているゲイ」と
「将来を見据えて現在を生きるしたたかな家庭の妻・母親たち」の2種類。
そして、「永遠」を失った男の苦悩と、家族を失い「将来」を見いだせない女の苦悩が
交錯したとき、やっぱりロマンスは生まれなかった。
”どうしてこの映画には女の人が出てくるんだろう”。
多分、女の人がいなくても成立したんだじゃないだろうか。
ゲイ男にとっての生きる意味と、母親チックな女にとっての生きる意味。
どうしてこの2つを対比させる必要があったんだろう。
ゲイ男と、ゲイじゃない男でもよかったんじゃないだろうか。
ゲイじゃない男の影が薄すぎて、「ゲイじゃない男はいらない。彼らには関心も持っていない」
という声が聞こえたような気がした。
そして、女はすべからく「母親」という要素を持っていないといけないのだろうか、という疑問も
湧いてきた。
これって、女の存在意義は「やっぱり」子供を産み育てること、だという観念に
取り憑かれているせいだろうな、と思った。
トム・フォードの「自分はゲイだけど、保守的なんだ。だから、女性には母親でいて欲しいんだ。
みんな、ゲイ=革新的だなんて思うのは勘違いだぜ」という心の声なんだろうな、と思った。
確かトム・フォードはテキサスの出身。
保守的な土地で育ったがゆえにゲイであることに苦悩してきたんだろうなぁ~。
その点、女の人はいろんな意味で(当時は)男に依存しないと生きていけないから、
結局は男と共に家族を作って生きていく、そしてそれに満足することでしか輝けない、
と思ってるんじゃないかな。
そう考えると、トム・フォードがグッチで革新的なファッションを生み出したと話題になった
あのテラテラしたブラウスは、やっぱり「中性らしさ」を出したことで折り合いを
つけたものだったんだろうなぁ~と思う。
だって、彼は多分、女に「セクシー」なところを見出していなかった。
女はみんな、母親だもん。
母親にはセクシーさを感じないものだ。
でも、あの頃のトムは「セクシー・セクシー・セクシー」とセクシーを連発していた。
いくら仕事のためとはいえ、見えないものは見い出せない。
そこで、中性らしさを狙ったことで、それまでの「フェミニン」とは違うものを
生み出したんじゃないだろうか。
彼はそれに「セクシー」と名付けた。
そしたら、たくさんミューズが現れた。
あのテラテラしたブラウスを着て時代を表現したのはスーパーモデルであり、
マドンナだった。
スーパーモデルは女性から見たらセクシーだったけど、
男の人から見たら、実際どうだったんだろう。
背は高いは、足はデカイ。
美しいけれど、どこかアンドロギュヌス的なものに男の人は生身の女性としてのセクシーさを
見ることができたんだろうか。
モデルが本当に「女」のものになったのは、あのスーパーモデルブームからだと思う。
美しいけれど個性的で中性的なイネス・ド・フラサンジュがシャネルの専属モデルになった時、
それはものすごくセンセーショナルだったけど、それは彼女だけの話だった。
モデルが服を超えたところで目立つことって、それ以前はほとんどなかったんだと思う。
そして、スーパーモデルブームに乗ってきたモデルはほとんどが、「モデル」の延長線上でも
情報を発信し、今までの女とは違うところ、今まで男が担ってところで情報を発信し始めた。
マドンナは既に母親だったけど、そういう意味では「男」だからね。
ゲイにも人気だったし。(今は知らんけど)
やっぱり、女を女からひっぺがしたところに「セクシーさ」を見出そうとしたんだな。
、
という気がしてならない。
男がフリルなんかを身につけたグラムロックと同じね。
性を超えたところに「セクサーさ」を見る、というかね。
*************************
それにしても、トム・フォードのこだわり方って、いかにもこだわるゲイのこだわりって感じだ。(笑)
ファッションやインテリアにもそれが現れているんだけど、
ジョージが机の上に財布や鍵、洋服、靴を整然と並べ始めたときには、頭がクラクラした。
ありゃー、美意識というよりも、こだわりだ。
今回、私が「あぁ、これってすごい美意識だな」と感じたのは、ジョージ役にコリン・ファースを起用したこと。
彼でなければ、男を見るときの視線の動かし方が陳腐になってたと思うし、
ただのおっさんの苦悩に見えちゃったと思う。
苦悩することでエロティシズムを的確に表現するコリンだけが、あの役を表現できた。
トム・フォードのその美意識の高さには文句の付けようがないと思う。
いやー、よかった、よかった
2009年7月18日 音楽
まだちゃんと歌声を聴いてないけど、復活した模様。
いやー、ボビー・ブラウンなんかと結婚しちゃって、
薬漬けになったと聞いた時はもうだめだと思ったけど、
復活できてよかった、よかった。
http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1199707/Whitney-Houston-makes-triumphant-return-public-eye-launches-new-album-I-Look-To-You.html
いやー、ボビー・ブラウンなんかと結婚しちゃって、
薬漬けになったと聞いた時はもうだめだと思ったけど、
復活できてよかった、よかった。
http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1199707/Whitney-Houston-makes-triumphant-return-public-eye-launches-new-album-I-Look-To-You.html
ビヨンセが、オーストリアで
美術館に影武者を送り込んだらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090430-00000113-jij-ent
で、本人は何をやっていたかというと、
買い物。笑)
あぁ、やっちゃった。
で、全然似てないの。
その影武者が。(笑)
http://www.abc.net.au/news/stories/2009/04/30/2556826.htm?section=entertainment
アホやね~。
お粗末~。
美術館に影武者を送り込んだらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090430-00000113-jij-ent
で、本人は何をやっていたかというと、
買い物。笑)
あぁ、やっちゃった。
で、全然似てないの。
その影武者が。(笑)
http://www.abc.net.au/news/stories/2009/04/30/2556826.htm?section=entertainment
アホやね~。
お粗末~。
ラブソングができるまで
2007年9月21日 音楽
昨日、街を歩いていたら、
Way back into Loveがかかっていた。
あぁ、このサントラ欲しかったんだ。
買おうかな〜。
Way back into Loveがかかっていた。
あぁ、このサントラ欲しかったんだ。
買おうかな〜。
サントラ ヒュー・グラント ヘイリー・ベネット ヒュー・グラント&ドリュー・バリモア ザ・サウンズ CD ワーナーミュージック・ジャパン 2007/04/25 ¥2,580POP! GOES MY HEART/ヒュー・グラント
BUDDHA’S DELIGHT/ヘイリー・ベネット
MEANINGLESS KISS/ヒュー・グラント
ENTERING BOOTYTOWN/ヘイリー・ベネット
WAY BACK INTO LOVE(DEMO VERSION)/ヒュー・グラント&ドリュー・バリモア
TONY THE BEAT/ザ・サウンズ
DANCE WITH ME TONIGHT/ヒュー・グラント
SLAM/ヒュー・グラント
DON’T WRITE ME OFF/ヒュー・グラント
WAY BACK INTO LOVE/ヒュー・グラント&ヘイリー・ベネット
DIFFERENT SOUND/テディベアーズ・フィーチャーリング・マルテ
LOVE AUTOPSY/ヒュー・グラント
最近、「あ、この曲、好きかも…」と思うと、大体この人の曲なのだ。
久石譲。
あ、黒ウーロン茶とか伊右衛門のCMもこの人かー。
夜中、NHKが台風情報のバックに流しているのもこの人の曲じゃないかなー。
っていうか、私はこの人の曲を弾きたいのか。
弾けるようになりたいのか…。
そうか、そうかも。
いや、いや、いや。
なんかねー。旅に出たい。
で、旅先で聴きたい。
そろそろ、虫が騒ぎ出してきたんですな。
いったい、私はどこに向かっているのだろう。
久石譲。
あ、黒ウーロン茶とか伊右衛門のCMもこの人かー。
夜中、NHKが台風情報のバックに流しているのもこの人の曲じゃないかなー。
っていうか、私はこの人の曲を弾きたいのか。
弾けるようになりたいのか…。
そうか、そうかも。
いや、いや、いや。
なんかねー。旅に出たい。
で、旅先で聴きたい。
そろそろ、虫が騒ぎ出してきたんですな。
いったい、私はどこに向かっているのだろう。
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ホンダのCM曲。
007で流れそうなかっちょよさ。
多分、これだよね。
ホンダ「ストリーム」。
http://www.honda.co.jp/cmdata/auto/stream/cm17/index.html
CD買っちゃおうかな。
007で流れそうなかっちょよさ。
多分、これだよね。
ホンダ「ストリーム」。
http://www.honda.co.jp/cmdata/auto/stream/cm17/index.html
CD買っちゃおうかな。
先週書こうと思ってすっかり忘れてた。
前橋さんが鑑賞券3000円のコンサートをやってるって話を
土曜の慎吾ちゃんの番組でやってたんだよねー。
なんでも、普段クラシック音楽を聞く機会のない人や敬遠してる人に
気軽に聞きにきてもらいたいんだって。
TVで生で弾いてたけど、素晴らしかったよ。
実は私、クラシックが嫌いになった一因はヴァイオリンだと思ってるんだよねー。
音楽の授業が退屈ってのもあったし、ピアノの先生がいきなり出家した(←実話 笑)のが
ショックだったってのもあるんだけど、
とにかくあの悲劇的な音色とキーキーいう音が苦手だった。
聞くだけで哀しくなるんだよねー。
意味もなく哀しくなるのって、ほんと嫌にならない?
なんで、私、今、哀しいのよ? って思っちゃう。
よくよく考えると、そうは全然見えなかったけど、
私は子供時代、論理的な思考の持ち主だったわけよ。
(いや、全然そうは見えなかっただろうけどって言ってるじゃない!! 笑)
とにかく、理由も分からずに「哀しく」なるってことが納得できないわけ。
だって、うれしくなるときって、絶対理由があるじゃない。
例えば、春の風が心地良くって、家から出た瞬間に幸せな気持ちになってうれしかったとかさ
(それも花粉症になるまでの話だけど)。
お菓子屋さんの前を通りかかった瞬間おいしそうな香りがして、うれしくなったとかさ。
何かしら、理由があってうれしくなるわけじゃない。
なのに、どーしてヴァイオリンの音を聞いて哀しくなるわけ??
ヴァイオリンに特別な思い出があるわけでもないのにさっ!!!
ほんでもって、キーキーうるさいんじゃーーーーーー!!!
と思っていたんだけど、大人になってからワルシャワで管弦楽団(だと思う)のコンサートに行く機会があって、驚いたのよね。
流麗な音の洪水に、体がふっと軽くなったような気がした。
あれはねー、色とりどりの曲線で描かれた渦巻きに乗せられて、
(花粉がない)春の陽の下を飛びまわっている感覚なんだよなー。
(訳わからん 《笑》 慣れないこと書いてるんで、許してください)
本当に美しかった…(うっとり)
そっから、私はヴァイオリンに対する認識を改めた。
上手い人が奏でるヴァイオリンは美しい。
哀しい音色だっていいじゃない。(たまには)
哀しい気分とやらに素直に浸ればいいじゃない。
ってことで、あれ…何が言いたかったんだけっけ?
あ、そうだ。
え〜と、前橋汀子さんが23日にコンサートするみたいだって話。
チケットはまだあるのかな?
っていうか、その前に、23日って何か予定入ってたっけ??
前橋さんが鑑賞券3000円のコンサートをやってるって話を
土曜の慎吾ちゃんの番組でやってたんだよねー。
なんでも、普段クラシック音楽を聞く機会のない人や敬遠してる人に
気軽に聞きにきてもらいたいんだって。
TVで生で弾いてたけど、素晴らしかったよ。
実は私、クラシックが嫌いになった一因はヴァイオリンだと思ってるんだよねー。
音楽の授業が退屈ってのもあったし、ピアノの先生がいきなり出家した(←実話 笑)のが
ショックだったってのもあるんだけど、
とにかくあの悲劇的な音色とキーキーいう音が苦手だった。
聞くだけで哀しくなるんだよねー。
意味もなく哀しくなるのって、ほんと嫌にならない?
なんで、私、今、哀しいのよ? って思っちゃう。
よくよく考えると、そうは全然見えなかったけど、
私は子供時代、論理的な思考の持ち主だったわけよ。
(いや、全然そうは見えなかっただろうけどって言ってるじゃない!! 笑)
とにかく、理由も分からずに「哀しく」なるってことが納得できないわけ。
だって、うれしくなるときって、絶対理由があるじゃない。
例えば、春の風が心地良くって、家から出た瞬間に幸せな気持ちになってうれしかったとかさ
(それも花粉症になるまでの話だけど)。
お菓子屋さんの前を通りかかった瞬間おいしそうな香りがして、うれしくなったとかさ。
何かしら、理由があってうれしくなるわけじゃない。
なのに、どーしてヴァイオリンの音を聞いて哀しくなるわけ??
ヴァイオリンに特別な思い出があるわけでもないのにさっ!!!
ほんでもって、キーキーうるさいんじゃーーーーーー!!!
と思っていたんだけど、大人になってからワルシャワで管弦楽団(だと思う)のコンサートに行く機会があって、驚いたのよね。
流麗な音の洪水に、体がふっと軽くなったような気がした。
あれはねー、色とりどりの曲線で描かれた渦巻きに乗せられて、
(花粉がない)春の陽の下を飛びまわっている感覚なんだよなー。
(訳わからん 《笑》 慣れないこと書いてるんで、許してください)
本当に美しかった…(うっとり)
そっから、私はヴァイオリンに対する認識を改めた。
上手い人が奏でるヴァイオリンは美しい。
哀しい音色だっていいじゃない。(たまには)
哀しい気分とやらに素直に浸ればいいじゃない。
ってことで、あれ…何が言いたかったんだけっけ?
あ、そうだ。
え〜と、前橋汀子さんが23日にコンサートするみたいだって話。
チケットはまだあるのかな?
っていうか、その前に、23日って何か予定入ってたっけ??
フジ子・ヘミング & モスクワ・フィル
2006年10月24日 音楽
というわけで、行ってきましたよ。
えっと、気合を入れて夜会巻してく!!な〜んて
抜かしておりましたが、よく考えてみたら昼からじぇねーか!!
ってことで、夜会巻はちょっと違うんじゃないの?
と、髪の毛は縛らず結ばず、そのままたらしておきました。
当日、いらした方、
3階席の一番前で緑のストールを首に「なんとか部族」のように巻きつけてた人を
見かけたら、それが私です。なんちゃって。
さて、いざなみ(母)曰く
「フジ子さん、ちゃんと出てきてくれるかしらね〜」。
えええええ? そんな気分屋なんかい、フジ子さんは??
という外野の心配をよそに、フジ子さんはちゃんと出てきて、アンコールに
十八番の「ラ・カンパネラ」まで弾いていってくれましたヨ。
思いっきりプログラムは変更されてたけど。(笑)
実は、パンフに印刷されていたプログラムはこんな感じ
で、実際は――
まー、遅れて出てきたけど、フジ子さんが「ラ・カンパネラ」を弾き始めたとき、
いざなみがめちゃくちゃうれしそうだったから、まっいっか。
っていうか、これって、フジ子ちゃんがアンコールに存分に応えられるように
出番を後にしたってだけじゃないの??
私にとって、何が一番印象深かったかというと、4人いる打楽器奏者の1人、おっさん。
モスクワ・フィルだけの演奏のときからそうだったんだけど、
自分の出番がないとき、そのおっさんはず〜っと頬杖をついて
たそがれていたのだ。たまに頭を抱えてみたりして。
もー、私の目はおっさんに釘付け。一番見晴らしのいい席にいたはずなのに。(笑)
おっさん、一体何があったのさ?
気分が悪かったのかい? それとも、私的なことで悩んでいたのかい?
まさか、ホームシックとか??
そこんとこ、どーなの?? あ〜、気になる。
えっと、気合を入れて夜会巻してく!!な〜んて
抜かしておりましたが、よく考えてみたら昼からじぇねーか!!
ってことで、夜会巻はちょっと違うんじゃないの?
と、髪の毛は縛らず結ばず、そのままたらしておきました。
当日、いらした方、
3階席の一番前で緑のストールを首に「なんとか部族」のように巻きつけてた人を
見かけたら、それが私です。なんちゃって。
さて、いざなみ(母)曰く
「フジ子さん、ちゃんと出てきてくれるかしらね〜」。
えええええ? そんな気分屋なんかい、フジ子さんは??
という外野の心配をよそに、フジ子さんはちゃんと出てきて、アンコールに
十八番の「ラ・カンパネラ」まで弾いていってくれましたヨ。
思いっきりプログラムは変更されてたけど。(笑)
実は、パンフに印刷されていたプログラムはこんな感じ
第1部 モスクワ・フィル
・グリンカ 幻想曲「カマリンスカヤ」
フジ子ちゃん登場
・ベートーベン ピアノ協奏曲 第5番変ホ長調 作品73「皇帝」
第1楽章「Allegro」
第2楽章「Adagio un poco mosso」
第3楽章「Rondo(Allegro)」
〜 休憩(20分) 〜
第2部 モスクワ・フィル
・チャイコフスキー バレエ組曲「白鳥の湖」
で、実際は――
第1部 モスクワ・フィル
・チャイコフスキー バレエ組曲「白鳥の湖」←いきなりプログラムのおしりからスタート
・グリンカ 幻想曲「カマリンスカヤ」
〜 休憩(20分) 〜
ここまでで、開始から既に1時間経過。
しかし、フジ子さんはまったく姿をあらわさず。
親娘でパンフレットを見ながら「そろそろヤバいんじゃないの?」
「っていうか、今日フジ子さんが出なかったら、私はなんのためにチケットを買ったのよ……?」
とさんざん気を揉む。
第2部 フジ子・ヘミング & モスクワ・フィル
やっとフジ子さん、登場
・ベートーベン ピアノ協奏曲 第5番変ホ長調 作品73「皇帝」
第1楽章「Allegro」
第2楽章「Adagio un poco mosso」
第3楽章「Rondo(Allegro)」
アンコール
・ショパン ピアノ協奏曲第一番 ホ短調 作品IIより「第2楽章」
・ショパン 練習曲第12番「革命」 ハ短調 作品10-12
・リスト「ラ・カンパネラ」
まー、遅れて出てきたけど、フジ子さんが「ラ・カンパネラ」を弾き始めたとき、
いざなみがめちゃくちゃうれしそうだったから、まっいっか。
っていうか、これって、フジ子ちゃんがアンコールに存分に応えられるように
出番を後にしたってだけじゃないの??
私にとって、何が一番印象深かったかというと、4人いる打楽器奏者の1人、おっさん。
モスクワ・フィルだけの演奏のときからそうだったんだけど、
自分の出番がないとき、そのおっさんはず〜っと頬杖をついて
たそがれていたのだ。たまに頭を抱えてみたりして。
もー、私の目はおっさんに釘付け。一番見晴らしのいい席にいたはずなのに。(笑)
おっさん、一体何があったのさ?
気分が悪かったのかい? それとも、私的なことで悩んでいたのかい?
まさか、ホームシックとか??
そこんとこ、どーなの?? あ〜、気になる。
orz 今日、全然弾けなかった……
2006年10月18日 音楽っつーわけで、諸事情で月曜日のレッスンを今日に振り替えたのだけど…。
全然弾けなった……ピアノ。_| ̄|●
れ、練習するです。
とほほ。
全然弾けなった……ピアノ。_| ̄|●
れ、練習するです。
とほほ。
ザラフィアンツ(ピアニスト)のコンサートに行ってきたヨ
2006年10月11日 音楽
急なお誘いを受けて、ザラフィアンツのコンサート(紀尾井町ホール)に行ってきた。
正直、誘われたときは「このおっさん、誰?」状態だったのだが、
楽しそ〜にピアノを弾いてる姿と、パンフレットに書かれてる苦労人ぶりにすっかりやられてしまった(←ネタとして)。
このおっさんは、幼少のころはピアニスト予備軍として順調に歩んでいたらしいのだが、
政治に目覚めて、学校内でうっかりブレジネフの肖像の落書きをしてしまったために
島流しにされてしまったのだ。(島っちゅーか、南ウラル)
そのため、当時のソ連のエリートちゃんが通うモスクワ音楽院への道が閉ざされるという憂き目に遭ったわけだ。
くわばら、くわばら。
自由な芸術活動には、やはり2ナイ運動が重要なのだ。
1)宗教の批判はしナイ、2)政治にはふれナイ。
というわけで、コンサート。
このおっさんのほかには、クラリネットとチェロが入って、
ときに三重奏、ときに二重奏、ときにソロと楽しい演目で盛り上がった。
私が面白いと思ったのは、「熊蜂の飛行」と「ラ・ヴォーチェ」の2曲。
「熊蜂の飛行」は、白鳥(ピアノ)を襲う熊蜂(チェロ)という曲。
チェロがひたすら熊蜂のブンブンブンブンいううなり声(?)を奏でるのだが、
目を瞑って聞くとほとんど同じに聞こえるそのうなり声を、
チェロの人は、弦を押さえる手を激しく動かしながら弾いていた。
「こ、これか! これが絶対音感なんだ!
絶対音感のある人(←作曲家)ってのは、
こういう風にちゃんとそれぞれの音が聞こえてるんだ!!
だから、それぞれの音に音符をふれるんだ。スゴい!!」
と感動。
(多分、ユーモラスなこの曲で、こんなに←涙を流さんばかりに
感動していたのは、私だけに違いない)
「ラ・ヴォーチェ」は、チェロのソロで非常に前衛的な作品。
チェロの人がおもむろに弦を1本取り出すと、
その場でチェロに張り始めるというパフォーマンスでスタートする。
いわゆるメロディはないような、あるような、
演奏者は詩を暗唱したり、声+チェロで和音や不協和音を作り出したりしながら演奏するのだ。
実験的すぎて、失敗するとかなりイタい曲である。(多分)
私は面白いと思ったが、一緒に行った人たちは一様に
「よく分からなかった」と反応。
多分、よく分かんなくていいんだと思いマスヨ。
かつて美術界でも、コンセプチュアルアートなるものが流行ったが、
はっきり言って、体験した人の9割以上が「何これ?( ゜Д゜)ポカーン
なんの意味があるの?」と思ったに違いない。
しかし、コンセプチュアルアートなんてものは、ぶっちゃけ、作った本人以外にとって
「意味はない」。
だって、コンセプトなんだもん。
そのコンセプトの部分を面白いと思うかどーかの問題なのであって、
作品に意味を求めるのは少し違うのであーる。
というわけで、私は勝手にこの曲をコンセプチュアルアートと認定。
おおいに楽しんだのだ。
どういうコンセプトだったのかは全然分からんかったけど。(笑
あれ、なんか、チェロのことばっかり書いていて、肝心のピアノとクラリネットのことは書いてないよ。
ま、いっか。あ、名前だけは書いておこう。
チェロ=ルイジ・ピオヴァーノ
クラリネット=ヴェンツェル・フックス
笑えたのは、三重奏のときに、
チェロの人(イタリア人)が片眉を上げれるだけ上げて
一生懸命アイコンタクトをとろうとしていたのに、
「俺様の演奏を聴け〜!!」と自分の世界にハマりきっていたクラリネット(オーストリア人)が
全然気付いてないようだったこと。
クラリネットの人は、ソロのときも体中から「俺様の演奏を聴け〜!!」という
オーラを漂わせていて(単に体の揺らし方が大きかったともいう)面白かったですヨ。
正直、誘われたときは「このおっさん、誰?」状態だったのだが、
楽しそ〜にピアノを弾いてる姿と、パンフレットに書かれてる苦労人ぶりにすっかりやられてしまった(←ネタとして)。
このおっさんは、幼少のころはピアニスト予備軍として順調に歩んでいたらしいのだが、
政治に目覚めて、学校内でうっかりブレジネフの肖像の落書きをしてしまったために
島流しにされてしまったのだ。(島っちゅーか、南ウラル)
そのため、当時のソ連のエリートちゃんが通うモスクワ音楽院への道が閉ざされるという憂き目に遭ったわけだ。
くわばら、くわばら。
自由な芸術活動には、やはり2ナイ運動が重要なのだ。
1)宗教の批判はしナイ、2)政治にはふれナイ。
というわけで、コンサート。
このおっさんのほかには、クラリネットとチェロが入って、
ときに三重奏、ときに二重奏、ときにソロと楽しい演目で盛り上がった。
私が面白いと思ったのは、「熊蜂の飛行」と「ラ・ヴォーチェ」の2曲。
「熊蜂の飛行」は、白鳥(ピアノ)を襲う熊蜂(チェロ)という曲。
チェロがひたすら熊蜂のブンブンブンブンいううなり声(?)を奏でるのだが、
目を瞑って聞くとほとんど同じに聞こえるそのうなり声を、
チェロの人は、弦を押さえる手を激しく動かしながら弾いていた。
「こ、これか! これが絶対音感なんだ!
絶対音感のある人(←作曲家)ってのは、
こういう風にちゃんとそれぞれの音が聞こえてるんだ!!
だから、それぞれの音に音符をふれるんだ。スゴい!!」
と感動。
(多分、ユーモラスなこの曲で、こんなに←涙を流さんばかりに
感動していたのは、私だけに違いない)
「ラ・ヴォーチェ」は、チェロのソロで非常に前衛的な作品。
チェロの人がおもむろに弦を1本取り出すと、
その場でチェロに張り始めるというパフォーマンスでスタートする。
いわゆるメロディはないような、あるような、
演奏者は詩を暗唱したり、声+チェロで和音や不協和音を作り出したりしながら演奏するのだ。
実験的すぎて、失敗するとかなりイタい曲である。(多分)
私は面白いと思ったが、一緒に行った人たちは一様に
「よく分からなかった」と反応。
多分、よく分かんなくていいんだと思いマスヨ。
かつて美術界でも、コンセプチュアルアートなるものが流行ったが、
はっきり言って、体験した人の9割以上が「何これ?( ゜Д゜)ポカーン
なんの意味があるの?」と思ったに違いない。
しかし、コンセプチュアルアートなんてものは、ぶっちゃけ、作った本人以外にとって
「意味はない」。
だって、コンセプトなんだもん。
そのコンセプトの部分を面白いと思うかどーかの問題なのであって、
作品に意味を求めるのは少し違うのであーる。
というわけで、私は勝手にこの曲をコンセプチュアルアートと認定。
おおいに楽しんだのだ。
どういうコンセプトだったのかは全然分からんかったけど。(笑
あれ、なんか、チェロのことばっかり書いていて、肝心のピアノとクラリネットのことは書いてないよ。
ま、いっか。あ、名前だけは書いておこう。
チェロ=ルイジ・ピオヴァーノ
クラリネット=ヴェンツェル・フックス
笑えたのは、三重奏のときに、
チェロの人(イタリア人)が片眉を上げれるだけ上げて
一生懸命アイコンタクトをとろうとしていたのに、
「俺様の演奏を聴け〜!!」と自分の世界にハマりきっていたクラリネット(オーストリア人)が
全然気付いてないようだったこと。
クラリネットの人は、ソロのときも体中から「俺様の演奏を聴け〜!!」という
オーラを漂わせていて(単に体の揺らし方が大きかったともいう)面白かったですヨ。
解禁にしてもいいかな
2006年7月17日 音楽 コメント (2)
突発性難聴になってしまったので、せっかく買ったiPod nanoは開店休業中。
W杯も、スタジアムのワァーワァーいう声が響いて耳が痛かったので
よう観なかった。
せっかくやる気になった英語学習(ヒアリング)もご無沙汰だし、
始めたばかりのピアノもレッスンの日以外は練習せんかったのですたい。
(どこの言葉だ?)
でも、写真を始めたり、今まであまり手に取らなかった時代劇小説(妖怪モノ)を
読んでみたりと新しい世界に触れることもできたので、
まぁ、まったく収穫がなかったわけじゃない。
されど、以前、せっかく紹介してもらったシャルル・デュトワおじさん指揮の
『ボレロ』がやっぱり聴きたくて、密林で注文してしまいました。
もしかして聴力は完全には戻ってないのかもしれないけれど(事情があって
途中で医者通いを止めたので、そこんところが分からない)、耳に
水が入ったような違和感は消えてるから、もういいよね。
まぁ、落ち着いたら、また別の医者に行って聴力検査をしてみるつもりだけど、
とりあえず日常生活に支障はないようなので、これからバリバリ音楽を
聴いちゃおうかな。
というわけで、色っぽい『ボレロ』を聴かせてくれると噂の
シャルルおじさん、ここはひとつ頼んまっせ。
バリバリ期待してまっせ。
と、某巨匠指揮の全然色気のない『ボレロ』をいまだ引きずっている私であった。
W杯も、スタジアムのワァーワァーいう声が響いて耳が痛かったので
よう観なかった。
せっかくやる気になった英語学習(ヒアリング)もご無沙汰だし、
始めたばかりのピアノもレッスンの日以外は練習せんかったのですたい。
(どこの言葉だ?)
でも、写真を始めたり、今まであまり手に取らなかった時代劇小説(妖怪モノ)を
読んでみたりと新しい世界に触れることもできたので、
まぁ、まったく収穫がなかったわけじゃない。
されど、以前、せっかく紹介してもらったシャルル・デュトワおじさん指揮の
『ボレロ』がやっぱり聴きたくて、密林で注文してしまいました。
もしかして聴力は完全には戻ってないのかもしれないけれど(事情があって
途中で医者通いを止めたので、そこんところが分からない)、耳に
水が入ったような違和感は消えてるから、もういいよね。
まぁ、落ち着いたら、また別の医者に行って聴力検査をしてみるつもりだけど、
とりあえず日常生活に支障はないようなので、これからバリバリ音楽を
聴いちゃおうかな。
というわけで、色っぽい『ボレロ』を聴かせてくれると噂の
シャルルおじさん、ここはひとつ頼んまっせ。
バリバリ期待してまっせ。
と、某巨匠指揮の全然色気のない『ボレロ』をいまだ引きずっている私であった。
【えんがわで】田園調布でまったり音楽
2006年6月11日 音楽 コメント (7)
先日、と言っても先週の日曜日だけど
田園調布のえんがわさん(←「えんがわ」というcafe)で、
ライブを楽しんできた。
Joyful Notesとは、たまにここにコメントを寄せてくれる王子が
メンバーだったりするバンドだ。
多分、サイトもあったような。
あ、ここだ、ここ。
http://members2.jcom.home.ne.jp/miyabin70/
えんがわさんは、田園調布の閑静な住宅街のド真ん中に位置するcafe。
なんと、庭におじいさんの銅像が
胸まで埋まっている。(笑)
この方、実はcafeのオーナー(素敵な女性なんだ、この方が!)の
おじいさま(だったか、ひいおじいさま)なのだ。
Joyful Notesのメンバー構成は、え〜と、サイトを見てちょうだいということで
省略。(笑)
ジャンルはアコースティックでポップス(で、いいんだよね?? 王子!! 笑)。
楽器は、ボーカル、ピアノ、ウクレレ、三線、フルート、笛などなど。
持ちネタは沖縄チックな懐かし系あり、サラリーマンを泣かせる曲あり、
恋の歌あり、ひたすら酒を飲む系(いや、酒好き)の歌あり(笑)と
バラエティに富んでいる。
まぁ、「一くくりにこんな感じ」とはいえないけれど、大人な方なら満足するはずの曲をやってくれるのである。
ちょびっと興味を持ったあなたは、サイトでライブ日程をチェックして
聞きに行ってみよう!!
(これでちゃんと紹介できているのだろうか?? いや、そんなわきゃーない。
すまん。Joyful Notesの方々)
で、ライブですが(長い前置きだった…)―――
おなじみの曲にプラスして、えんがわさんをイメージした曲や、
ソロタイムがあったりして、いつもよりもさらにお遊び気分がいっぱいだった。
やっぱり、真昼間にやるライブを雰囲気が違うね〜。
陽だまりの中で風にそよぐ葉っぱの陰を見ながら聞くライブは楽しかったよ。
(網戸越しだけど)
というわけで、またライブやるときは声をかけてちょーだい!!
(これだけかよっ)
田園調布のえんがわさん(←「えんがわ」というcafe)で、
ライブを楽しんできた。
Joyful Notesとは、たまにここにコメントを寄せてくれる王子が
メンバーだったりするバンドだ。
多分、サイトもあったような。
あ、ここだ、ここ。
http://members2.jcom.home.ne.jp/miyabin70/
えんがわさんは、田園調布の閑静な住宅街のド真ん中に位置するcafe。
なんと、庭におじいさんの銅像が
胸まで埋まっている。(笑)
この方、実はcafeのオーナー(素敵な女性なんだ、この方が!)の
おじいさま(だったか、ひいおじいさま)なのだ。
Joyful Notesのメンバー構成は、え〜と、サイトを見てちょうだいということで
省略。(笑)
ジャンルはアコースティックでポップス(で、いいんだよね?? 王子!! 笑)。
楽器は、ボーカル、ピアノ、ウクレレ、三線、フルート、笛などなど。
持ちネタは沖縄チックな懐かし系あり、サラリーマンを泣かせる曲あり、
恋の歌あり、ひたすら酒を飲む系(いや、酒好き)の歌あり(笑)と
バラエティに富んでいる。
まぁ、「一くくりにこんな感じ」とはいえないけれど、大人な方なら満足するはずの曲をやってくれるのである。
ちょびっと興味を持ったあなたは、サイトでライブ日程をチェックして
聞きに行ってみよう!!
(これでちゃんと紹介できているのだろうか?? いや、そんなわきゃーない。
すまん。Joyful Notesの方々)
で、ライブですが(長い前置きだった…)―――
おなじみの曲にプラスして、えんがわさんをイメージした曲や、
ソロタイムがあったりして、いつもよりもさらにお遊び気分がいっぱいだった。
やっぱり、真昼間にやるライブを雰囲気が違うね〜。
陽だまりの中で風にそよぐ葉っぱの陰を見ながら聞くライブは楽しかったよ。
(網戸越しだけど)
というわけで、またライブやるときは声をかけてちょーだい!!
(これだけかよっ)
別れたい、でも離れられない…
2006年5月10日 音楽薬指と小指。
ちくしょー。こいつらがもっとちゃんと離れてくれれば、
もう少しやりやすいと思うのだが……。
こればかりは訓練あるのみらしいっす。
初日は1時間半も見てもらっちゃいました。>ピアノレッスン
課題が山積みですわ…。とほほ。
でも、まー、問題点が分かっているというのはある意味―。
だって、それを克服すればいいんでしょ。
何年かかるか分からんが、やってやるぜい。
ちくしょー。こいつらがもっとちゃんと離れてくれれば、
もう少しやりやすいと思うのだが……。
こればかりは訓練あるのみらしいっす。
初日は1時間半も見てもらっちゃいました。>ピアノレッスン
課題が山積みですわ…。とほほ。
でも、まー、問題点が分かっているというのはある意味―。
だって、それを克服すればいいんでしょ。
何年かかるか分からんが、やってやるぜい。
ミッキー、分かりやすく教えてくれ
2006年5月7日 音楽
というわけで、ミッキーといっしょ はじめての楽典ブックである。
「先生、私、まったくもって楽譜が読めない(覚えてない)のです」
と訴えたところ、先生は最初「独・仏・伊・英のなんちゃら辞典」なんて
小難しいタイトルの本を紹介してくれたのだが、パラパラみたら
何が書いてあるのか説明文すらさっぱり理解できなかった。
「あの、もうちょっと簡単なのありますか?」
「じゃあ、これかしら」と言って先生が差し出した本は中学生からピアノを
始める生徒向けだというが、それもなんだか難しそうっつーことで、
「あの〜、もう少し……」
「……って言われても、あとはこれしか……」(←先生の心の声「ねずみの手を借りるの?)
「……」(←私の心の声「はい。ねずみにしか、この仕事はできません!」)
と言って先生が差し出したのが、
この『ミッキーといっしょ はじめての楽典ブック』だ。
ミッキーが懇切丁寧に、四分音符や八分音符とはなんぞやと説明してくれる。
わ〜い、ワークブックもちょろっと付いてるよ〜♪
な〜んて、スキップしながら買いに行ったけど、きっと書店の店員は、「この人は、
子供のために買ってあげんのね」と思ったんだろうな……。
ははは…はは _| ̄|●
「先生、私、まったくもって楽譜が読めない(覚えてない)のです」
と訴えたところ、先生は最初「独・仏・伊・英のなんちゃら辞典」なんて
小難しいタイトルの本を紹介してくれたのだが、パラパラみたら
何が書いてあるのか説明文すらさっぱり理解できなかった。
「あの、もうちょっと簡単なのありますか?」
「じゃあ、これかしら」と言って先生が差し出した本は中学生からピアノを
始める生徒向けだというが、それもなんだか難しそうっつーことで、
「あの〜、もう少し……」
「……って言われても、あとはこれしか……」(←先生の心の声「ねずみの手を借りるの?)
「……」(←私の心の声「はい。ねずみにしか、この仕事はできません!」)
と言って先生が差し出したのが、
この『ミッキーといっしょ はじめての楽典ブック』だ。
ミッキーが懇切丁寧に、四分音符や八分音符とはなんぞやと説明してくれる。
わ〜い、ワークブックもちょろっと付いてるよ〜♪
な〜んて、スキップしながら買いに行ったけど、きっと書店の店員は、「この人は、
子供のために買ってあげんのね」と思ったんだろうな……。
ははは…はは _| ̄|●
巨匠にも得手不得手があるのね…。
2006年5月4日 音楽 コメント (3)
ポピュラー音楽に比べるとバカみたいに安いクラシック音楽のCD。
(CD2枚入りで1500円ってあり得ないよ)
とりあえず、相性のいいラヴェル様からと思って、このCDを買いました
…………ところが、
サルでも知っているカラヤン様の名前に惹かれて買ったところ、
「ちょっと失敗したかも」の感が漂い始めた。
ちなみにこのCDはオムニバスで、世界的な指揮者(だけど、意識して聞いたことがない)カラヤン様や、
日本が誇る(けれども、意識して聞いたことがない)小澤征爾などの指揮による
ラヴェルの名曲(というよりもポピュラーな曲)ばかりを集めたものである。
目立ったところで、こんなん入ってます。
・『ボレロ』カラヤン様&ベルリン・フィル
・『亡き王女のためのパヴァーヌ』世界の小澤&ボストン
(と、性懲りもなく、この2曲が入ったCDを購入。徐々に体を慣らしていこうかと)
そう…。
世の中が「カラヤン様〜(ハート)」と騒いでいるとき、私はちっとも彼に興味がなかった。
だから、カラヤン様がドイツ語の人だとは知らなかった……。
ドイツ語をしゃべる人といえば、無情なまでに正確無比で実直な人たち。(←偏見)
カラヤンファンのみなさん、ごめんなさい。
でも、本来、クラシック音楽とは聞く人のものなのです。
だから、誰がどんな感想を持とうがその人の勝手なはず。
というわけで、これから書く内容はカラヤン様を攻撃するものではありません。
「ふっ、素人が」と聞き流していただければ幸いです。
カラヤン様は、恐らく、お堅い音楽は得意なのだと思う。
しかし……
終始一貫してラテンの血(エネルギー)が流れ、フレーズの繰り返しの中に
官能や情熱、冷静さが表現されるはずの扇情的な『ボレロ』は、
まるで軍隊の行進曲のようだった……。
巨匠は、あまりお色気はお得意ではないのね、きっと……。_| ̄|●
ごめん。こんな色気のない『ボレロ』は初めて聞いたよ。
それとも、あれかな。
いつも踊りつきで聞いていたので、私は踊りを観ていたのであって、
音楽を聴いていたわけではなかったのかな…。
『ボレロ』って、いつも終わった後に、全身の毛穴が開いて汗ばんでることが
多いんだよねぇ〜。
だけど、カラヤン様のを聴いた後は、あまりにも正確なそのリズムと
期待していた感情のうねりがさっぱりなかったお陰で、頭の中に「ズッドコドッコ、ズッドコドッコ」って
リズムが流れ出しちゃって、色気を感じるどころか、「軍隊の行進」やら
北朝鮮の「マスゲーム」が浮かんできちゃった…。
違う意味で、腰がグラグラしばした…。
……こんなところで、指揮者の影響力のスゴさを見せ付けられるとは……。
なるほど……。
私は、今まで指揮者ってのは単なるメトロノームでしかないと
思っていたよ。
だから、あんなに陶酔しきった顔で指揮棒を振る彼らの姿はお笑いでしかなかった。
でも、彼らは、演奏される曲にとって、非常に大事な存在だったのね…。
彼らが、曲の方向を決めて、それを表現するためにオーケストラを動かす。
まさに、曲が生きるも死ぬも指揮者次第。
それを教えてくれたのが、カラヤン様の『ボレロ』だったなんて〜〜!!
ありがとう。カラヤン様…。
お陰さまで、私の中のクラシック苦手意識が全部解けてしまいました。(多分)
もう、怖いものはありません。
も〜、なんでもこいだ!
あ〜、奥が深すぎてクラクラするクラシック音楽。
やっぱり、あなたは巨匠だ。カラヤン様。
今度は、「素晴らしい。ブラボー!」な曲で私を笑わせて泣かせてください!!!
って、カラヤン様の何を聞けば感動できるんだ?
ほんとのところ、カラヤン様は何がお得意なの??
(CD2枚入りで1500円ってあり得ないよ)
とりあえず、相性のいいラヴェル様からと思って、このCDを買いました
…………ところが、
サルでも知っているカラヤン様の名前に惹かれて買ったところ、
「ちょっと失敗したかも」の感が漂い始めた。
ちなみにこのCDはオムニバスで、世界的な指揮者(だけど、意識して聞いたことがない)カラヤン様や、
日本が誇る(けれども、意識して聞いたことがない)小澤征爾などの指揮による
ラヴェルの名曲(というよりもポピュラーな曲)ばかりを集めたものである。
目立ったところで、こんなん入ってます。
・『ボレロ』カラヤン様&ベルリン・フィル
・『亡き王女のためのパヴァーヌ』世界の小澤&ボストン
(と、性懲りもなく、この2曲が入ったCDを購入。徐々に体を慣らしていこうかと)
そう…。
世の中が「カラヤン様〜(ハート)」と騒いでいるとき、私はちっとも彼に興味がなかった。
だから、カラヤン様がドイツ語の人だとは知らなかった……。
ドイツ語をしゃべる人といえば、無情なまでに正確無比で実直な人たち。(←偏見)
カラヤンファンのみなさん、ごめんなさい。
でも、本来、クラシック音楽とは聞く人のものなのです。
だから、誰がどんな感想を持とうがその人の勝手なはず。
というわけで、これから書く内容はカラヤン様を攻撃するものではありません。
「ふっ、素人が」と聞き流していただければ幸いです。
カラヤン様は、恐らく、お堅い音楽は得意なのだと思う。
しかし……
終始一貫してラテンの血(エネルギー)が流れ、フレーズの繰り返しの中に
官能や情熱、冷静さが表現されるはずの扇情的な『ボレロ』は、
まるで軍隊の行進曲のようだった……。
巨匠は、あまりお色気はお得意ではないのね、きっと……。_| ̄|●
ごめん。こんな色気のない『ボレロ』は初めて聞いたよ。
それとも、あれかな。
いつも踊りつきで聞いていたので、私は踊りを観ていたのであって、
音楽を聴いていたわけではなかったのかな…。
『ボレロ』って、いつも終わった後に、全身の毛穴が開いて汗ばんでることが
多いんだよねぇ〜。
だけど、カラヤン様のを聴いた後は、あまりにも正確なそのリズムと
期待していた感情のうねりがさっぱりなかったお陰で、頭の中に「ズッドコドッコ、ズッドコドッコ」って
リズムが流れ出しちゃって、色気を感じるどころか、「軍隊の行進」やら
北朝鮮の「マスゲーム」が浮かんできちゃった…。
違う意味で、腰がグラグラしばした…。
……こんなところで、指揮者の影響力のスゴさを見せ付けられるとは……。
なるほど……。
私は、今まで指揮者ってのは単なるメトロノームでしかないと
思っていたよ。
だから、あんなに陶酔しきった顔で指揮棒を振る彼らの姿はお笑いでしかなかった。
でも、彼らは、演奏される曲にとって、非常に大事な存在だったのね…。
彼らが、曲の方向を決めて、それを表現するためにオーケストラを動かす。
まさに、曲が生きるも死ぬも指揮者次第。
それを教えてくれたのが、カラヤン様の『ボレロ』だったなんて〜〜!!
ありがとう。カラヤン様…。
お陰さまで、私の中のクラシック苦手意識が全部解けてしまいました。(多分)
もう、怖いものはありません。
も〜、なんでもこいだ!
あ〜、奥が深すぎてクラクラするクラシック音楽。
やっぱり、あなたは巨匠だ。カラヤン様。
今度は、「素晴らしい。ブラボー!」な曲で私を
って、カラヤン様の何を聞けば感動できるんだ?
ほんとのところ、カラヤン様は何がお得意なの??
我が家のピアノー違う生き方
2006年4月22日 音楽
っつーわけで、10月22日(日)
東京芸術劇場で「フジ子・ヘミング&モスクワ・フィルの演奏会」に
行ってきます。
S席が取れちゃった。
フジ子さんが出るコンサートは、チケットが全然取れんと聞いていたのだけれど。
冷戦中のいざなみ(母)でも誘おうかと。
私って親孝行モノ。
さて、いざなみ、である。
いざなみは、フジ子・ヘミングの「人生波乱万丈」や子供バイオリニスト、五嶋龍君(*)の「覗き」番組を観るのが好きだ。
(*)五嶋龍――バイオリニスト、五嶋みどりの弟。
フジTVが(多分3、4歳のころから)彼をずっと追いかけていて、たまに報告会のような形で特番を放映する。
早い話が、お子様バイオリニストの生活を覗く番組。
番組の案内役は元NHKアナウンサーでフジTVのエラい人の
おうちにお嫁に行った鹿内(旧姓:よりちか)美津子。自身もクラシック音楽が好きで、確か鹿内の家で財団かなんかやってなかったっけ??
私はどちらかというと、作品さえ面白ければ、別に作者や演者がどんな人だろうが
どんな生い立ちの人だろうがどうでもいいのだが(ネタにするときはその限りではない)、
いざなみは、そこらへんもズッポリ行くタイプなのだ。
しかし、彼らの生活を見たところで、それがなんになるというのだろうか。
別に自分がこれから天才を育てるわけでもなかろうに。
話は変わるが、実はうちの居間には、最後のピアノ弾き(私)が練習を止めたあとも
ず〜っとピアノが置いてある。
文字通り、誰も触らない。音を出さない。母は定期的に調律を入れているようだが。
我が家でのピアノの存在意義って一体……?
と思っていたら、いざなぎ(父)が「ピアノがなくなると居間が殺風景になるだろうな」。
……。
我が家のピアノは、立派にインテリア家具としての役割を果たしていた。
確かピアノを止めた後に「せっかくだから自分でピアノを弾いてみれば」とかなんとか
言われた気がするけど、小学生だったので、あっさり無視してしまった。
惜しいことをした気がしないでもない。
しかし、「先生が熱心じゃなかったから」とかいう理由で子供に習い事を止めさせたくせに、楽譜も読めないその子供に「自分でがんばってみれば?っ」て聞くのってどうよ。
東京芸術劇場で「フジ子・ヘミング&モスクワ・フィルの演奏会」に
行ってきます。
S席が取れちゃった。
フジ子さんが出るコンサートは、チケットが全然取れんと聞いていたのだけれど。
冷戦中のいざなみ(母)でも誘おうかと。
私って親孝行モノ。
さて、いざなみ、である。
いざなみは、フジ子・ヘミングの「人生波乱万丈」や子供バイオリニスト、五嶋龍君(*)の「覗き」番組を観るのが好きだ。
(*)五嶋龍――バイオリニスト、五嶋みどりの弟。
フジTVが(多分3、4歳のころから)彼をずっと追いかけていて、たまに報告会のような形で特番を放映する。
早い話が、お子様バイオリニストの生活を覗く番組。
番組の案内役は元NHKアナウンサーでフジTVのエラい人の
おうちにお嫁に行った鹿内(旧姓:よりちか)美津子。自身もクラシック音楽が好きで、確か鹿内の家で財団かなんかやってなかったっけ??
私はどちらかというと、作品さえ面白ければ、別に作者や演者がどんな人だろうが
どんな生い立ちの人だろうがどうでもいいのだが(ネタにするときはその限りではない)、
いざなみは、そこらへんもズッポリ行くタイプなのだ。
しかし、彼らの生活を見たところで、それがなんになるというのだろうか。
別に自分がこれから天才を育てるわけでもなかろうに。
話は変わるが、実はうちの居間には、最後のピアノ弾き(私)が練習を止めたあとも
ず〜っとピアノが置いてある。
文字通り、誰も触らない。音を出さない。母は定期的に調律を入れているようだが。
我が家でのピアノの存在意義って一体……?
と思っていたら、いざなぎ(父)が「ピアノがなくなると居間が殺風景になるだろうな」。
……。
我が家のピアノは、立派にインテリア家具としての役割を果たしていた。
確かピアノを止めた後に「せっかくだから自分でピアノを弾いてみれば」とかなんとか
言われた気がするけど、小学生だったので、あっさり無視してしまった。
惜しいことをした気がしないでもない。
しかし、「先生が熱心じゃなかったから」とかいう理由で子供に習い事を止めさせたくせに、楽譜も読めないその子供に「自分でがんばってみれば?っ」て聞くのってどうよ。
クラシック音楽好きになるために、自分を改造中。
クラシック音痴なうえに、素直にクラシック音楽に没頭できない
かわいそうな天照大神に、「こんな素敵な曲があるよ」と
オススメしてくれる奇特な方を募集中。
ぜひともコメント欄に「この曲がオススメ」と情報をお寄せください。
なお、「天照大神の素顔を見たい」とか「つきあってくれ」といった
ふざけたコメントをお寄せになりたい方は、
「オススメの曲」「ご自身の写真」「貯金残高」「メールアドレス」を
併記してください。
場合によっては、お返事をさしあげます。
ぜひとも一緒にクラシックコンサートに行きましょう。
なお、当方、ラヴェルの『ボレロ』、『亡き王女のためのパヴァーヌ』は
既にお気に入り登録してますんで、それ以外の曲でお願いします。
クラシック音痴なうえに、素直にクラシック音楽に没頭できない
かわいそうな天照大神に、「こんな素敵な曲があるよ」と
オススメしてくれる奇特な方を募集中。
ぜひともコメント欄に「この曲がオススメ」と情報をお寄せください。
なお、「天照大神の素顔を見たい」とか「つきあってくれ」といった
ふざけたコメントをお寄せになりたい方は、
「オススメの曲」「ご自身の写真」「貯金残高」「メールアドレス」を
併記してください。
場合によっては、お返事をさしあげます。
ぜひとも一緒にクラシックコンサートに行きましょう。
なお、当方、ラヴェルの『ボレロ』、『亡き王女のためのパヴァーヌ』は
既にお気に入り登録してますんで、それ以外の曲でお願いします。
MIND ADVENTURES
2006年4月17日 音楽
なんか、どうして自分が西洋クラシックとうまくやっていけないのかを
考えたり、オリエンタルムードの音楽を聴いて精神的に疲れたので(笑)
小休止。
Dee’ Reeの“Mind Adventures”を聴いておりやす。
ふ〜、落ち着くぜ。
まー、あれだな。
多分、現代ポピュラー音楽は聴いてて楽だけど、
クラシック音楽とかは、聴いてる間に感覚や頭をフル回転させるんで
疲れるってだけだな。(笑) ←結論が出てスッキリ
結論が出てみれば、非常に単純なことだった。
人間、そうそう長く興奮状態を保っていられないってことだな。
特に、私は。
考えたり、オリエンタルムードの音楽を聴いて精神的に疲れたので(笑)
小休止。
Dee’ Reeの“Mind Adventures”を聴いておりやす。
ふ〜、落ち着くぜ。
まー、あれだな。
多分、現代ポピュラー音楽は聴いてて楽だけど、
クラシック音楽とかは、聴いてる間に感覚や頭をフル回転させるんで
疲れるってだけだな。(笑) ←結論が出てスッキリ
結論が出てみれば、非常に単純なことだった。
人間、そうそう長く興奮状態を保っていられないってことだな。
特に、私は。
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先日、DHCで買い物をしたらおまけが付いてきた。
いくら以上買うと選べるおまけで、私は手使海ユトロという人のCD「東方見聞録」を選んでみた。
タイトルを見ると―
1、哀愁の大河
2、マルコ・ポーロ
3、フビライ・ハーン
4、シャンバラ
5、バビロンの秘宝
6、ウスクダラ
7、ジパング
8、ポンペイの夕陽
と、非常にオリエンタリズム溢れる作品群である。
使用している楽器も馬頭琴とかOud、琴などエスニックな匂いがプンプンする。
(バイオリンとかサックス、フルートも使ってるけど)
ちなみにこの人、世界ウルルン滞在記の音楽とかをやっているらしい。
実は、この手のCDを私が買うのは珍しい。
なぜなら、なんかこういう音色って聞いてて切なくなっちゃうんだよねぇ〜。
こう、シルクロードの映像とかさ、どっかで発見されたバビロンの像とかが
目に浮かんじゃったりしてさー。
かつての栄華極めた王国とかに思いを馳せちゃったりしてさー。
で、自分が1日使い物にならなくなっちゃうの。(笑)
そういう状態に身を置くのってヤじゃない。
↑人間歴が浅いので、すぐに臨戦態勢に入れない状態にあると不安になるらしい
でさ、長さも調度いいじゃな〜い。
別段ストーリーを頭の中で作らなくていいし、←西洋クラシックとはここが違う(多分)
ただ、音が流れていくのを聞いて心を開放するだけでいいからさー。
でも、心開放する状態って、その間はいいけど、
邪魔されるとめちゃくちゃ気分悪いのよ。
多分、私が西洋クラシック音楽をあまり好きになれないのは、
無駄に長い気がするからなんだよねー。
あんまり長いと飽きるし、通りいっぺんのストーリーや目の前のことについて
余計なことを色々考えちゃうわけよ。
で、素直に心を開放できないの。
例えば、オペラなんかはさー、聴いてるうちに
「どう考えたってこの太ったおばさんが病気で死にそうには見えん」とかさ、
「げげげ。結局浮気モノの話じゃん」とかさ、
「うわ〜、このおっさん(歌手)陶酔してるよ〜。表情が怖いよ〜」とかさ。
オペラじゃなくても、「この曲、ここまで長くする意味があるんかい?」とか
思っちゃうのよねぇ〜。
ラヴェルの『ボレロ』とか、ただただ圧倒される曲もあるんだけどさ。
でも、それすら聞いてて「はぁ?」って思っちゃう演奏のときだってあるわけじゃない。
多分、実はものすごく相性が出ちゃうだけのような気もするんだけどねぇ〜。
西洋クラシック音楽って。
ほんでもってさー、生を聞きに行っちゃったらハマっちゃうような気もしないでもないのよ。
それがイヤなのよ。
前にチラっと書いたけど、ワルシャワで管弦楽団のコンサートに
行ったとき、
今までに聞いたことのない流麗な音に引き込まれて背筋がザワザワしちゃったのよ。
普段クラシック音楽なんか聴かない私ですら素晴らしい演奏だって分かったのね。
で、そのときのツレも普段クラシックなんか全然聞かなそうだったんだけど、
(っていうか、超音速みたいなハードロック好きらしいんだけど)
わざわざ演奏中に「これはスゴい」と耳打ちしてきたわけよ。
(正直、「邪魔すんなヽ(`Д´)ノ」と思ったけど。(笑)
あれから、チロっとTVでクラシックを聞いてみようと思ったけど
なんか全然音が違うのよ。
それが生と録画の違いなのか、テクニックの違いなのか分からんのだけどね。
(あと、アレだ。
多分、そういう番組を観ていると、必ず部屋に母がいるからだ。
母と私は何を鑑賞するにもツボが違うのよ。
で、それが内容を聞いて楽しめたり、目からウロコが落ちるような違いなら
いいんだけど、正直わずらわしい違いなのよ。
何か別のものを聞いているような気にさせられるのよね。
音楽を聴いているというよりも、
「誰々の何々っていう有名な曲だからこうだわね」って教科書的なことを
聞かされてる気分になるのよ。
私がそう言うと怒るんだけどさ。←当たり前か
まぁ、偏見なんだろうけどさ。
あと、どこにどう感動したのかって説明を求める態度が
イヤなのよねぇ〜)
じゃあ、生のコンサートに行けばって話なんだけど、それは勘弁なのね。
だってさ、めちゃくちゃ期待していったのに、全然ダメダメだったら
多分めちゃくちゃ気分が悪いだろうし。(←チケット代返せー(ノ-_-)ノ ~┻━┻)
かといって素晴らしかったら、多分1週間くらい使い物にならなくなっちゃう
ような気がして。(笑)
私がライブとか舞台にあまり行かないのはそういう理由なのね。
いくら以上買うと選べるおまけで、私は手使海ユトロという人のCD「東方見聞録」を選んでみた。
タイトルを見ると―
1、哀愁の大河
2、マルコ・ポーロ
3、フビライ・ハーン
4、シャンバラ
5、バビロンの秘宝
6、ウスクダラ
7、ジパング
8、ポンペイの夕陽
と、非常にオリエンタリズム溢れる作品群である。
使用している楽器も馬頭琴とかOud、琴などエスニックな匂いがプンプンする。
(バイオリンとかサックス、フルートも使ってるけど)
ちなみにこの人、世界ウルルン滞在記の音楽とかをやっているらしい。
実は、この手のCDを私が買うのは珍しい。
なぜなら、なんかこういう音色って聞いてて切なくなっちゃうんだよねぇ〜。
こう、シルクロードの映像とかさ、どっかで発見されたバビロンの像とかが
目に浮かんじゃったりしてさー。
かつての栄華極めた王国とかに思いを馳せちゃったりしてさー。
で、自分が1日使い物にならなくなっちゃうの。(笑)
そういう状態に身を置くのってヤじゃない。
↑人間歴が浅いので、すぐに臨戦態勢に入れない状態にあると不安になるらしい
でさ、長さも調度いいじゃな〜い。
別段ストーリーを頭の中で作らなくていいし、←西洋クラシックとはここが違う(多分)
ただ、音が流れていくのを聞いて心を開放するだけでいいからさー。
でも、心開放する状態って、その間はいいけど、
邪魔されるとめちゃくちゃ気分悪いのよ。
多分、私が西洋クラシック音楽をあまり好きになれないのは、
あんまり長いと飽きるし、通りいっぺんのストーリーや目の前のことについて
余計なことを色々考えちゃうわけよ。
で、素直に心を開放できないの。
例えば、オペラなんかはさー、聴いてるうちに
「どう考えたってこの太ったおばさんが病気で死にそうには見えん」とかさ、
「げげげ。結局浮気モノの話じゃん」とかさ、
「うわ〜、このおっさん(歌手)陶酔してるよ〜。表情が怖いよ〜」とかさ。
オペラじゃなくても、「この曲、ここまで長くする意味があるんかい?」とか
思っちゃうのよねぇ〜。
ラヴェルの『ボレロ』とか、ただただ圧倒される曲もあるんだけどさ。
でも、それすら聞いてて「はぁ?」って思っちゃう演奏のときだってあるわけじゃない。
多分、実はものすごく相性が出ちゃうだけのような気もするんだけどねぇ〜。
西洋クラシック音楽って。
ほんでもってさー、生を聞きに行っちゃったらハマっちゃうような気もしないでもないのよ。
それがイヤなのよ。
前にチラっと書いたけど、ワルシャワで管弦楽団のコンサートに
行ったとき、
今までに聞いたことのない流麗な音に引き込まれて背筋がザワザワしちゃったのよ。
普段クラシック音楽なんか聴かない私ですら素晴らしい演奏だって分かったのね。
で、そのときのツレも普段クラシックなんか全然聞かなそうだったんだけど、
(っていうか、超音速みたいなハードロック好きらしいんだけど)
わざわざ演奏中に「これはスゴい」と耳打ちしてきたわけよ。
(正直、「邪魔すんなヽ(`Д´)ノ」と思ったけど。(笑)
あれから、チロっとTVでクラシックを聞いてみようと思ったけど
なんか全然音が違うのよ。
それが生と録画の違いなのか、テクニックの違いなのか分からんのだけどね。
(あと、アレだ。
多分、そういう番組を観ていると、必ず部屋に母がいるからだ。
母と私は何を鑑賞するにもツボが違うのよ。
で、それが内容を聞いて楽しめたり、目からウロコが落ちるような違いなら
いいんだけど、正直わずらわしい違いなのよ。
何か別のものを聞いているような気にさせられるのよね。
音楽を聴いているというよりも、
「誰々の何々っていう有名な曲だからこうだわね」って教科書的なことを
聞かされてる気分になるのよ。
私がそう言うと怒るんだけどさ。←当たり前か
まぁ、偏見なんだろうけどさ。
あと、どこにどう感動したのかって説明を求める態度が
イヤなのよねぇ〜)
じゃあ、生のコンサートに行けばって話なんだけど、それは勘弁なのね。
だってさ、めちゃくちゃ期待していったのに、全然ダメダメだったら
多分めちゃくちゃ気分が悪いだろうし。(←チケット代返せー(ノ-_-)ノ ~┻━┻)
かといって素晴らしかったら、多分1週間くらい使い物にならなくなっちゃう
ような気がして。(笑)
私がライブとか舞台にあまり行かないのはそういう理由なのね。
実は…、昔、占い師に
「音楽で世界的に有名になれるはずだったのに
その可能性をつぶされたわね」
と言われたことがある。
実は、昔、親に
「ものすごく豊かな感受性を持っているのに、
表現力がないのよね〜」
と言われたことがある。
そして、今、思い出した。
私がピアノをやめた理由。←小学生のときの話
それは…先生が出家したから。 ←実話
ちくしょー。
私がクラシック音楽嫌いになったのは、仏教のせいだったのかっ!!
↑ ザッツ逆恨み
「音楽で世界的に有名になれるはずだったのに
その可能性をつぶされたわね」
と言われたことがある。
実は、昔、親に
「ものすごく豊かな感受性を持っているのに、
表現力がないのよね〜」
と言われたことがある。
そして、今、思い出した。
私がピアノをやめた理由。←小学生のときの話
それは…先生が出家したから。 ←実話
ちくしょー。
私がクラシック音楽嫌いになったのは、仏教のせいだったのかっ!!
↑ ザッツ逆恨み
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