銚子に写真撮影に行ってきた。
某写真投稿サイト(パンチラとかを投稿するサイトにあらず)の仲間たちと
行ってきました、銚子の町。
銚子といえば、漁業とヤマサの工場だよ。
今回、ヤマサには行かなかったけど、漁港の部分はいっぱい写真撮ってきたヨ。
前日、お世話をしてくれた人が
「かなりハードなので、体調の悪い方はご遠慮ください」と。
しか〜し、歩くだけでしょ。大丈夫さ、と行ってみたものの、
本当に「歩く・歩く・撮る・歩く・歩く」の繰り返し。
実はちゃんちゃらナンパな旅を予想していたんだけど
蓋を開ければ「体育会系・銚子写真撮影の旅に……。
ははは……。
でも、思ったよりも天気が良くて
額に汗しながらもガンガン歩いて気持ちよかった。
足にマメが出来たけど…。はは…( ´ー`)フゥー
多分、こちらにおいおい写真をアップしていくので、お時間あったら見ていってね。
天照大神の堕ちてる場合
http://ameblo.jp/tenteruamaterasu/
で、撮影が始まってからたった1時間で、迷子になったのは内緒だ。
( ↑ 集団行動が苦手な人)
某写真投稿サイト(パンチラとかを投稿するサイトにあらず)の仲間たちと
行ってきました、銚子の町。
銚子といえば、漁業とヤマサの工場だよ。
今回、ヤマサには行かなかったけど、漁港の部分はいっぱい写真撮ってきたヨ。
前日、お世話をしてくれた人が
「かなりハードなので、体調の悪い方はご遠慮ください」と。
しか〜し、歩くだけでしょ。大丈夫さ、と行ってみたものの、
本当に「歩く・歩く・撮る・歩く・歩く」の繰り返し。
実はちゃんちゃらナンパな旅を予想していたんだけど
蓋を開ければ「体育会系・銚子写真撮影の旅に……。
ははは……。
でも、思ったよりも天気が良くて
額に汗しながらもガンガン歩いて気持ちよかった。
足にマメが出来たけど…。はは…( ´ー`)フゥー
多分、こちらにおいおい写真をアップしていくので、お時間あったら見ていってね。
天照大神の堕ちてる場合
http://ameblo.jp/tenteruamaterasu/
で、撮影が始まってからたった1時間で、迷子になったのは内緒だ。
( ↑ 集団行動が苦手な人)
やさぐれぱんだふたたび
2006年9月24日 旅行
先のパンダの話題で、高村さん(←リンクあり)が教えてくれたのだが、
パンダは、あの黒い縁取りを取ると「釣り目」なのだそーだ。
…………。
それで思い出したことがある。
前にも書いたかもしれないが(←と保険。忘れっぽくてやーねー)
数年前、北京に観光旅行に出かけた。
現地では、極力タクシーを使わずにパンピーが乗るバスに乗ったのだが、
それが仇になった。
季節は初夏、6月。紫外線がバリバリ幅を利かせるころだ。
そして、私は紫外線アレルギーだった…。
バスに乗る。つり革に掴まる。耳を掻く。
バスに乗る。つり革に掴まる。耳を掻く。
バスに乗る。つり革に捕まる。耳を掻く。
耳は、紫外線のお陰で蕁麻疹が出て、腫れていた。
やめりゃーいいのに、手を洗わずにバリバリ掻いていたので、手についた雑菌が
耳の蕁麻疹から体内に入り、腫れが首にまで……。゜・(ノД`)・゜
中国のバスのつり革についている雑菌には、私の体が今まで経験したことのないようなものがたくさんあったのだ。
当時、私は人から「本当にあごが細いのね〜」と言われてた。
しかし、そんな私が、腫れのお陰で「あごなし女」に……。
当初、会社の人へのお土産には「街で見つけたかわいい小物」を買うつもりで
いたのだが、病院に行ったりなんだりで時間がなくなり、空港で「パンダのクッキー」を買うに留まった。
会社に出社すると、みんなの目が私の顔、首、あごに釘付けになった。
私は何事もなかったように、お土産のパンダのクッキーを差し出し、
「耳から雑菌が入っちゃって……」と「あごなし女」になった理由を説明した。
3日ほどして、お菓子コーナーを見てみると、私が持って帰ってきたお土産は手付かずになっていた。
封は開いているのだが、誰も手をつけていない。
おかしい。
みんな、私の首の腫れを見て、食べる気をなくしちゃったのかしら、と思いながら
クッキーの箱を開けてみると―――
箱いっぱいに並ぶパンダは…………
みんな、目付きが悪かった…… orz
会社の人「いやねぇ〜、天照さんの首は腫れてるし、パンダは人相が悪いし。
ちょっと食べる気になれなくて……」
私 「ははは…。そ、そうですよねぇ〜」
そうして私は、パンダを全部食べる羽目になった。
手に取るたびにパンダが「おんどりゃ〜」と言ってるような気がして、
そっと箱に戻したくなる衝動と戦いながら。
だって、捨てたら、絶対もったいないおばけがでるじゃん
パンダは、あの黒い縁取りを取ると「釣り目」なのだそーだ。
…………。
それで思い出したことがある。
前にも書いたかもしれないが(←と保険。忘れっぽくてやーねー)
数年前、北京に観光旅行に出かけた。
現地では、極力タクシーを使わずにパンピーが乗るバスに乗ったのだが、
それが仇になった。
季節は初夏、6月。紫外線がバリバリ幅を利かせるころだ。
そして、私は紫外線アレルギーだった…。
バスに乗る。つり革に掴まる。耳を掻く。
バスに乗る。つり革に掴まる。耳を掻く。
バスに乗る。つり革に捕まる。耳を掻く。
耳は、紫外線のお陰で蕁麻疹が出て、腫れていた。
やめりゃーいいのに、手を洗わずにバリバリ掻いていたので、手についた雑菌が
耳の蕁麻疹から体内に入り、腫れが首にまで……。゜・(ノД`)・゜
中国のバスのつり革についている雑菌には、私の体が今まで経験したことのないようなものがたくさんあったのだ。
当時、私は人から「本当にあごが細いのね〜」と言われてた。
しかし、そんな私が、腫れのお陰で「あごなし女」に……。
当初、会社の人へのお土産には「街で見つけたかわいい小物」を買うつもりで
いたのだが、病院に行ったりなんだりで時間がなくなり、空港で「パンダのクッキー」を買うに留まった。
会社に出社すると、みんなの目が私の顔、首、あごに釘付けになった。
私は何事もなかったように、お土産のパンダのクッキーを差し出し、
「耳から雑菌が入っちゃって……」と「あごなし女」になった理由を説明した。
3日ほどして、お菓子コーナーを見てみると、私が持って帰ってきたお土産は手付かずになっていた。
封は開いているのだが、誰も手をつけていない。
おかしい。
みんな、私の首の腫れを見て、食べる気をなくしちゃったのかしら、と思いながら
クッキーの箱を開けてみると―――
箱いっぱいに並ぶパンダは…………
みんな、目付きが悪かった…… orz
会社の人「いやねぇ〜、天照さんの首は腫れてるし、パンダは人相が悪いし。
ちょっと食べる気になれなくて……」
私 「ははは…。そ、そうですよねぇ〜」
そうして私は、パンダを全部食べる羽目になった。
手に取るたびにパンダが「おんどりゃ〜」と言ってるような気がして、
そっと箱に戻したくなる衝動と戦いながら。
だって、捨てたら、絶対もったいないおばけがでるじゃん
先日、兼六園(金沢)に行ってきました。
昼間は入場有料なんだけど、夜は無料。
篠笛のライブやってました。
実を言うと、本当は京都に行きたかったのです。
ところが、全然チケットが取れなかった。
やっぱし、紅葉の季節だからね〜。
でも、金沢には前から行きたいと思っていたから楽しめました。
1泊2日の2人旅。
お昼は、市場でウニ・いくら丼を食し、夕方はお茶屋街へ。(←哀しいかな、見学だけ)
夜は兼六園で篠笛ライブ。
次の日は、武家屋敷をウロウロして、はい、さようなら。
今度行くときは、もっと日程に余裕を持って行こうっと。
では、みなさん、ごきげんよう。
…え? それだけかよ?
まぁまぁ、待っておくんなまし。
楽しい話もバリバリありましたって。
その話は、また日を改めて。
では、お休みなさい。
昼間は入場有料なんだけど、夜は無料。
篠笛のライブやってました。
実を言うと、本当は京都に行きたかったのです。
ところが、全然チケットが取れなかった。
やっぱし、紅葉の季節だからね〜。
でも、金沢には前から行きたいと思っていたから楽しめました。
1泊2日の2人旅。
お昼は、市場でウニ・いくら丼を食し、夕方はお茶屋街へ。(←哀しいかな、見学だけ)
夜は兼六園で篠笛ライブ。
次の日は、武家屋敷をウロウロして、はい、さようなら。
今度行くときは、もっと日程に余裕を持って行こうっと。
では、みなさん、ごきげんよう。
…え? それだけかよ?
まぁまぁ、待っておくんなまし。
楽しい話もバリバリありましたって。
その話は、また日を改めて。
では、お休みなさい。
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旅行に行こうとしている。
……。
前回のように(http://diarynote.jp/d/11610/20010331)準備不足で行くのだけはやめてほしい。
今年こそはリストを作っていってほすい。
頼むよ、かーちゃん。
……。
前回のように(http://diarynote.jp/d/11610/20010331)準備不足で行くのだけはやめてほしい。
今年こそはリストを作っていってほすい。
頼むよ、かーちゃん。
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ワイハでお勧めの場所を一つも紹介していなかったわ。
え〜と……。
まず、私が泊まったロイヤル・ハワイアンね。
通称ピンク・パレス。(倉敷市庁舎じゃないわよ。しつこいわね)
アットホームな雰囲気でくつろげる高級ホテルだわ。
そう、高級ホテルなのよ。
でも、日本人コンシェルジュがいるのよ。
もっと詳しく知りたい? じゃ、[プロフィール]の隣の[ホーム]をクリックして、
私にお賽銭を投げてちょうだい。
次は……え? アラモアナ・ショッピングセンター?
実は、色々あって1週間もワイハにいたのに、ショッピングセンター滞在時間が1時間半だったのよ。
え〜と、コ・オリナ教会なナイスなところよ。
ただ、海に面しているので、風が強い日に式なんてやっちゃうと
顔がガビガビになっちゃうわ。
チリメンになりたくないって人は、風のない季節を選ぶといいわ。
そして、最後がレストランよ。
私のお勧めは、カフェ・ミロ。
http://www.hawaii123.com/oahu/eat/hrc/cafemiro.html
http://www.aloha-street.com/est/?est_id=3547
アラモアナ・ショッピングセンターからタクシーで12ドルくらいで行けるわ。
ワイキキの中ではダイヤモンドヘッド寄りね。
オーナーシェフは日本人の小林さんよ。
奥様と日本語べらべらのウエイターさんがサーブしてくれるのよ。
このレストランは日本人のみならず、ジモティからも高い評価を得ているのよ。
おフレンチだけど、アットホームな雰囲気でとてもくつろげるお店。
お味の方は……
ホテルのコンシェルジュの方の話では、何でも名誉ある賞を受賞しているのだとか。
その賞がどんなもんなのかは知らないけれど、評判に違わずおいしいお料理を堪能させていただいたわ。
ホテル側はもっとお客さんに紹介したいのだけど、タクシーで行かなきゃならんので、お客さんが敬遠すると言っていたわ。
でも、タクシー乗ってでも行くべきだわね。
またワイハにくる機会があれば、私は絶対に行くわ。
お店の入り口は別にネオンサインがベカベカ光っているわけでもなく、一見ふつ〜の店構えなので分かりにくいっちゃあ分かりにくいかも。
でも、そんな隠れ家的な雰囲気がまたたまらないのよ。
席数はそんなにないので、予約した方がいいと思うわ。
とにかく、入って絶対後悔しないレストランはここよ。
そういえば、香港のマンダリン・オリエンタルがワイハにも出来たのをご存知かしら?
なんでも、そこの客は世界一うるさいと業界では有名なので、
ホテルのシールをスーツケースに貼っておくと、空港で丁寧に扱ってもらえるとかもらえないとかいう噂がまことしやかに流れる老舗のホテル。
私的にはマンダリン・オリエンタルとワイハって結びつかないんだけど、
それに今回は時間がなくて寄れなかったんだけど、まぁ、マンダリン・オリエンタルには絶対ハズレはないと思うわ。
私、あそこのチョコレートが大好きなの。
自分が行くときはもちろんだけど、友達が行くときも大人買いでお土産を頼んじゃうわ。
ま、そんな感じ?
ほかにも思いついたら、また書くわ。
え〜と……。
まず、私が泊まったロイヤル・ハワイアンね。
通称ピンク・パレス。(倉敷市庁舎じゃないわよ。しつこいわね)
アットホームな雰囲気でくつろげる高級ホテルだわ。
そう、高級ホテルなのよ。
でも、日本人コンシェルジュがいるのよ。
もっと詳しく知りたい? じゃ、[プロフィール]の隣の[ホーム]をクリックして、
私にお賽銭を投げてちょうだい。
次は……え? アラモアナ・ショッピングセンター?
実は、色々あって1週間もワイハにいたのに、ショッピングセンター滞在時間が1時間半だったのよ。
え〜と、コ・オリナ教会なナイスなところよ。
ただ、海に面しているので、風が強い日に式なんてやっちゃうと
顔がガビガビになっちゃうわ。
チリメンになりたくないって人は、風のない季節を選ぶといいわ。
そして、最後がレストランよ。
私のお勧めは、カフェ・ミロ。
http://www.hawaii123.com/oahu/eat/hrc/cafemiro.html
http://www.aloha-street.com/est/?est_id=3547
アラモアナ・ショッピングセンターからタクシーで12ドルくらいで行けるわ。
ワイキキの中ではダイヤモンドヘッド寄りね。
オーナーシェフは日本人の小林さんよ。
奥様と日本語べらべらのウエイターさんがサーブしてくれるのよ。
このレストランは日本人のみならず、ジモティからも高い評価を得ているのよ。
おフレンチだけど、アットホームな雰囲気でとてもくつろげるお店。
お味の方は……
ホテルのコンシェルジュの方の話では、何でも名誉ある賞を受賞しているのだとか。
その賞がどんなもんなのかは知らないけれど、評判に違わずおいしいお料理を堪能させていただいたわ。
ホテル側はもっとお客さんに紹介したいのだけど、タクシーで行かなきゃならんので、お客さんが敬遠すると言っていたわ。
でも、タクシー乗ってでも行くべきだわね。
またワイハにくる機会があれば、私は絶対に行くわ。
お店の入り口は別にネオンサインがベカベカ光っているわけでもなく、一見ふつ〜の店構えなので分かりにくいっちゃあ分かりにくいかも。
でも、そんな隠れ家的な雰囲気がまたたまらないのよ。
席数はそんなにないので、予約した方がいいと思うわ。
とにかく、入って絶対後悔しないレストランはここよ。
そういえば、香港のマンダリン・オリエンタルがワイハにも出来たのをご存知かしら?
なんでも、そこの客は世界一うるさいと業界では有名なので、
ホテルのシールをスーツケースに貼っておくと、空港で丁寧に扱ってもらえるとかもらえないとかいう噂がまことしやかに流れる老舗のホテル。
私的にはマンダリン・オリエンタルとワイハって結びつかないんだけど、
それに今回は時間がなくて寄れなかったんだけど、まぁ、マンダリン・オリエンタルには絶対ハズレはないと思うわ。
私、あそこのチョコレートが大好きなの。
自分が行くときはもちろんだけど、友達が行くときも大人買いでお土産を頼んじゃうわ。
ま、そんな感じ?
ほかにも思いついたら、また書くわ。
そして結婚式は終わった(パート2)
2004年3月7日 旅行ヨットは、シェラトンワイキキの船着場から出港することになっていた。
往復約1時間半のクルージングに、期待にドキを胸胸させながら、われわれ親子は
シェラトンへ急いだ。
乗船客は、どうやら太った白人のおっさん以外、全員日本人のようである。
おっさんは水着に腹の肉を載せたいでたちで、われわれ日本人はほとんどが
シャツに短パン、あるいは日よけのための長ズボンをはいていた。
15,6人の日本人と白人のおっさん1人、船長とその助手(本土からきた白人のおにーちゃんたち)を
乗せたヨット「KATAMARAN(←うる覚え)」号は、緑色の帆を翻しながら
船着場を出港した。
最初の30分間は波が穏やかで、何事もなく時が流れた。
助手のおにーちゃんは、一通り帆関連の仕事が終わると
ドリンクのサービス(有料)やカメラマンサービス(無料)を始めた。
いかにも習いたての日本語で、彼が「お飲み物はいかがですか〜?」
「写真撮りますか〜?」と御用伺いにまわると、われわれ日本人は「じゃ、お願い」
とばかりに記念撮影大会を始めた。
ヨットからは、ダイヤモンドヘッドや、最近ワイハに進出したマンダリン・オリエンタルホテルなどが見えた。
水平線の彼方には、貨物船が行きかう姿も見られた。
途中、何度か大きな波に揺られて服がびしょぬれになったものの、
船長や助手のおにーちゃんたちの様子では、特に問題もなく折り返し地点に到達したようだった。
助手のおにーちゃんは、ヨットの向きを変える作業を終えると、
白人の太ったおっさんと会話を始めた。
おっさんとひとしきりしゃべった後、おにーちゃんは私に近づいてきた。
私が「日本語上手じゃな〜い」と誉めると、おにーちゃんは「実は習い始めて
3カ月なんだけど、日本語は難しい」と自信がない顔をしていた。
さんざんおにーちゃんを励まし、「日本人は英語が苦手だから
臆すことなく日本語で話しかけてあげれば、日本人の方から打ち解けてくるよ。
そ〜いえば、ワイハってほとんど英語を使わなくてもやっていけるのね〜。
びっくりしちゃった〜」
ってな話をしているうちに、おにーちゃんが私の胸を凝視していることに気付いた。
(ど、ど〜したんだ、にーちゃん。 それはセクハラじゃ……?)
と思ったとたん、おにーちゃんは、「ぶ〜ひゃひゃっひゃひゃっ!!」と噴出した。
最初、日本語の勉強に行き詰まっておにーちゃんは気でも狂っちゃったのかと思ったが、
どうやら自分が胸にとんでもないものをぶら下げているらしいことに気付いてしまった。
私の胸にはこう書いてあった。
直訳すると、
しかも、キッズ向けのTシャツなので、イルカちゃんやら太陽やらのかわいい絵がそこかしこにとんでいるのだ。
天照大神「……は、恥ずかし〜。」
おにーちゃんは、すぐに船長のもとへすっ飛んでいき、報告。
2人はのけぞるようにして、ゲラゲラ笑いはじめた。
あ〜、あ〜、あ〜。
恥ずかし〜。
でもね、そうなのよん。
ちっとも英語なんか使わないで過ごしてたから、そこがアメリカだってこと、すっかり忘れてたのよ〜。
見逃してくれよ〜!!
それ以来、下船するまでずっと、おにーちゃんは私と目が合うと、
クックックッと笑いをかみ殺すのに苦労していた。
ま、世の中、笑えればなんでもいいのよ……。
それで……。
ちなみに、件のTシャツは、あたくしのサイト[ホームから行けますー左っかわのメニューから神霊写真館へGO!!]で絶賛公開中だす。
往復約1時間半のクルージングに、期待にドキを胸胸させながら、われわれ親子は
シェラトンへ急いだ。
乗船客は、どうやら太った白人のおっさん以外、全員日本人のようである。
おっさんは水着に腹の肉を載せたいでたちで、われわれ日本人はほとんどが
シャツに短パン、あるいは日よけのための長ズボンをはいていた。
15,6人の日本人と白人のおっさん1人、船長とその助手(本土からきた白人のおにーちゃんたち)を
乗せたヨット「KATAMARAN(←うる覚え)」号は、緑色の帆を翻しながら
船着場を出港した。
最初の30分間は波が穏やかで、何事もなく時が流れた。
助手のおにーちゃんは、一通り帆関連の仕事が終わると
ドリンクのサービス(有料)やカメラマンサービス(無料)を始めた。
いかにも習いたての日本語で、彼が「お飲み物はいかがですか〜?」
「写真撮りますか〜?」と御用伺いにまわると、われわれ日本人は「じゃ、お願い」
とばかりに記念撮影大会を始めた。
ヨットからは、ダイヤモンドヘッドや、最近ワイハに進出したマンダリン・オリエンタルホテルなどが見えた。
水平線の彼方には、貨物船が行きかう姿も見られた。
途中、何度か大きな波に揺られて服がびしょぬれになったものの、
船長や助手のおにーちゃんたちの様子では、特に問題もなく折り返し地点に到達したようだった。
助手のおにーちゃんは、ヨットの向きを変える作業を終えると、
白人の太ったおっさんと会話を始めた。
おっさんとひとしきりしゃべった後、おにーちゃんは私に近づいてきた。
私が「日本語上手じゃな〜い」と誉めると、おにーちゃんは「実は習い始めて
3カ月なんだけど、日本語は難しい」と自信がない顔をしていた。
さんざんおにーちゃんを励まし、「日本人は英語が苦手だから
臆すことなく日本語で話しかけてあげれば、日本人の方から打ち解けてくるよ。
そ〜いえば、ワイハってほとんど英語を使わなくてもやっていけるのね〜。
びっくりしちゃった〜」
ってな話をしているうちに、おにーちゃんが私の胸を凝視していることに気付いた。
(ど、ど〜したんだ、にーちゃん。 それはセクハラじゃ……?)
と思ったとたん、おにーちゃんは、「ぶ〜ひゃひゃっひゃひゃっ!!」と噴出した。
最初、日本語の勉強に行き詰まっておにーちゃんは気でも狂っちゃったのかと思ったが、
どうやら自分が胸にとんでもないものをぶら下げているらしいことに気付いてしまった。
私の胸にはこう書いてあった。
Someone who loves me very much went to HAWAII and got me this T-shirt THERE!!
直訳すると、
あたしのこと、すんごく好きな人が〜、ワイハに行って〜、このTシャツを買って来てくれたの〜
しかも、キッズ向けのTシャツなので、イルカちゃんやら太陽やらのかわいい絵がそこかしこにとんでいるのだ。
天照大神「……は、恥ずかし〜。」
おにーちゃんは、すぐに船長のもとへすっ飛んでいき、報告。
2人はのけぞるようにして、ゲラゲラ笑いはじめた。
あ〜、あ〜、あ〜。
恥ずかし〜。
でもね、そうなのよん。
ちっとも英語なんか使わないで過ごしてたから、そこがアメリカだってこと、すっかり忘れてたのよ〜。
見逃してくれよ〜!!
それ以来、下船するまでずっと、おにーちゃんは私と目が合うと、
クックックッと笑いをかみ殺すのに苦労していた。
ま、世の中、笑えればなんでもいいのよ……。
それで……。
ちなみに、件のTシャツは、あたくしのサイト[ホームから行けますー左っかわのメニューから神霊写真館へGO!!]で絶賛公開中だす。
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そして結婚式は終わった(パート1)
2004年3月6日 旅行と今更ですが、思い出したかのようにワイハ日記の続きを。
結婚式が終わると、家族(父・母・私)はすっかり気が抜けてしまった。
これといって観光計画を立ててきたわけではないので、
とりあえずホテル備え付けの「ホテル利用の案内」とKツリ(旅行社バレバレじゃん)が用意したツアーパンフを熟読。
さすがに選択の余地のない高価なウェディングプランに参加しただけあって、
無料サービスがたくさん付いている。
その中で母と私の目を惹いたのが、「ヨット無料乗船券」である。
早速私たち親子は、ヨット乗りの予約を取るべく、日本人コンシェルジュの部屋へ向かった。
一度書いたかもしれないが書いてない可能性も高いが、
ピンクパレスには、普通のコンシェルジュが常駐する部屋とは別に、
日本人コンシュルジュの常駐する部屋がある。
私たちが向かったのは、もちろん日本人コンシェルジュの部屋である。
ここでは、ただでコーヒーとケーキをご馳走になることができる。
(しかも何杯コーヒーを飲んでも、何個ケーキを食べてもお咎めなしである。うはうは)
日本の新聞も読み放題。
あ、宿泊客でもないのに尋ねていってサービスを受けようったって
そうはうまくいかないので、万が一でもそんなこと考えちゃった人は実行しないように。
最初に尋ねていくと、「ご宿泊のお客様にはレイのプレゼントがございま〜す」とか
なんとか言って、しっかり部屋番号を聞かれるのである。
さて、われわれはそこでヨット乗船の予約を入れると、ブランチに出ることにした。
その日のブランチは、思いっきりアメリカンなダイナーである。
思いっきりアメリカ文化に疎いわれわれは、まず周りを見回して
みんながどんなものを食べているのかをチェックすることにした。
天照大神「……、あの人たちってさぁ〜、胃がもたれるって感覚絶対分かんないよね」
まぁ、それくらい、ボリュームがあって、油がギトギトで胃がもたれそうに見えたのである。
母「お父さん、ここでいいの? 店かえる?」
父「(相変わらず仏頂面)……いい。ここでもいい」
母「ここがいいの? ここでもいいの? どっち?」
天照大神 (”ここがいい”わけないだろ〜が)
というわけで、私たちも、その油ギトギトないかにもカロリー高そうな食事に
ありつくことにした。
その日、ダイナーでは、「オレンジジュースを1杯買うと、おまけでもう1杯飲めるよ」というサービスを行っていた。
われわれは、オレンジジュースをオーダーする際、2杯目に関してはおまけの1杯はいらないからと言い添えた。
しかし、ジュースは4杯も来ちゃった。
しかも、特大サイズ_。
確かオーダーするときに「ミディアム」でオーダーした気がするのだが……
と周りを見回すとバケツみたいなので飲んでる人がいたので、
われわれはそれがミディアムサイズなのだろうと無理やり自分たちを納得させ、食事を続けたのであ〜る。
そんな感じでブランチを終えると、われわれはABCマートに向かった。
私のTシャツを買うためである。
ヨットの予約を取ったとき、コンシェルジュのおねーさんは、
「日によって波の大きさに違いがあります。
お召し物が濡れる場合もございますので、濡れてもいい服装で
ご乗船くださいませ」と教えてくれたのである。
父と母は手持ちがあるというので、私だけが現地調達することになった。
なにせ結婚式や連日のディナーに出席するってんで、すっかりカジュアルな服を持ってくるのを忘れてしまったのである。
で、か〜いいTシャツをゲットしたわけであるが、それがあとでとんでもないことに……。
つづく
結婚式が終わると、家族(父・母・私)はすっかり気が抜けてしまった。
これといって観光計画を立ててきたわけではないので、
とりあえずホテル備え付けの「ホテル利用の案内」とKツリ(
さすがに
無料サービスがたくさん付いている。
その中で母と私の目を惹いたのが、「ヨット無料乗船券」である。
早速私たち親子は、ヨット乗りの予約を取るべく、日本人コンシェルジュの部屋へ向かった。
一度書いたかもしれないが書いてない可能性も高いが、
ピンクパレスには、普通のコンシェルジュが常駐する部屋とは別に、
日本人コンシュルジュの常駐する部屋がある。
私たちが向かったのは、もちろん日本人コンシェルジュの部屋である。
ここでは、ただでコーヒーとケーキをご馳走になることができる。
日本の新聞も読み放題。
あ、宿泊客でもないのに尋ねていってサービスを受けようったって
そうはうまくいかないので、万が一でもそんなこと考えちゃった人は実行しないように。
最初に尋ねていくと、「ご宿泊のお客様にはレイのプレゼントがございま〜す」とか
なんとか言って、しっかり部屋番号を聞かれるのである。
ところで、引用でもなんでもないけれど、ものすごく気になったことがあったのでここに書いておこうっと。
滞在中にそこで3人の日本人コンシェルジュを見たが、彼らの英語が訛っていたので気になった。
しかも、まったく同じ箇所が訛ってる。(笑)
例を挙げると、「today」の発音。
そろいも揃って、「トゥ、デェ〜(音を上げる)イ」と発音するのである。
う〜む、あれってワイハ訛りなの??
さて、われわれはそこでヨット乗船の予約を入れると、ブランチに出ることにした。
その日のブランチは、思いっきりアメリカンなダイナーである。
思いっきりアメリカ文化に疎いわれわれは、まず周りを見回して
みんながどんなものを食べているのかをチェックすることにした。
天照大神「……、あの人たちってさぁ〜、胃がもたれるって感覚絶対分かんないよね」
まぁ、それくらい、ボリュームがあって、油がギトギトで胃がもたれそうに見えたのである。
母「お父さん、ここでいいの? 店かえる?」
父「(相変わらず仏頂面)……いい。ここでもいい」
母「ここがいいの? ここでもいいの? どっち?」
天照大神 (”ここがいい”わけないだろ〜が)
というわけで、私たちも、その油ギトギトないかにもカロリー高そうな食事に
ありつくことにした。
その日、ダイナーでは、「オレンジジュースを1杯買うと、おまけでもう1杯飲めるよ」というサービスを行っていた。
われわれは、オレンジジュースをオーダーする際、2杯目に関してはおまけの1杯はいらないからと言い添えた。
しかし、ジュースは4杯も来ちゃった。
しかも、特大サイズ_。
確かオーダーするときに「ミディアム」でオーダーした気がするのだが……
と周りを見回すとバケツみたいなので飲んでる人がいたので、
われわれはそれがミディアムサイズなのだろうと無理やり自分たちを納得させ、食事を続けたのであ〜る。
そんな感じでブランチを終えると、われわれはABCマートに向かった。
私のTシャツを買うためである。
ヨットの予約を取ったとき、コンシェルジュのおねーさんは、
「日によって波の大きさに違いがあります。
お召し物が濡れる場合もございますので、濡れてもいい服装で
ご乗船くださいませ」と教えてくれたのである。
父と母は手持ちがあるというので、私だけが現地調達することになった。
なにせ結婚式や連日のディナーに出席するってんで、すっかりカジュアルな服を持ってくるのを忘れてしまったのである。
で、か〜いいTシャツをゲットしたわけであるが、それがあとでとんでもないことに……。
つづく
コ・オリナ教会は意外にも近かった 結婚式パート2
2004年2月12日 旅行さて、結婚式inワイハの参列者は、大忙しである。
教会に着くと、段取り学習ビデオを見せられて、それを頭に叩き込まなくてはならない。
特に、花嫁と一緒にバージンロードを歩くことを当日まで知らされていなかった父は
「え? 俺そんなのやりたくない」といういつものセリフを言えないほど、怒涛の勢いでビデオを見せられ、
ウォーキングの練習をさせられていた。
結婚式は厳かに、日本語・英語・ハワイ語のちゃんぽんで行われた。
われわれ出席者は、式を執り行ってくれたのが神父さんだったのか、牧師さんだったのかさえも分からないほど
宗教オンチだったが(恐らく姉も分かっていない)感動的な結婚式であったことは確かだ。
ソプラノの女性が1人同席していて、重要な場面で自慢のノドを披露してくれた。(賛美歌だったのかもしれないが、定かではない)
ちなみに神父さんだか、牧師さんだかは、曙に少し似ていた。
無事に結婚式が終わり、海に面した教会の庭で新婚夫婦を待っている間、
緊張の糸がほぐれた父は、姉の夫の弟1号のご子息Y君と追っかけっこをしていた。
のどかである。向こうには、優雅に揺れる椰子の木が見える。
新婚アベックが教会から出てくると、私たちは花のシャワーを浴びせ、その後カメラマンと化した。
結婚式場付きのカメラマンさんと一緒になって、2人の写真をバシバシ撮りまくった。
さぁ、花嫁がブーケを放り投げるドキドキの時間がやってきた。ドキドキ ドキドキ ドキドキ
姉1号 「はい」
天照大神「は?」
姉1号 「独身、あんたしかいないから」
がーーーーん
参列者で私以外の独身モノは、Y君(5歳)とその妹のMちゃん(1歳)だけだった。
そんなわけで、複雑な気持ちでブーケを手にすると、われわれは教会を後にした。
教会のスタッフのみなさん、神父(牧師?)さん、コーラスの方、バイリンガルのカメラマンさん、ありがとう。
お陰様でとっても感動的な結婚式になりました。
教会から帰ってくると、われわれ一行はピンクパレス(ラブホテルの名前じゃあありません。↓ 1月20日の日記を参照しよう http://diary.note.ne.jp/d/11610/20040120)の1Fにあるレストランでディナーをいただいた。
新婚夫婦はそこでケーキカットをして、それぞれの口にカットしたケーキを運ぶパフォーマンスを行った。
そのパフォーマンスには、Y君(2月2日の日記を参照してちょ http://diary.note.ne.jp/d/11610/20040202)も参加した。
ケーキを目の前にして、Y君の目はウルウルしていた。
私の席は、Y君のお向かいだった。
食事も終盤にさしかかり、生クリームで中のスポンジがすっぽり覆われたケーキを前にすると、彼の目はうっとりし始めた。
一方、私の満腹中枢はそのころ危険信号を発していた。
「も〜、何にも入りません。これ以上食べ物を入れるのはやめてください。これ以上食べると、
明日確実に体重が4Kg増加します。っていうか、もうそんなスペースは余ってません。ホント、頼みます」
しかし、私の席はY君の前だったのである〜。(涙)
姉夫婦が入刀したケーキはデカかった。
そのため、人数分よりたくさんのピースがカットされてしまった。
あまったお皿は必然的に、お子様であるY君の下に集められた。
しかし、当日彼に許されたのはケーキ1皿までである。Y君の父親はさりげなく残りの皿を周りに配り始めた。
Y君の父親「天照大神さん、ケーキいかがですか。もう1皿ありますよ」
Y君の父親は、静かだが威厳に満ちた、半ば強制するような目で私を見つめ、皿を差し出した。
天照大神 「…あ、ありがとうございます」
私には断れなかった。
Y君の目の前にいつまでもケーキを置いとくなんて酷というものだ。
私は+4Kgへの道を自ら選んでしまったのである。
ディナーの終盤では、Y君を中心に話が盛り上がり、姉1号と私は食後Y君を尋ねてお部屋訪問をすることになった。
なんでも、Y君がお手製の正義の味方や、子供用のPCを見せてくれるというのだ。
非常に楽しみである。
姉はY君の部屋に遅れてやってきた。
エラく時間がかかったので、てっきり厚化粧を落としてお肌を整えてから来たのかと思ったが、
厚化粧はそのままだった。
姉と私はY君と追っかけっこなどをして遊び、笑って笑って、笑いまくった。
……そして、姉の目じりの皺は決定的なものになった……。
心優しい妹の私は見るに見かねて、ワイハのコンビニで目じりの皺対策パックを買ってあげ、
帰国してからも目じりの皺用美容液を買う際にアドバイスしてあげた。
しかし、先日遊びにきた姉に「どう? ちゃんと毎日集中ケアしてる?」と聞いたところ、
姉は、「よくヨットなんかに乗る人でさぁ〜、日焼けしてて、目じりの皺はすごいけど、笑顔が素敵な人っているじゃない〜。
ああいう人を目指そうかと思って〜」などと開き直っている。
しかし、私たちは両親が雪国出身のせいか、総じて色白。
日焼けしようったってそうはそうはうまくいかない体質なのだ。
あの日、心にハワイの教会での感動を刻みつけ、そして目じりにハワイの乾燥した潮風を刻みつけた女。さすが、天照大神の姉だわ。
かなわないわ。かないたくないわ。
そんな感じで、心と目じりに強く刻まれた、美しいコ・オリナ教会での結婚式の思い出だが、
思いがけずさらに深い結びつきを感じる出来事があった……。
といっても、その結びつきは姉ではなく、私に関するものだ。
実は私、小学生のときに近所の外人に英語を習っていた。
その先生はアメリカのオハイオ州出身で、非常に発音にうるさい人だった。
そんなわけで、話す内容がまったくもって伴っていないものの、私の発音は比較的きれいである。
(そのおかげでさんざんな目に遭うこともしばしばだが……。ま、それは別の機会に)
というわけでさんざんお世話になったその先生は、今、ハワイに住んでいる。
最初人づてに、ハワイの別の島に住んでいると聞いていたので、
こちらは会いに行く時間がないし、あちらに来てもらうのもなんだということで、
明日日本に帰るって日に電話をしてみた。
すると、なんと今住んでる場所はパールハーバー辺りだというではないか。
車で行ける距離じゃん。な〜んだと思ったところで時既に遅し。
仕方ないので、近況報告や姉の結婚の報告をするにとどめた。
先生「へ〜、おねーさんはどこで結婚式あげたの?」
天照「え〜とね〜、なんて名前の結婚式だったっけ? え〜と、海に面していて〜」
先生「それって、コ・オリナ教会とか×××教会とか?」
天照「あ、それだ。 コ・オリナ教会。 なんで分かったの?」
聞けばナント、牧師(だか神父)の資格を持つ彼は、日本の大学で習った日本語を
駆使して教会でバイトしているという。
教会で歌を歌ってくれた歌手の人は彼の友人で、子供同士が同じ幼稚園に通っているのだ。
なんだ〜、世界って狭いねぇ〜。 結婚式で会ったかもしれないんだねぇ〜。
今度はうちへ遊びに行くよ〜。
と話して電話を切った。 そうしてようやく、私は教会の名前をしっかり脳みそに刻み込んだ。
教会に着くと、段取り学習ビデオを見せられて、それを頭に叩き込まなくてはならない。
特に、花嫁と一緒にバージンロードを歩くことを当日まで知らされていなかった父は
「え? 俺そんなのやりたくない」といういつものセリフを言えないほど、怒涛の勢いでビデオを見せられ、
ウォーキングの練習をさせられていた。
結婚式は厳かに、日本語・英語・ハワイ語のちゃんぽんで行われた。
われわれ出席者は、式を執り行ってくれたのが神父さんだったのか、牧師さんだったのかさえも分からないほど
宗教オンチだったが(恐らく姉も分かっていない)感動的な結婚式であったことは確かだ。
ソプラノの女性が1人同席していて、重要な場面で自慢のノドを披露してくれた。(賛美歌だったのかもしれないが、定かではない)
ちなみに神父さんだか、牧師さんだかは、曙に少し似ていた。
無事に結婚式が終わり、海に面した教会の庭で新婚夫婦を待っている間、
緊張の糸がほぐれた父は、姉の夫の弟1号のご子息Y君と追っかけっこをしていた。
のどかである。向こうには、優雅に揺れる椰子の木が見える。
新婚アベックが教会から出てくると、私たちは花のシャワーを浴びせ、その後カメラマンと化した。
結婚式場付きのカメラマンさんと一緒になって、2人の写真をバシバシ撮りまくった。
さぁ、花嫁がブーケを放り投げるドキドキの時間がやってきた。ドキドキ ドキドキ ドキドキ
姉1号 「はい」
天照大神「は?」
姉1号 「独身、あんたしかいないから」
がーーーーん
参列者で私以外の独身モノは、Y君(5歳)とその妹のMちゃん(1歳)だけだった。
そんなわけで、複雑な気持ちでブーケを手にすると、われわれは教会を後にした。
教会のスタッフのみなさん、神父(牧師?)さん、コーラスの方、バイリンガルのカメラマンさん、ありがとう。
お陰様でとっても感動的な結婚式になりました。
教会から帰ってくると、われわれ一行はピンクパレス(ラブホテルの名前じゃあありません。↓ 1月20日の日記を参照しよう http://diary.note.ne.jp/d/11610/20040120)の1Fにあるレストランでディナーをいただいた。
新婚夫婦はそこでケーキカットをして、それぞれの口にカットしたケーキを運ぶパフォーマンスを行った。
そのパフォーマンスには、Y君(2月2日の日記を参照してちょ http://diary.note.ne.jp/d/11610/20040202)も参加した。
ケーキを目の前にして、Y君の目はウルウルしていた。
私の席は、Y君のお向かいだった。
食事も終盤にさしかかり、生クリームで中のスポンジがすっぽり覆われたケーキを前にすると、彼の目はうっとりし始めた。
一方、私の満腹中枢はそのころ危険信号を発していた。
「も〜、何にも入りません。これ以上食べ物を入れるのはやめてください。これ以上食べると、
明日確実に体重が4Kg増加します。っていうか、もうそんなスペースは余ってません。ホント、頼みます」
しかし、私の席はY君の前だったのである〜。(涙)
姉夫婦が入刀したケーキはデカかった。
そのため、人数分よりたくさんのピースがカットされてしまった。
あまったお皿は必然的に、お子様であるY君の下に集められた。
しかし、当日彼に許されたのはケーキ1皿までである。Y君の父親はさりげなく残りの皿を周りに配り始めた。
Y君の父親「天照大神さん、ケーキいかがですか。もう1皿ありますよ」
Y君の父親は、静かだが威厳に満ちた、
天照大神 「…あ、ありがとうございます」
私には断れなかった。
Y君の目の前にいつまでもケーキを置いとくなんて酷というものだ。
私は+4Kgへの道を自ら選んでしまったのである。
ディナーの終盤では、Y君を中心に話が盛り上がり、姉1号と私は食後Y君を尋ねてお部屋訪問をすることになった。
なんでも、Y君がお手製の正義の味方や、子供用のPCを見せてくれるというのだ。
非常に楽しみである。
姉はY君の部屋に遅れてやってきた。
エラく時間がかかったので、てっきり厚化粧を落としてお肌を整えてから来たのかと思ったが、
厚化粧はそのままだった。
姉と私はY君と追っかけっこなどをして遊び、笑って笑って、笑いまくった。
……そして、姉の目じりの皺は決定的なものになった……。
心優しい妹の私は見るに見かねて、ワイハのコンビニで目じりの皺対策パックを買ってあげ、
帰国してからも目じりの皺用美容液を買う際にアドバイスしてあげた。
しかし、先日遊びにきた姉に「どう? ちゃんと毎日集中ケアしてる?」と聞いたところ、
姉は、「よくヨットなんかに乗る人でさぁ〜、日焼けしてて、目じりの皺はすごいけど、笑顔が素敵な人っているじゃない〜。
ああいう人を目指そうかと思って〜」などと開き直っている。
しかし、私たちは両親が雪国出身のせいか、総じて色白。
日焼けしようったってそうはそうはうまくいかない体質なのだ。
あの日、心にハワイの教会での感動を刻みつけ、そして目じりにハワイの乾燥した潮風を刻みつけた女。さすが、天照大神の姉だわ。
かなわないわ。
そんな感じで、心と目じりに強く刻まれた、美しいコ・オリナ教会での結婚式の思い出だが、
思いがけずさらに深い結びつきを感じる出来事があった……。
といっても、その結びつきは姉ではなく、私に関するものだ。
実は私、小学生のときに近所の外人に英語を習っていた。
その先生はアメリカのオハイオ州出身で、非常に発音にうるさい人だった。
そんなわけで、話す内容がまったくもって伴っていないものの、私の発音は比較的きれいである。
(そのおかげでさんざんな目に遭うこともしばしばだが……。ま、それは別の機会に)
というわけでさんざんお世話になったその先生は、今、ハワイに住んでいる。
最初人づてに、ハワイの別の島に住んでいると聞いていたので、
こちらは会いに行く時間がないし、あちらに来てもらうのもなんだということで、
明日日本に帰るって日に電話をしてみた。
すると、なんと今住んでる場所はパールハーバー辺りだというではないか。
車で行ける距離じゃん。な〜んだと思ったところで時既に遅し。
仕方ないので、近況報告や姉の結婚の報告をするにとどめた。
先生「へ〜、おねーさんはどこで結婚式あげたの?」
天照「え〜とね〜、なんて名前の結婚式だったっけ? え〜と、海に面していて〜」
先生「それって、コ・オリナ教会とか×××教会とか?」
天照「あ、それだ。 コ・オリナ教会。 なんで分かったの?」
聞けばナント、牧師(だか神父)の資格を持つ彼は、日本の大学で習った日本語を
駆使して教会でバイトしているという。
教会で歌を歌ってくれた歌手の人は彼の友人で、子供同士が同じ幼稚園に通っているのだ。
なんだ〜、世界って狭いねぇ〜。 結婚式で会ったかもしれないんだねぇ〜。
今度はうちへ遊びに行くよ〜。
と話して電話を切った。 そうしてようやく、私は教会の名前をしっかり脳みそに刻み込んだ。
結婚式までの長い道のりinワイハ 結婚式パート1
2004年2月11日 旅行「若く見られる人は、顔の皺が少ない」というのは、世の定説らしい。
……しかし、我が家には、その定説を覆す人間がいた……。
12月のワイハは雨季である。
雨季とは、「よく雨が降り湿度が高くなる時期である」と理解していたが、ワイハの雨季は違った。
これを雨季というなら、乾期はどうなっちゃうのさ〜?!?!?!
私をしわくちゃばばぁにするつもり〜?
キィィィィーーーーーー
と叫びたくなるくらい、ワイハは乾燥していた。
しかし幸いにして、私は成田を発つ前に、下で(↓)大宣伝したOXYGEN MISTを買っていた。で、機内で1時間ごとに顔にシューシューした。
そんなわけで、私は機内で使いかけの1本を使い切り、ぷるんぷるんとワイハに乗り込んだ。
それでも、ワイハに入ると乾燥のせいで顔が痛かった。
女神の私でさえこんなに努力してたってのに、まったく努力が足らない人がいた。
それは今回の花嫁・姉1号である。
我が家の人たちはもともと、肌のトラブルが少ない方だ。
私たち姉妹は、皺が少なくしかも目立たないせいか、実年齢より若く見られる。
(3人とも平均5歳は若く見られる)
だから基本的にはあまり肌に気を使っていないってのが正直なところだ。
しかし、私は最低限のケアはしている。色物はチープなモノも使うけど、基礎化粧品にはけっこう金をかけてるのだ。それは、女王様(姉2号)も然りである。
ところが、姉1号はさっぱり、まったく、全然気を使っていない。
女王様と私が口を酸っぱくして「もっとケアしないと、目じりがチリメンになるよ〜」と
脅しても、馬耳東風・どこ吹く風ってなもんで、聞き入れやしないのである。
しかし、不幸にも、そのツケが結婚式当日にまわってきちゃったのである。
花婿が花嫁の準備を見てはいけないとよく言われているが、
今回はメイクさんたちが姉1号の部屋に直接出向いて、花嫁メイクを施してくれた。
私たち親族は、姉1号の準備が出来上がった頃、ホテルのロビーで待ち合わせを
して、リムジンで教会に向かう姉1号夫婦(既に入籍済み)を見送り、
そのあとをやはりリムジンで追っかけるという段取りになっていた。
ロビーで花嫁の登場を待つ私たしの目に映ったものは……。
チリメンどころか、花嫁衣裳を着た巨大な鳥の足跡だった……。
(つまり、目じりに皺がくっきり、はっきり、これっきりと刻まれちゃっていて、
その様子がまるで2つの巨大な鳥の足跡に見えちゃったのである)
(いや、姉の名誉のために申し添えれば、髪型はオードリー・ヘップバーンのような
巻き髪にティアラ、純白の肩出しドレスは姉の細い体を引き立て、非常に美しかった)
天照大神「……お、おねーさん。鏡見た?」
姉1号 「そ、そーなの〜。ど〜しよ〜。グスグス
(↑感極まったのか、鏡を見たせいなのか既に泣いている)
なんか、飛行機に乗ったときからず〜っと空気が乾燥してると
思ってたんだけど……しくしく」
姉にとっては不幸なことに、私はそのときOXYGEN MISTを持っていなかった。
天照大神「ホラ、泣かない。泣くと余計に皺が……。メイクが……あ〜あ〜あ〜」
姉1号 「分かってる。分かってるんだけど……ここまでの道のりが長かったことを
想うと……」
今回の結婚は、出会ってから1年未満で海外挙式まで漕ぎつけたスピード婚である。
天照大神「……何言ってるの? 長いも何もスピード婚じゃないの〜。
早く涙拭きなさいよ〜。化粧がはげるわよ〜。
あ〜、あ〜、あ〜」
姉1号 「だって、ずっと結婚したかったんだもん〜」
姉は、1度目の結婚で懲りたわけでは全然なかった……。
天照大神「分かった。分かったから、泣くな〜。
あ、おねーさん、泣くのもヤバいけど、笑いすぎるのもマズいわよ。
余計に皺が深くなっちゃう」
姉は、前回の結婚式で「花嫁笑いすぎ」と各方面からお叱り(?)をいただいた過去がある。
その笑いすぎが今回のような事態を招いたことを本人が自覚しているかどうかが記念撮影の鍵となるのだが、
例え自覚していても、そこで「私だけは大丈夫」という妙な自信を持たれた日には妹の心配も無駄に終わる。
しかし、どうやら、姉は学習したようである。
ホテルのロビーで記念撮影が始まると、
姉は神妙に「おしとやかな花嫁」を演じていた。
ってことで、記念撮影が終えたわれわれ一行はリムジンに乗り込み、式場である「コ・オリナ」教会へ向かった。
しかし、後に結婚式の写真を見たわれわれが、複雑な思いに捕らわれたことは言うまでもない。
両親などはそんなこと全然気にしていなかったが、姉1号と女王様(姉2号)、そして私は写真を見て、思わず絶句した。
写真は、残酷なまでに正直だった。
コ・オリナ教会は海に面した、ある意味吹きっさらしのナイスなロケーションに位置していた。
プライベートビーチに挟まれ、眺めは最高。ワイハでの結婚式に憧れる女性ならば、
きっと泣いて喜ぶような美しい教会である。
しかし、その日は風が強かった。
塩気を含んだ潮風が容赦なくわれわれの顔面に吹いてくる。
顔がガビガビになりそうだった。
教会について姉1号と合流すると、姉は既に泣きやみ、ケロっとして笑っていた。
……笑っていた。 どうやら姉が学習したと思っていたのは勘違いだったようである。
そのときまぶたの裏に、ホテルの車寄せでにこやかに手を振り、姉を見送るメイクさんたちの姿が鮮明に蘇った。
厚化粧→涙→潮風→笑顔 目じりの皺によくないことのオンパレードである。
さすがに、今素人が化粧直しをしたら、皺にファンデーションを塗りこむことになってしまう。
う〜ん、う〜ん、妹としては非常に悩ましいことだったが、ほっておくことにした。
帰国後、改めて写真を見てみたが、確かに皺はくっきりはっきり刻まれていたものの、
やはり姉は年相応に見えなかった。
まったくもって恐ろしいことである。
……しかし、我が家には、その定説を覆す人間がいた……。
12月のワイハは雨季である。
雨季とは、「よく雨が降り湿度が高くなる時期である」と理解していたが、ワイハの雨季は違った。
これを雨季というなら、乾期はどうなっちゃうのさ〜?!?!?!
私をしわくちゃばばぁにするつもり〜?
キィィィィーーーーーー
と叫びたくなるくらい、ワイハは乾燥していた。
しかし幸いにして、私は成田を発つ前に、下で(↓)大宣伝したOXYGEN MISTを買っていた。で、機内で1時間ごとに顔にシューシューした。
そんなわけで、私は機内で使いかけの1本を使い切り、ぷるんぷるんとワイハに乗り込んだ。
それでも、ワイハに入ると乾燥のせいで顔が痛かった。
女神の私でさえこんなに努力してたってのに、まったく努力が足らない人がいた。
それは今回の花嫁・姉1号である。
我が家の人たちはもともと、肌のトラブルが少ない方だ。
私たち姉妹は、皺が少なくしかも目立たないせいか、実年齢より若く見られる。
(3人とも平均5歳は若く見られる)
だから基本的にはあまり肌に気を使っていないってのが正直なところだ。
しかし、私は最低限のケアはしている。色物はチープなモノも使うけど、基礎化粧品にはけっこう金をかけてるのだ。それは、女王様(姉2号)も然りである。
ところが、姉1号はさっぱり、まったく、全然気を使っていない。
女王様と私が口を酸っぱくして「もっとケアしないと、目じりがチリメンになるよ〜」と
脅しても、馬耳東風・どこ吹く風ってなもんで、聞き入れやしないのである。
しかし、不幸にも、そのツケが結婚式当日にまわってきちゃったのである。
花婿が花嫁の準備を見てはいけないとよく言われているが、
今回はメイクさんたちが姉1号の部屋に直接出向いて、花嫁メイクを施してくれた。
私たち親族は、姉1号の準備が出来上がった頃、ホテルのロビーで待ち合わせを
して、リムジンで教会に向かう姉1号夫婦(既に入籍済み)を見送り、
そのあとをやはりリムジンで追っかけるという段取りになっていた。
ロビーで花嫁の登場を待つ私たしの目に映ったものは……。
チリメンどころか、花嫁衣裳を着た巨大な鳥の足跡だった……。
(つまり、目じりに皺がくっきり、はっきり、これっきりと刻まれちゃっていて、
その様子がまるで2つの巨大な鳥の足跡に見えちゃったのである)
(いや、姉の名誉のために申し添えれば、髪型はオードリー・ヘップバーンのような
巻き髪にティアラ、純白の肩出しドレスは姉の細い体を引き立て、非常に美しかった)
天照大神「……お、おねーさん。鏡見た?」
姉1号 「そ、そーなの〜。ど〜しよ〜。グスグス
(↑感極まったのか、鏡を見たせいなのか既に泣いている)
なんか、飛行機に乗ったときからず〜っと空気が乾燥してると
思ってたんだけど……しくしく」
姉にとっては不幸なことに、私はそのときOXYGEN MISTを持っていなかった。
天照大神「ホラ、泣かない。泣くと余計に皺が……。メイクが……あ〜あ〜あ〜」
姉1号 「分かってる。分かってるんだけど……ここまでの道のりが長かったことを
想うと……」
今回の結婚は、出会ってから1年未満で海外挙式まで漕ぎつけたスピード婚である。
天照大神「……何言ってるの? 長いも何もスピード婚じゃないの〜。
早く涙拭きなさいよ〜。化粧がはげるわよ〜。
あ〜、あ〜、あ〜」
姉1号 「だって、ずっと結婚したかったんだもん〜」
姉は、1度目の結婚で懲りたわけでは全然なかった……。
天照大神「分かった。分かったから、泣くな〜。
あ、おねーさん、泣くのもヤバいけど、笑いすぎるのもマズいわよ。
余計に皺が深くなっちゃう」
姉は、前回の結婚式で「花嫁笑いすぎ」と各方面からお叱り(?)をいただいた過去がある。
その笑いすぎが今回のような事態を招いたことを本人が自覚しているかどうかが記念撮影の鍵となるのだが、
例え自覚していても、そこで「私だけは大丈夫」という妙な自信を持たれた日には妹の心配も無駄に終わる。
しかし、どうやら、姉は学習したようである。
ホテルのロビーで記念撮影が始まると、
姉は神妙に「おしとやかな花嫁」を演じていた。
ってことで、記念撮影が終えたわれわれ一行はリムジンに乗り込み、式場である「コ・オリナ」教会へ向かった。
しかし、後に結婚式の写真を見たわれわれが、複雑な思いに捕らわれたことは言うまでもない。
両親などはそんなこと全然気にしていなかったが、姉1号と女王様(姉2号)、そして私は写真を見て、思わず絶句した。
写真は、残酷なまでに正直だった。
コ・オリナ教会は海に面した、ある意味吹きっさらしのナイスなロケーションに位置していた。
プライベートビーチに挟まれ、眺めは最高。ワイハでの結婚式に憧れる女性ならば、
きっと泣いて喜ぶような美しい教会である。
しかし、その日は風が強かった。
塩気を含んだ潮風が容赦なくわれわれの顔面に吹いてくる。
顔がガビガビになりそうだった。
教会について姉1号と合流すると、姉は既に泣きやみ、ケロっとして笑っていた。
……笑っていた。 どうやら姉が学習したと思っていたのは勘違いだったようである。
そのときまぶたの裏に、ホテルの車寄せでにこやかに手を振り、姉を見送るメイクさんたちの姿が鮮明に蘇った。
厚化粧→涙→潮風→笑顔 目じりの皺によくないことのオンパレードである。
さすがに、今素人が化粧直しをしたら、皺にファンデーションを塗りこむことになってしまう。
う〜ん、う〜ん、妹としては非常に悩ましいことだったが、ほっておくことにした。
帰国後、改めて写真を見てみたが、確かに皺はくっきりはっきり刻まれていたものの、
やはり姉は年相応に見えなかった。
まったくもって恐ろしいことである。
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ワイハ〜2・ディナー編
2004年2月2日 旅行さて、新婚夫婦のおごりで食べるディナーは、シェラトンホテルの最上階レストラン「ハノハノ・ルーム」のコンチネンタル料理である。
そのレストランからは、海に突き出た美しいダイヤモンドヘッドを眺めることができる。
しかし私たちが案内されたのは、
ダイヤモンドヘッドと反対側の窓際のテーブルだった。
内心「ケチ」と思ったが、そのテーブルで正解だったと後で気付いた。
ダイヤモンドヘッドが見える席は海に面しているため、
夕日が沈むと何も見えなくなってしまう。
一方、私たちが座ったテーブルは市内に向いており、あたりが暗くなると、
ビルやホテルのにぎやかな照明が目を楽しませてくれるのだ。
レストランには生バンドが入っていて、ディナーが終盤に近づくと
ウェディングソングを演奏してくれた。
シンガーの女性が姉夫婦のために、「結婚おめでと〜」と
ウェディングソングを歌ってくれた。
周りから促されて父が姉とダンスを踊り始めると、家庭内カメラマンたちが
一斉にシャッターを切った。
父も姉もうれしそうである。
そのうち、姉の夫も真ん中に引き出され、結局、
父、姉、姉の夫、その弟さん1号の長男・Y君(6歳)が輪になって踊っていた。
さて、その輪の中で一際うれしそうにハッスルしていたのが、Y君(6歳)である。
彼は、私たちとは違う理由で、うっとりした表情でディナーを楽しんでいた。
姉の夫の弟さん1号夫婦は、ユニークな方針で子供を育てている。
それは、「子供には肉・砂糖・乳脂肪は与えない」というものだ。
Y君は、落語の「まんじゅうは毒」をさりげなく暗誦するお子様なのだ。
彼は普段、「お菓子」を一切口にしない。
目の前で他人がお菓子を食べていようとも、お菓子は大人が食べるものと割り切り、
駄々をこねるでもなく、おとな〜しくその様子を見ているのである。
早い話、お菓子は酒やたばこと同列に扱われているわけだ。
Y君の両親は学者夫婦で、海外生活も長くて英語がペラペラである。
レストランに入ると必ず、ウェイターさんやウェイトレスさんに
食材は何を使っているかを尋ねて、Y君が食べるものを注文する。
今回の旅行は、そんな彼が「生クリームのケーキ」や
「生クリームが入っているスープ」を食すことのできる数少ないチャンスだった。
Y君の両親が「Y、今回はお祝いだから、特別なんだよ〜」とやさしく語りかけると、
Y君は目をキラキラ輝かせて、うっとりした表情でうなずいていた。
ハノハノ・ルームで彼が口にした禁断の料理は、生クリームが入っているスープ。
Y君の席は私の席から離れていたので途中経過が
どんなものだったかは見てないが、気付くと、
Y君はスープがなくなっても皿をなめんばかりの勢いで食べていた。 笑)
子供とは、かわいいものである。
実は彼、1日目のTavora・Tavora(↓ 20日の日記をご参照ください)では、
せっかくのチャンスをふいにしていた。
その日のディナーは夜の7時半に始まった。
ティラミスをはじめとするケーキ類がテーブルに上ったのは、9時半を過ぎたあたり。
つまり、日本時間では午前2時半すぎのことだった。
彼はデザートを待ちきれずに眠ってしまい、気付いたら
帰りのタクシーの中だった。(涙)
われわれは2台のタクシーに分乗して帰ったので、私は現場を見ていないのだが、
タクシーの中で後悔の念にうちひしがれていた彼を、
父親は「Y〜、世の中、そんなこともあるさ〜」(のん気な父さん風)
となぐさめていたらしい。
そんなわけで、彼は前夜の過ちを繰り返さんとばかりに、
時差ボケに負けじと大ハッスルして、ダンスまで踊ってしまった(と思われる 笑)。
次回はいよいよ、ドキドキの結婚式編。
そのレストランからは、海に突き出た美しいダイヤモンドヘッドを眺めることができる。
しかし私たちが案内されたのは、
ダイヤモンドヘッドと反対側の窓際のテーブルだった。
内心「ケチ」と思ったが、そのテーブルで正解だったと後で気付いた。
ダイヤモンドヘッドが見える席は海に面しているため、
夕日が沈むと何も見えなくなってしまう。
一方、私たちが座ったテーブルは市内に向いており、あたりが暗くなると、
ビルやホテルのにぎやかな照明が目を楽しませてくれるのだ。
レストランには生バンドが入っていて、ディナーが終盤に近づくと
ウェディングソングを演奏してくれた。
シンガーの女性が姉夫婦のために、「結婚おめでと〜」と
ウェディングソングを歌ってくれた。
周りから促されて父が姉とダンスを踊り始めると、家庭内カメラマンたちが
一斉にシャッターを切った。
父も姉もうれしそうである。
そのうち、姉の夫も真ん中に引き出され、結局、
父、姉、姉の夫、その弟さん1号の長男・Y君(6歳)が輪になって踊っていた。
さて、その輪の中で一際うれしそうにハッスルしていたのが、Y君(6歳)である。
彼は、私たちとは違う理由で、うっとりした表情でディナーを楽しんでいた。
姉の夫の弟さん1号夫婦は、ユニークな方針で子供を育てている。
それは、「子供には肉・砂糖・乳脂肪は与えない」というものだ。
Y君は、落語の「まんじゅうは毒」をさりげなく暗誦するお子様なのだ。
彼は普段、「お菓子」を一切口にしない。
目の前で他人がお菓子を食べていようとも、お菓子は大人が食べるものと割り切り、
駄々をこねるでもなく、おとな〜しくその様子を見ているのである。
早い話、お菓子は酒やたばこと同列に扱われているわけだ。
Y君の両親は学者夫婦で、海外生活も長くて英語がペラペラである。
レストランに入ると必ず、ウェイターさんやウェイトレスさんに
食材は何を使っているかを尋ねて、Y君が食べるものを注文する。
今回の旅行は、そんな彼が「生クリームのケーキ」や
「生クリームが入っているスープ」を食すことのできる数少ないチャンスだった。
Y君の両親が「Y、今回はお祝いだから、特別なんだよ〜」とやさしく語りかけると、
Y君は目をキラキラ輝かせて、うっとりした表情でうなずいていた。
ハノハノ・ルームで彼が口にした禁断の料理は、生クリームが入っているスープ。
Y君の席は私の席から離れていたので途中経過が
どんなものだったかは見てないが、気付くと、
Y君はスープがなくなっても皿をなめんばかりの勢いで食べていた。 笑)
子供とは、かわいいものである。
実は彼、1日目のTavora・Tavora(↓ 20日の日記をご参照ください)では、
せっかくのチャンスをふいにしていた。
その日のディナーは夜の7時半に始まった。
ティラミスをはじめとするケーキ類がテーブルに上ったのは、9時半を過ぎたあたり。
つまり、日本時間では午前2時半すぎのことだった。
彼はデザートを待ちきれずに眠ってしまい、気付いたら
帰りのタクシーの中だった。(涙)
われわれは2台のタクシーに分乗して帰ったので、私は現場を見ていないのだが、
タクシーの中で後悔の念にうちひしがれていた彼を、
父親は「Y〜、世の中、そんなこともあるさ〜」(のん気な父さん風)
となぐさめていたらしい。
そんなわけで、彼は前夜の過ちを繰り返さんとばかりに、
時差ボケに負けじと大ハッスルして、ダンスまで踊ってしまった(と思われる 笑)。
次回はいよいよ、ドキドキの結婚式編。
ワイハ〜2 ネイルサロン編
2004年1月24日 旅行商用サイトが宣伝目的でトラックバックしてきた場合は、容赦なく削除します。あしからず。
さて、2日目。
楽しいブランチ(↓ 23日の記事をご参照ください)の後は、ネイルサロン。
メンバーは、母、姉1号、姉1号の夫のお母様、私の4人である。
行った先は「ネイルサロン・ココ」。
http://www.aloha-street.com/est/?est_id=6486
オーナーのココさんは、さまざまなコンテストで優勝しているというネイリストだ。
ここもやはり、姉1号の夫の弟2号の紹介。
彼はサーフィンをするのだが、以前ハワイでサーフィンをしていたときに、
足の爪がボードにあたり、ぱっかり割れてしまったそうだ。
そこで、このサロンで修復してもらったところ、非常に調子が良かったと
もう大絶賛である。
ちなみに「ワイハー(20日の日記)」で書いたとおり、彼はD通にお勤めで、
その妻は○ALにお勤めのCA(キャビンアテンダント)。
最強のアベックなので、こうした情報には事欠かない。
さて、時間割りはこうなった。
[先発] 姉・姉1号の夫のお母様
手足のパック・マッサージおよびマニキュア・ペディキュア
[後発] 母・天照大神
母 ー手のパック・マッサージおよびマニキュア
天照大神ー足のパック・マッサージおよびペディキュア
1時間の時間差で、お願いすることになった。
その間、母と私には自由時間が与えられたのだが、
私には歩きまわれない事情があった。
ペディキュアを塗ってもらう関係で、ホテルからサロンまでは
サンダルで歩いてきたのだが、そのサンダル底が木だったのだ。
……はっきり言って、歩くと指の間が切れそうだった。
というわけで、サロンの中でワイハ関係の旅行雑誌を見ながら
時間をつぶすことにした。
私「……」(もじもじ)
私「……」(もじもじ)
私「ねぇ、時間があれば、私も手をやってもらおうかなぁ〜。
時間大丈夫だよねぇ〜」
母「あら、いいんじゃない? お母さんも足をやってもらっちゃおうかな」
母・私「すみませ〜ん」
というわけで、私たち親娘は追加オーダーをしたのである。
しかし、これが後でとんでもないことに……。
先発隊の姉と、姉の夫のお母様の両手・両足の爪が変身を遂げたとき、
母と私はマッサージを受けてる最中で、椅子に座ったまま
両手・両足を前に突き出すという非常に間の抜けた格好をしていた。
足には、これからペディキュアをしてもらうってんで、サロン内だけで履く、
紙のようにペラペラなプラスチックサンダルがつっかけられた状態だった。
姉 「じゃ、お母様と私は先に行ってるわねぇ〜。 ディナーの待ち合わせは、
6時半にホテルのロビーだから遅れないでねぇ〜」
私 「了解〜。
……あ。 (サロンスタッフの方に向いて)間に合いますよねぇ
〜?」
サロンスタッフ「大丈夫だと思いますよ〜」
姉 「じゃ、お母様と私は先に行ってるわ〜。 また後で〜」
しかし、現実には、
微妙に大丈夫じゃなかった……汗
マニキュアを塗ってもらい、これからペディキュアに入ろうってときに、
ふと時計に目をやった母と私は、一瞬目を見合わせた。
マニキュアを塗ってもらった時間を参考にして計算すると、
ペディキュアを塗ってもらい終わった時点でちょうど6時半になりそうな、
そんな予感がチラリズムだったのだ。
私 「あの〜、私たちロイヤルハワイアンに泊まってるんですけどぉ、
急いで帰るには、走って帰るのとタクシーで帰るのとでは
どっちが早いでしょ〜か?」
ココさん 「あ〜、びみょ〜ですねぇ〜。
ハワイって結構、一方通行が多いんですよ〜。
走れるなら、走った方が早いかも……。
でも〜(と足に視線を走らすと)、タクシー、呼びましょうか?」
母 「だ、大丈夫です。タクシーなくても帰れます〜(とやせ我慢)」
私 「(え〜〜〜〜!!!) ←声にならない絶叫
あ、すみません。 え〜と、ペディキュアなんですけど、
ケアだけしてもらって、色は今回はキャンセルってできますか
〜?」
サロンスタッフ 「大丈夫ですよ。では、ベースコートとトップコートだけ塗りますねぇ〜。
すぐ乾きますから〜」
母・私 「それでお願いしま〜す」
そんなわけで、サロンからホテルまで、走って帰ることになった。
その道のりは徒歩で10〜15分ほど。
途中土産物屋通り(いわゆるバザールってやつですか?)の真ん中をつっきり、
ワイキキで一番観光客が溢れかえっている道路をつっきり、
そのまた先のハワイアンショッピングセンターをつっきると、
そこにわれわれが宿泊していたロイヤル・ハワイアン(通称ピンクパレス)がある。
いざ、走って帰ろうってときに、重大なことに気付いてしまった。
サンダルの底は……木……である。
既にホテルからサロンに行く道で,
そのサンダルには
「ひぃ〜、ひぃ〜」言わされた。
私「……あ、あのぉ〜。 この、今私が履いてるペラペラのサンダル、
もらってもいいですか?(必死)」
そのサンダルは、どう見ても紙マスクくらい消耗品です。
そのサンダルで石ころをふんづけたら、どう考えても足から血が出ます。
そのサンダルで道路を走ったら、どう考えても痛いです。
クッションもへったくれもないです。
サロンスタッフ「……い、いいですけど。 …タクシー、呼びましょうか」
とそこで母が前に出て、
「いえ、待ってる時間はないので、ここで失礼します〜。
ありがとうございました〜。 ホラ、天照、行くわよ」
私「(鬼〜〜〜!!)←と心の叫び」
母と私は全速力で駆け出した。
いかにもペラペラなプラスチックサンダルを履いて、
どっからから逃げ出してきたかのような格好で、 ← 足元が。
観光客がブランド品やハワイアンキルトのショッパーをぶら下げて歩いている
その脇を全速力で駆けたのである。
……足の裏は…痛かった。 (涙)
そんなわけで、待ち合わせの時間に軽く7分遅刻したわれわれを
みんなはいたわってくれた。
あ、マニキュアは非常にきれいに出来上がったことをここに記しておこう。
私は肌になじむゴールドを塗ってもらい、
小指だけにお花(プチ・ラインストーン1個乗せ)を描いてもらった。
ちなみに母と私がいない間、父が何をしていたかというと
父「え? 散歩。
向こうの通りをまっすぐ行くと日本料理屋と居酒屋がたくさんあったぞ」
と骨の髄まで日本のサラリーマンチックな父であった。
さて、2日目。
楽しいブランチ(↓ 23日の記事をご参照ください)の後は、ネイルサロン。
メンバーは、母、姉1号、姉1号の夫のお母様、私の4人である。
行った先は「ネイルサロン・ココ」。
http://www.aloha-street.com/est/?est_id=6486
オーナーのココさんは、さまざまなコンテストで優勝しているというネイリストだ。
ここもやはり、姉1号の夫の弟2号の紹介。
彼はサーフィンをするのだが、以前ハワイでサーフィンをしていたときに、
足の爪がボードにあたり、ぱっかり割れてしまったそうだ。
そこで、このサロンで修復してもらったところ、非常に調子が良かったと
もう大絶賛である。
ちなみに「ワイハー(20日の日記)」で書いたとおり、彼はD通にお勤めで、
その妻は○ALにお勤めのCA(キャビンアテンダント)。
最強のアベックなので、こうした情報には事欠かない。
さて、時間割りはこうなった。
[先発] 姉・姉1号の夫のお母様
手足のパック・マッサージおよびマニキュア・ペディキュア
[後発] 母・天照大神
母 ー手のパック・マッサージおよびマニキュア
天照大神ー足のパック・マッサージおよびペディキュア
1時間の時間差で、お願いすることになった。
その間、母と私には自由時間が与えられたのだが、
私には歩きまわれない事情があった。
ペディキュアを塗ってもらう関係で、ホテルからサロンまでは
サンダルで歩いてきたのだが、そのサンダル底が木だったのだ。
……はっきり言って、歩くと指の間が切れそうだった。
というわけで、サロンの中でワイハ関係の旅行雑誌を見ながら
時間をつぶすことにした。
私「……」(もじもじ)
私「……」(もじもじ)
私「ねぇ、時間があれば、私も手をやってもらおうかなぁ〜。
時間大丈夫だよねぇ〜」
母「あら、いいんじゃない? お母さんも足をやってもらっちゃおうかな」
母・私「すみませ〜ん」
というわけで、私たち親娘は追加オーダーをしたのである。
しかし、これが後でとんでもないことに……。
先発隊の姉と、姉の夫のお母様の両手・両足の爪が変身を遂げたとき、
母と私はマッサージを受けてる最中で、椅子に座ったまま
両手・両足を前に突き出すという非常に間の抜けた格好をしていた。
足には、これからペディキュアをしてもらうってんで、サロン内だけで履く、
紙のようにペラペラなプラスチックサンダルがつっかけられた状態だった。
姉 「じゃ、お母様と私は先に行ってるわねぇ〜。 ディナーの待ち合わせは、
6時半にホテルのロビーだから遅れないでねぇ〜」
私 「了解〜。
……あ。 (サロンスタッフの方に向いて)間に合いますよねぇ
〜?」
サロンスタッフ「大丈夫だと思いますよ〜」
姉 「じゃ、お母様と私は先に行ってるわ〜。 また後で〜」
しかし、現実には、
微妙に大丈夫じゃなかった……汗
マニキュアを塗ってもらい、これからペディキュアに入ろうってときに、
ふと時計に目をやった母と私は、一瞬目を見合わせた。
マニキュアを塗ってもらった時間を参考にして計算すると、
ペディキュアを塗ってもらい終わった時点でちょうど6時半になりそうな、
そんな予感がチラリズムだったのだ。
私 「あの〜、私たちロイヤルハワイアンに泊まってるんですけどぉ、
急いで帰るには、走って帰るのとタクシーで帰るのとでは
どっちが早いでしょ〜か?」
ココさん 「あ〜、びみょ〜ですねぇ〜。
ハワイって結構、一方通行が多いんですよ〜。
走れるなら、走った方が早いかも……。
でも〜(と足に視線を走らすと)、タクシー、呼びましょうか?」
母 「だ、大丈夫です。タクシーなくても帰れます〜(とやせ我慢)」
私 「(え〜〜〜〜!!!) ←声にならない絶叫
あ、すみません。 え〜と、ペディキュアなんですけど、
ケアだけしてもらって、色は今回はキャンセルってできますか
〜?」
サロンスタッフ 「大丈夫ですよ。では、ベースコートとトップコートだけ塗りますねぇ〜。
すぐ乾きますから〜」
母・私 「それでお願いしま〜す」
そんなわけで、サロンからホテルまで、走って帰ることになった。
その道のりは徒歩で10〜15分ほど。
途中土産物屋通り(いわゆるバザールってやつですか?)の真ん中をつっきり、
ワイキキで一番観光客が溢れかえっている道路をつっきり、
そのまた先のハワイアンショッピングセンターをつっきると、
そこにわれわれが宿泊していたロイヤル・ハワイアン(通称ピンクパレス)がある。
いざ、走って帰ろうってときに、重大なことに気付いてしまった。
サンダルの底は……木……である。
既にホテルからサロンに行く道で,
そのサンダルには
「ひぃ〜、ひぃ〜」言わされた。
私「……あ、あのぉ〜。 この、今私が履いてるペラペラのサンダル、
もらってもいいですか?(必死)」
そのサンダルは、どう見ても紙マスクくらい消耗品です。
そのサンダルで石ころをふんづけたら、どう考えても足から血が出ます。
そのサンダルで道路を走ったら、どう考えても痛いです。
クッションもへったくれもないです。
サロンスタッフ「……い、いいですけど。 …タクシー、呼びましょうか」
とそこで母が前に出て、
「いえ、待ってる時間はないので、ここで失礼します〜。
ありがとうございました〜。 ホラ、天照、行くわよ」
私「(鬼〜〜〜!!)←と心の叫び」
母と私は全速力で駆け出した。
いかにもペラペラなプラスチックサンダルを履いて、
どっからから逃げ出してきたかのような格好で、 ← 足元が。
観光客がブランド品やハワイアンキルトのショッパーをぶら下げて歩いている
その脇を全速力で駆けたのである。
……足の裏は…痛かった。 (涙)
そんなわけで、待ち合わせの時間に軽く7分遅刻したわれわれを
みんなはいたわってくれた。
あ、マニキュアは非常にきれいに出来上がったことをここに記しておこう。
私は肌になじむゴールドを塗ってもらい、
小指だけにお花(プチ・ラインストーン1個乗せ)を描いてもらった。
ちなみに母と私がいない間、父が何をしていたかというと
父「え? 散歩。
向こうの通りをまっすぐ行くと日本料理屋と居酒屋がたくさんあったぞ」
と骨の髄まで日本のサラリーマンチックな父であった。
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何事もなく無事に1日目を終えた天照一家。
2日目のスケジュールは、(午後)ネイルサロン→ディナー
以外何も決まっていなかった。
遅くに起床し、親子3人でホテルの近くを散策した。
伝説のサーファー「デューク」の像を横目に見ながら、ワイキキの
お買い物ロードをブラブラと歩く……訳もなく、
当然ながら母と私は通りに居並ぶショップに出たり入ったりと、
完全なる買い物モードに入っていた。
父は……終始退屈そうだったが。
旅行中、何度も何度も下のような会話がなされたことは
この際おいておこう。 (^^A)
母「もう、お父さんったら〜。
せっかくの旅行なんだから楽しみましょうよ〜」
父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情
母「買い物はイヤなの? じゃあ〜、お父さん、ハワイで何したいのよ〜」
父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情
母「もうっ (ぷい)」
その日は、ワイキキ通り沿いにある中華料理店でブランチを取ることにした。
ぺらぺらの紙チラシを持って呼び込みをやっていた中国系のおやぢに
つかまったのだが、「まぁ、こんな紙チラシを配ってるくらいだから安いだろう。
ランチだし」という計算があったわけだ。
ビルの地下にあるその店の壁には、有名人のサイン入り写真が
ベタベタ貼ってあった。
ハリウッドスターやアジアの映画スターが中心だったが、ちょっと毛色が変わったとろこで、
ビル&ヒラリー・クリントン夫婦なんてのもあった。
その店は……壁がゴージャスなだけに値段もゴージャスだった。 (汗
料理の味は……かなり微妙。
いや、まずくはない、けっしてまずくはなかったけれど、
「この味にその値段はないだろ〜、ふつ〜」と思ってしまった。
ちょっと香港で暮らしたことのある人間としてはネ、許せないものがあったのネ。
日本と比較しても、かなり、いや、相当マズい気がする。
実は私、ジャスミン茶が大大大っ嫌いである。
以前北京を旅行したときに、どの店に入ってもふつ〜にジャスミン茶が
出てくるので、この街では生活できないと思ってしまった。
何が嫌いって、あの匂いがだめ。
自分は頼んでいなくても、同じテーブルで誰かがジャスミン茶を頼むと
ぷ〜んとあのかほりがしてきて泣きたくなる。
あれだけ匂いが強ければ、ふつ〜食事には出さないだろ〜と
思っちゃうが、北京の方々はそうは考えないらしい。
(と勝手に店のオーナーは北京から来たに違いないと決め付ける)
メニューに載っていた中国茶は、ジャスミン茶だけだった。
店の人に「別のお茶はないか」と尋ねたところ、鉄観音茶があるというので
それをオーダーした。
が、が、が、これがあとでとんでもない事態に……。
食事が終わって、会計伝票をチェックし始めたのだが、
それがどうにもこうにも読みにくくて、「総計」にいたるまでの
過程がまったくもってよく分からない。
やたらに「+××ドル」だの「−××ドル」という表記があって、
しかもその数が尋常じゃなかった。
ウェイトレスさんを呼んで聞いてみると、どうやら最初にレジを打ち間違えて
余計な分をつけたらしい。それを後になって引いたり、
また間違えて足したり引いたりしているうちに
訳の分からない伝票になってしまったらしい。
(ふつ〜はそこまで訳が分かんなくなったら、打ち直すと思うが……)
一応メニューでチェックしたところ、総計は合っているようだったので、
その額を支払うことにしたのだが……
鉄観音の欄を見ると、ナ、ナント15.5ドル × 3(人前) となっていた。
……… むっ
確かに値段を確認したときに、ウェイトレスさんは「15.5ドル」と言っていた。
それは確かだ。
しかし、彼女は「per person」とは言わずに、ただ「15.5ドル」と言ったのだ。
それじゃあ、3人で15.5ドルだって思っちゃうじゃ〜ん。 T0T
ということは、つまり、1人分の茶葉の値段は15.5ドル。
15.5ドル……1ドル108円で計算すると
……お1人さま 1674円なり チーーーーン (ノ-_-)ノ ~┻━┻
われわれが、会計を済ませた後もテーブルにへばりつき、
ポットにおかわりのお湯を何度も要求したことは言うまでもない。
ちなみにその茶葉、「特級鉄観音」を謳っていたわりには
味も香りもいまいちだった……。
いや、ふつ〜の店だったのよ、ふつ〜の。(多分)
ただもう少しネ、味と値段のバランスがよければ、
ここまでボロクソには言わないんだけど……ネ。
というわけで、店の名誉のために、名前は伏せときます。
と、ここまではある意味店の対応に熱くなった話だが、
われわれにはほかにも熱くなる理由があった。
前日の夜の取り決めでは、食事代は父の財布から出すことになっていた。
伝票計算の騒ぎが一段落して、ウェトレスさんが持ち場に戻っていった後、
残された伝票を前にして(われわれはまだテーブルにいばした)、
父がおもむろにベルトを緩めた。
母「(お、お父さん、何してるのぉぉぉぉぉぉ?!?!?!?)←声にならない絶叫」
父「え? オレ、財布なんか持ち歩いてないもん。 お前が
危ないからパスポートとお金は腹の中にしまえって言ったんじゃないか」
私「(ええええ〜!! 今時……)←声にならない絶叫」
つまり、こういうことである。
そこでの食事代金は思いのほか高かった。
多少の小銭ならばすぐ出せるが、余分なお金は腹の中。
なればそこから出すしかないだろう……。
あとで聞いたところ、父にはクレジットカードという選択肢はなかったらしい……。
ははは。
私が知る限り、父が海外旅行に出たのはこれで3度目である。
(母はなんだかんだいって、1年に1度は海外旅行をしているが)
父は若い時分には仕事で海外に行くこともあったようだが、
そんなときでさえクレジットカードを使う必要がなかったのだとか。
そんなわけで心配した母が超ウルトラ古典的なトラベルグッズ、
腹巻ベルトを父に渡したのだ。
ちなみに我が家は、「いつもニコニコ現金払い」をモットーとしている。
(しかし……海外に出てまで……)
とまぁ、こんなわけで午後の楽しいネイルサロンの話はまた明日。
2日目のスケジュールは、(午後)ネイルサロン→ディナー
以外何も決まっていなかった。
遅くに起床し、親子3人でホテルの近くを散策した。
伝説のサーファー「デューク」の像を横目に見ながら、ワイキキの
お買い物ロードをブラブラと歩く……訳もなく、
当然ながら母と私は通りに居並ぶショップに出たり入ったりと、
完全なる買い物モードに入っていた。
父は……終始退屈そうだったが。
旅行中、何度も何度も下のような会話がなされたことは
この際おいておこう。 (^^A)
母「もう、お父さんったら〜。
せっかくの旅行なんだから楽しみましょうよ〜」
父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情
母「買い物はイヤなの? じゃあ〜、お父さん、ハワイで何したいのよ〜」
父「……」 ← 怒ってるんだか、退屈なんだか分からない表情
母「もうっ (ぷい)」
その日は、ワイキキ通り沿いにある中華料理店でブランチを取ることにした。
ぺらぺらの紙チラシを持って呼び込みをやっていた中国系のおやぢに
つかまったのだが、「まぁ、こんな紙チラシを配ってるくらいだから安いだろう。
ランチだし」という計算があったわけだ。
ビルの地下にあるその店の壁には、有名人のサイン入り写真が
ベタベタ貼ってあった。
ハリウッドスターやアジアの映画スターが中心だったが、ちょっと毛色が変わったとろこで、
ビル&ヒラリー・クリントン夫婦なんてのもあった。
その店は……壁がゴージャスなだけに値段もゴージャスだった。 (汗
料理の味は……かなり微妙。
いや、まずくはない、けっしてまずくはなかったけれど、
「この味にその値段はないだろ〜、ふつ〜」と思ってしまった。
ちょっと香港で暮らしたことのある人間としてはネ、許せないものがあったのネ。
日本と比較しても、かなり、いや、相当マズい気がする。
実は私、ジャスミン茶が大大大っ嫌いである。
以前北京を旅行したときに、どの店に入ってもふつ〜にジャスミン茶が
出てくるので、この街では生活できないと思ってしまった。
何が嫌いって、あの匂いがだめ。
自分は頼んでいなくても、同じテーブルで誰かがジャスミン茶を頼むと
ぷ〜んとあのかほりがしてきて泣きたくなる。
あれだけ匂いが強ければ、ふつ〜食事には出さないだろ〜と
思っちゃうが、北京の方々はそうは考えないらしい。
(と勝手に店のオーナーは北京から来たに違いないと決め付ける)
メニューに載っていた中国茶は、ジャスミン茶だけだった。
店の人に「別のお茶はないか」と尋ねたところ、鉄観音茶があるというので
それをオーダーした。
が、が、が、これがあとでとんでもない事態に……。
食事が終わって、会計伝票をチェックし始めたのだが、
それがどうにもこうにも読みにくくて、「総計」にいたるまでの
過程がまったくもってよく分からない。
やたらに「+××ドル」だの「−××ドル」という表記があって、
しかもその数が尋常じゃなかった。
ウェイトレスさんを呼んで聞いてみると、どうやら最初にレジを打ち間違えて
余計な分をつけたらしい。それを後になって引いたり、
また間違えて足したり引いたりしているうちに
訳の分からない伝票になってしまったらしい。
(ふつ〜はそこまで訳が分かんなくなったら、打ち直すと思うが……)
一応メニューでチェックしたところ、総計は合っているようだったので、
その額を支払うことにしたのだが……
鉄観音の欄を見ると、ナ、ナント15.5ドル × 3(人前) となっていた。
……… むっ
確かに値段を確認したときに、ウェイトレスさんは「15.5ドル」と言っていた。
それは確かだ。
しかし、彼女は「per person」とは言わずに、ただ「15.5ドル」と言ったのだ。
それじゃあ、3人で15.5ドルだって思っちゃうじゃ〜ん。 T0T
ということは、つまり、1人分の茶葉の値段は15.5ドル。
15.5ドル……1ドル108円で計算すると
……お1人さま 1674円なり チーーーーン (ノ-_-)ノ ~┻━┻
われわれが、会計を済ませた後もテーブルにへばりつき、
ポットにおかわりのお湯を何度も要求したことは言うまでもない。
ちなみにその茶葉、「特級鉄観音」を謳っていたわりには
味も香りもいまいちだった……。
いや、ふつ〜の店だったのよ、ふつ〜の。(多分)
ただもう少しネ、味と値段のバランスがよければ、
ここまでボロクソには言わないんだけど……ネ。
というわけで、店の名誉のために、名前は伏せときます。
と、ここまではある意味店の対応に熱くなった話だが、
われわれにはほかにも熱くなる理由があった。
前日の夜の取り決めでは、食事代は父の財布から出すことになっていた。
伝票計算の騒ぎが一段落して、ウェトレスさんが持ち場に戻っていった後、
残された伝票を前にして(われわれはまだテーブルにいばした)、
父がおもむろにベルトを緩めた。
母「(お、お父さん、何してるのぉぉぉぉぉぉ?!?!?!?)←声にならない絶叫」
父「え? オレ、財布なんか持ち歩いてないもん。 お前が
危ないからパスポートとお金は腹の中にしまえって言ったんじゃないか」
私「(ええええ〜!! 今時……)←声にならない絶叫」
つまり、こういうことである。
そこでの食事代金は思いのほか高かった。
多少の小銭ならばすぐ出せるが、余分なお金は腹の中。
なればそこから出すしかないだろう……。
あとで聞いたところ、父にはクレジットカードという選択肢はなかったらしい……。
ははは。
私が知る限り、父が海外旅行に出たのはこれで3度目である。
(母はなんだかんだいって、1年に1度は海外旅行をしているが)
父は若い時分には仕事で海外に行くこともあったようだが、
そんなときでさえクレジットカードを使う必要がなかったのだとか。
そんなわけで心配した母が超ウルトラ古典的なトラベルグッズ、
腹巻ベルトを父に渡したのだ。
ちなみに我が家は、「いつもニコニコ現金払い」をモットーとしている。
(しかし……海外に出てまで……)
とまぁ、こんなわけで午後の楽しいネイルサロンの話はまた明日。
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いまだかつてないことだが、往路の飛行機の中では爆睡した。
それだけ、前の週のバイトがキツかったのだ。
と言いたいところだけど、
真相は、お腹いっぱい食べ過ぎて動くこともままならず、
「こりゃ〜、寝るしかないな」と脳みそが判断したからに違いない。
目覚めると、もう陸地が見えていた。
さて、空港に降り立って最初にすることは?
そう、入国である。
気を引き締めて行くぞ〜。
なにしろ、相手はアメリカの入国係官だ〜。
とIRAがドンパチやってた時代のヒースロー空港並みに
厳しい入国審査が待っていると気を引き締めたのだが、
どうも列に並んでる人たちの緊張感が違う。
陽気なハワイアン音楽と波の音に乗って「ようこそ、ハワイへ〜」という声が聞こえたので
振り返ると、ナ、ナント、そこかしこにモニターが設置されており、
そこからハワイの魅力を伝える映像がタレ流されているではあ〜りませんか。
しか〜も、思いっきり全部日本語。(笑)
父・母・私で固まって入国審査の列に並んでいたのだが、
入国係官は父の順番がきた時点で母を呼び、そして私までもを呼んだ。
どうやら3人まとめて入国スタンプを押してしまおうというハラらしい。
……って、そんなアバウトでいいのか??
係官「オォォ〜、ウェディング ネェ〜。
私モ ウェディング、日本デ 旅行シマシタネ〜。
(父と母に向かって)オォォ〜、ムス〜メさん、キレイネ〜」
と、ここで母が余計な一言を。
母 「ノーノー、この子じゃないのね」
係官「オォォ〜、アナタ 違ウネ〜」
私 「(ガク)」
思いっきりベタな会話が進行し、滞りなく入国手続きが終了。
私たちはarrivalゲートを抜けて、とりあえず某旅行会社のカウンターに向かった。
そこで、別の係官の窓口で入国した姉たちと合流した。
さて、今回の旅はパックツアーである。
私にとってパックツアーでの旅行なんて、××年ぶりのことである。
この先ど〜したらいいか分からずにぼ〜っとしていると、旅行会社の人がやってきて
私たちを空港の屋上に案内した。
待っていたのは、
(ジャジャーン) ビキニにレイ姿のおねーちゃんたちである。
「ウェルカム、ウェルカム」と言いながら、おねーちゃんたちは私たちにレイを配ると、
一列に並ぶように促した。
こ、これは……まさか…。
そう、そのまさかである。
ニカッと笑って写真におさまると、私たちはようやく解放された。
……かに思えたが、そうは問屋がおろさなかった。
私たちは旅行会社のバスに乗り込むと、そのままガーーーーッとホノルル内の
デカいデューティーフリーショップ(DFS)に連れて行かれた。
そこの2階には某旅行会社専用の部屋があり、
われわれツアー参加者はそこで、泊まるホテルやホノルル市内の足、
オプショナルツアーに関する説明を受けるのだ。
ちゃっかり「義理みやげ」の説明付きである。
説明を担当したのは大阪出身のおばちゃんだった。
おばちゃん「みなさん、今回の旅行はご近所さんもご存知ですよねぇ〜。
あら、ハワイ行くん? ほなきぃ付けて。土産はいらんで〜。
そ〜は言っても、マカデミアナッツくらい買うてきてくれんのやろな〜
と思うのが人情です。
そこで、みなさんにお配りしたいのが、義理土産注文書。
ここで一括して申し込んでおきますと、義理土産の受け取りは
帰りの飛行機に乗る直前。楽チンです」
(関西の方、私のソフト関西弁が間違ってたら、ごめんなさい)
ここでようやく、われわれは開放された。
われわれが泊まったホテルは、ロイヤル・ハワイアン。
シェラトンホテル・ワイキキに隣接する、ピンク色のニクイ建物である。
歴史を紐解いてみると、なんと今シェラトンが建っている場所は
その昔ロイヤル・ハワイアンの駐車場だった土地である。
世界各国の要人がハワイでの定宿としてロイヤルハワイアンを
利用したという。
壁の色は趣味の悪い倉敷市庁の建物と同じだが、
なかなかどうして、歴史ある格調高いホテルなのだ。
どうりで宿泊費が高いわけだ。(ボソ
(倉敷市民のみなさん、ごめんなさい。 ^^;)
ちなみに、地元では「ピンク・パレス」と呼ばれている、らしい。
さて、ここで結婚式までの簡単なスケジュールを紹介しておこう。
1日目、ホノルル入り 夜はレストラン「Tavora・Tavora」で食事。
2日目、午後はネイルアートのお店へ 夜は新婚夫婦のおごりで
シェラトンの最上階レストランで食事。
3日目、結婚式 夜はロイヤル・ハワイアンのレストランで食事
なんと、前半の3日間は図らずも全員で夕食をとることになった。
1日目は、早朝にホノルル入りしたものの、部屋が出来上がったのが2時過ぎだったので、
ホテルのオープンカフェで海を見ながらゆったりまったり過ごした。
そしてディナータイムは、ホテルから車で5分ほどの場所にある
イタリアンレストラン「Tavora・Tavora」へ。
聞くところによると、そこはかなり有名なレストランで、
一見さんお断りなのだそうだ。
最初、「おおおっ〜、それはすごい」と思ってその話をありがたく拝聴していたのだが、
「石田純一が2ヶ月に1回通ってくるらしい」という話を聞いたところで
「はぁ〜…そうですかぁ〜」と一気に気が抜けてしまった。
石田純一かぁ……。 なんか、もうちょっとこ〜……まぁ、いいや。(笑
「私、絶対に生石田純一を見たいわ」という方がいらっしゃいましたら、
一見さんお断りと言いつつも、ホテルのコンシェルジュを通せば予約入れられそうな
雰囲気だったので、トライしてみてはいかがでしょうか。(保証はいたしませんが)
で、なんでそんな一見さんお断りのレストランで食事をすることになったかというと、
実は姉の夫の弟2号の紹介なのである。
姉の夫の弟2号はD通にお勤めで(伏字になってないが 笑)、
エンターティンメント関係の色々なネタを持っている。
彼が予約を取るということで、われわれもそこに便乗したわけだ。
姉の夫の父親の計らいで、行きはホテルからリムジンで乗りつけることに。
おまけに、ふたを開けてみたら、うちの姉がオーナーの知り合いだったっつぅ〜ことで、
デザートは食べ放題だは、ワインは飲み放題だは(とはいっても、ワインは有料)で、
最後には「もう一口たりとも食べられません」というくらいイタリア料理を堪能した。
こんな感じで1日目は何事もなく終了。
しか〜し、2日目には初めての「家族で海外旅行」のボロが
ボロボロ出てくることに……。
それだけ、前の週のバイトがキツかったのだ。
と言いたいところだけど、
真相は、お腹いっぱい食べ過ぎて動くこともままならず、
「こりゃ〜、寝るしかないな」と脳みそが判断したからに違いない。
目覚めると、もう陸地が見えていた。
さて、空港に降り立って最初にすることは?
そう、入国である。
気を引き締めて行くぞ〜。
なにしろ、相手はアメリカの入国係官だ〜。
とIRAがドンパチやってた時代のヒースロー空港並みに
厳しい入国審査が待っていると気を引き締めたのだが、
どうも列に並んでる人たちの緊張感が違う。
陽気なハワイアン音楽と波の音に乗って「ようこそ、ハワイへ〜」という声が聞こえたので
振り返ると、ナ、ナント、そこかしこにモニターが設置されており、
そこからハワイの魅力を伝える映像がタレ流されているではあ〜りませんか。
しか〜も、思いっきり全部日本語。(笑)
父・母・私で固まって入国審査の列に並んでいたのだが、
入国係官は父の順番がきた時点で母を呼び、そして私までもを呼んだ。
どうやら3人まとめて入国スタンプを押してしまおうというハラらしい。
……って、そんなアバウトでいいのか??
係官「オォォ〜、ウェディング ネェ〜。
私モ ウェディング、日本デ 旅行シマシタネ〜。
(父と母に向かって)オォォ〜、ムス〜メさん、キレイネ〜」
と、ここで母が余計な一言を。
母 「ノーノー、この子じゃないのね」
係官「オォォ〜、アナタ 違ウネ〜」
私 「(ガク)」
思いっきりベタな会話が進行し、滞りなく入国手続きが終了。
私たちはarrivalゲートを抜けて、とりあえず某旅行会社のカウンターに向かった。
そこで、別の係官の窓口で入国した姉たちと合流した。
さて、今回の旅はパックツアーである。
私にとってパックツアーでの旅行なんて、××年ぶりのことである。
この先ど〜したらいいか分からずにぼ〜っとしていると、旅行会社の人がやってきて
私たちを空港の屋上に案内した。
待っていたのは、
(ジャジャーン) ビキニにレイ姿のおねーちゃんたちである。
「ウェルカム、ウェルカム」と言いながら、おねーちゃんたちは私たちにレイを配ると、
一列に並ぶように促した。
こ、これは……まさか…。
そう、そのまさかである。
ニカッと笑って写真におさまると、私たちはようやく解放された。
……かに思えたが、そうは問屋がおろさなかった。
私たちは旅行会社のバスに乗り込むと、そのままガーーーーッとホノルル内の
デカいデューティーフリーショップ(DFS)に連れて行かれた。
そこの2階には某旅行会社専用の部屋があり、
われわれツアー参加者はそこで、泊まるホテルやホノルル市内の足、
オプショナルツアーに関する説明を受けるのだ。
ちゃっかり「義理みやげ」の説明付きである。
説明を担当したのは大阪出身のおばちゃんだった。
おばちゃん「みなさん、今回の旅行はご近所さんもご存知ですよねぇ〜。
あら、ハワイ行くん? ほなきぃ付けて。土産はいらんで〜。
そ〜は言っても、マカデミアナッツくらい買うてきてくれんのやろな〜
と思うのが人情です。
そこで、みなさんにお配りしたいのが、義理土産注文書。
ここで一括して申し込んでおきますと、義理土産の受け取りは
帰りの飛行機に乗る直前。楽チンです」
(関西の方、私のソフト関西弁が間違ってたら、ごめんなさい)
ここでようやく、われわれは開放された。
われわれが泊まったホテルは、ロイヤル・ハワイアン。
シェラトンホテル・ワイキキに隣接する、ピンク色のニクイ建物である。
歴史を紐解いてみると、なんと今シェラトンが建っている場所は
その昔ロイヤル・ハワイアンの駐車場だった土地である。
世界各国の要人がハワイでの定宿としてロイヤルハワイアンを
利用したという。
壁の色は趣味の悪い倉敷市庁の建物と同じだが、
なかなかどうして、歴史ある格調高いホテルなのだ。
どうりで宿泊費が高いわけだ。(ボソ
(倉敷市民のみなさん、ごめんなさい。 ^^;)
ちなみに、地元では「ピンク・パレス」と呼ばれている、らしい。
さて、ここで結婚式までの簡単なスケジュールを紹介しておこう。
1日目、ホノルル入り 夜はレストラン「Tavora・Tavora」で食事。
2日目、午後はネイルアートのお店へ 夜は新婚夫婦のおごりで
シェラトンの最上階レストランで食事。
3日目、結婚式 夜はロイヤル・ハワイアンのレストランで食事
なんと、前半の3日間は図らずも全員で夕食をとることになった。
1日目は、早朝にホノルル入りしたものの、部屋が出来上がったのが2時過ぎだったので、
ホテルのオープンカフェで海を見ながらゆったりまったり過ごした。
そしてディナータイムは、ホテルから車で5分ほどの場所にある
イタリアンレストラン「Tavora・Tavora」へ。
聞くところによると、そこはかなり有名なレストランで、
一見さんお断りなのだそうだ。
最初、「おおおっ〜、それはすごい」と思ってその話をありがたく拝聴していたのだが、
「石田純一が2ヶ月に1回通ってくるらしい」という話を聞いたところで
「はぁ〜…そうですかぁ〜」と一気に気が抜けてしまった。
石田純一かぁ……。 なんか、もうちょっとこ〜……まぁ、いいや。(笑
「私、絶対に生石田純一を見たいわ」という方がいらっしゃいましたら、
一見さんお断りと言いつつも、ホテルのコンシェルジュを通せば予約入れられそうな
雰囲気だったので、トライしてみてはいかがでしょうか。(保証はいたしませんが)
で、なんでそんな一見さんお断りのレストランで食事をすることになったかというと、
実は姉の夫の弟2号の紹介なのである。
姉の夫の弟2号はD通にお勤めで(伏字になってないが 笑)、
エンターティンメント関係の色々なネタを持っている。
彼が予約を取るということで、われわれもそこに便乗したわけだ。
姉の夫の父親の計らいで、行きはホテルからリムジンで乗りつけることに。
おまけに、ふたを開けてみたら、うちの姉がオーナーの知り合いだったっつぅ〜ことで、
デザートは食べ放題だは、ワインは飲み放題だは(とはいっても、ワインは有料)で、
最後には「もう一口たりとも食べられません」というくらいイタリア料理を堪能した。
こんな感じで1日目は何事もなく終了。
しか〜し、2日目には初めての「家族で海外旅行」のボロが
ボロボロ出てくることに……。
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というわけで、年末はワイハに行ってました。
2004年1月17日 旅行あっら〜、あっという間に10日以上も経ってしまった。
ここ数日間はるんぺんであることをいいことに、1日10時間以上も惰眠をむさぼり、
運動もせず、身を肥やしておりました。
そろそろ外出しないと、「女辞めますか?」どころか、「廃人始めますか?」の世界になってしまう。
というわけで、ぐぐぐぃっとさかのぼって、時は2003年12月15日。
おりしもホノルルマラソンが行われていたときに、われわれ天照一家は、ワイハ目指して成田を後にしたのであ〜る。
とその前に、
今回の旅行は、天照の姉(1号)の
「ワイハで結婚式を挙げたいぃぃぃ」
という一言で始まったものである。
しかし、本音を言えば、それはこういうことである。
勤続××年の私が東京で挙式なんてやっちゃった日には、
金がかかってかかってしょうがないわ。
社内結婚だしぃ、2回目だしぃ〜。
私の本音は、
え〜、東京でやってくれれば、せいぜいお祝い金だけで済むのに、
なんでハワイなのよ〜。
旅行代金のほかに、支度にも金がかかるし、お土産代も必要じゃないよ〜!!
そもそも、その旅行代金は誰が払うと思ってんのよ〜。
その上、結婚祝いまでよこせっての??
私は今月無職なのよ〜!!!
鬼〜、あほ〜、ばか〜、「旅行代金は私が払うわ」ぐらい言えないのか〜!!!
×××!!! (以下 自粛)
というわけで、両親と私、姉1号(↑この姉)、姉1号の夫(11月に入籍済み)、
そして姉1号の夫の両親と、その弟1号家族、その弟2号は
成田を後にすることとなったのである。
ちなみに天照の姉2号(女王様)家族(ロイヤルファミリー)は今回、
日本でお留守番だった。
女王様は現在身ごもっており、この2月が予定日なのだ。
「機内で産気づいちゃったら困るわ」という天照母の一言で泣く泣くお留守番になった。
王様(姉2号の夫)だけでも、と一応お誘いしたのだが、
それを横で聞いていた女王様が
「ちょっと、私だけ置いてくつもり〜? キィィ〜(怒)」と難色を示したため、
ロイヤルファミリーにはわれわれの留守宅を守ってもらうことになった。
え? 家族構成が分かりにくい?
つまり、我が家は両親と娘3人。
長女は今回ワイハで結婚式。
次女(女王様)は身ごもっており、今回お留守番。
三女は私(天照大神)。
あちらは、両親と息子3人。
長男が今回ワイハで結婚式。
次男一家(妻・長男6歳・長女8ヵ月)は挙式に参列するためハワイへ。
三男は奥方が出産したばかりなので、単身参加。
ってな感じ。
さて、このワイハ旅行。
実は、出発までは何かと問題が多かった。
というのも、9月頭の時点で「11月末日は憧れの寿退社の日」と
小躍りしていた姉が、何の因果か10月頭から急に仕事が忙しくなり、
連日午前様状態に突入してしまったためだ。
結婚式も旅行の手配も全部相手任せになってしまい、
家族が旅行について何か尋ねても
「え? 分かんない。 後で聞いとくわ」を連発する有様で、なんとなくイヤ〜なムードが家族の間に流れた。
おまけに、今回手配してくれた旅行代理店の担当者はどうも新人さんだったらしく、
「ウェディングプラン」の無料サービス(でも、申し込みが必要)についてきちんと説明をしてくれていなかったことが旅行直前に判明。
私は「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩を見たい」という希望を持っていたのだが、そのオプショナルツアーを申し込もうにも、旅行のスケジュールが確定したのが旅行の2、3日前。
(10日くらい前に1度スケジュール表が送られてきたのだが、何か不備があったらしくて姉1号が回収していった)
結局、オプショナルツアーに関しては、自分が旅行会社に直接出向いて申し込みする羽目に。
わざわざ尋ねて行った旅行会社のカウンターで、オプショナルツアー「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩ウォークツアー」に参加したい旨を告げると、
旅行会社のおぢちゃんはサラッと、
「あ〜、キラウェア火山の溶岩ウォークツアーね〜。それ、つまらないですよ」
と言ってのけた。
私 「……は? (-_-#)」
おぢちゃん「それより、こっちのプラネタリウムツアーの方がお勧め。
プラネタリウムはねぇ〜、ハワイで一番高い山に登ります。
そこで観るんですよ〜、きれいですよ〜。
寒いですけど、コートはツアーで貸し出してますから大丈夫。
ほら、溶岩たって、ドロドロしてる溶岩じゃなくて固まってる
溶岩の上しか歩けないし。
ドロドロしてる溶岩は熱くて危険だし。
ただ、黒い岩みたいなとこ歩いてもねぇ〜、つまんないでしょ〜」
私 「……」
お、おぢさん、それがつまらないかどうかを判断するのは私なのよ。
わ・た・し。
あんたにゃ〜関係ないだろ〜が(ノ-_-)ノ ~┻━┻)
だいたい、つまらないってんなら、ど〜して
パンフレットに載せてんのよ?!?!
それに、避寒地のハワイに行くのに、ど〜して
コート着るような寒いところに行かなきゃいかんのよ〜?!?!
星を見るために山に登るんだったら、プラネタリウムなんかに
入らずに直接上を見上げりゃあいいじゃないよ〜!!!
と私が思ったのは言うまでもない。
そんなわけで、なんだかすっきりしない気持ちのまま
旅行会社の人の話を聞いたのだが、結局どのツアーに参加しても
早朝出発は避けられないことが分かったので、
「今回はツアーには参加しないことにしました」と言って
旅行会社を後にした。
(信じがたいが、大手旅行会社なんすよ、そこ)
すったもんだあったけど、ようやく出発日を迎えて、
意気揚々と成田へ出発した天照一家だったが、当然それだけで済むはずはなかった……。
成田での集合時間は午後7時過ぎだったが、余裕を持って6時には成田に入っていたため、
搭乗時間までめちゃくちゃ暇だった。
スケジュール表を見ると、6〜7時間のフライトで、現地に着くのは同日の朝9時。(日付変更線超えるからね)
そんでもって、機内食の表示は「朝食」となっていた。
私 「ということは、つまり、到着直前に食事が出るってことよね?
だって、朝食だもん。 搭乗してすぐに食事が出るとすれば、
“夕食”って書いてあるはずよね?」
天照母「そうでしょ。 そうよ。 そういうことだわね」
っつ〜ことで、成田のレストランでたらふくご飯を食べ、「も〜首までご飯がつまってるわっ」てなくらい満腹になったところで搭乗したところ、
離陸して1時間もしないうちに、キャビンアテンダント(CA)のおねーさんたちが食事を配り始めた。
私 「……(汗)」
CA「洋食と和食、どちらになさいますか?」
そう、CAの人たちには罪はない。
罪はないのだ〜(涙)。
CA「(ずいずぃ)どちらになさいますか?」
あぁぁぁぁぁ〜、どうしてこんな腹いっぱいのところで
「洋食」なんだ〜?!?!?!
でも、でも、JALそばなんて、JALそばなんて食べたくない〜!!!
私「……よ、洋食でお願いしばす……(うううううう)」
私にとって、選択肢なんてものは存在しなかった。
−−−−つづく
ここ数日間はるんぺんであることをいいことに、1日10時間以上も惰眠をむさぼり、
運動もせず、身を肥やしておりました。
そろそろ外出しないと、「女辞めますか?」どころか、「廃人始めますか?」の世界になってしまう。
というわけで、ぐぐぐぃっとさかのぼって、時は2003年12月15日。
おりしもホノルルマラソンが行われていたときに、われわれ天照一家は、ワイハ目指して成田を後にしたのであ〜る。
とその前に、
今回の旅行は、天照の姉(1号)の
「ワイハで結婚式を挙げたいぃぃぃ」
という一言で始まったものである。
しかし、本音を言えば、それはこういうことである。
勤続××年の私が東京で挙式なんてやっちゃった日には、
金がかかってかかってしょうがないわ。
社内結婚だしぃ、2回目だしぃ〜。
私の本音は、
え〜、東京でやってくれれば、せいぜいお祝い金だけで済むのに、
なんでハワイなのよ〜。
旅行代金のほかに、支度にも金がかかるし、お土産代も必要じゃないよ〜!!
そもそも、その旅行代金は誰が払うと思ってんのよ〜。
その上、結婚祝いまでよこせっての??
私は今月無職なのよ〜!!!
鬼〜、あほ〜、ばか〜、「旅行代金は私が払うわ」ぐらい言えないのか〜!!!
×××!!! (以下 自粛)
というわけで、両親と私、姉1号(↑この姉)、姉1号の夫(11月に入籍済み)、
そして姉1号の夫の両親と、その弟1号家族、その弟2号は
成田を後にすることとなったのである。
ちなみに天照の姉2号(女王様)家族(ロイヤルファミリー)は今回、
日本でお留守番だった。
女王様は現在身ごもっており、この2月が予定日なのだ。
「機内で産気づいちゃったら困るわ」という天照母の一言で泣く泣くお留守番になった。
王様(姉2号の夫)だけでも、と一応お誘いしたのだが、
それを横で聞いていた女王様が
「ちょっと、私だけ置いてくつもり〜? キィィ〜(怒)」と難色を示したため、
ロイヤルファミリーにはわれわれの留守宅を守ってもらうことになった。
え? 家族構成が分かりにくい?
つまり、我が家は両親と娘3人。
長女は今回ワイハで結婚式。
次女(女王様)は身ごもっており、今回お留守番。
三女は私(天照大神)。
あちらは、両親と息子3人。
長男が今回ワイハで結婚式。
次男一家(妻・長男6歳・長女8ヵ月)は挙式に参列するためハワイへ。
三男は奥方が出産したばかりなので、単身参加。
ってな感じ。
さて、このワイハ旅行。
実は、出発までは何かと問題が多かった。
というのも、9月頭の時点で「11月末日は憧れの寿退社の日」と
小躍りしていた姉が、何の因果か10月頭から急に仕事が忙しくなり、
連日午前様状態に突入してしまったためだ。
結婚式も旅行の手配も全部相手任せになってしまい、
家族が旅行について何か尋ねても
「え? 分かんない。 後で聞いとくわ」を連発する有様で、なんとなくイヤ〜なムードが家族の間に流れた。
おまけに、今回手配してくれた旅行代理店の担当者はどうも新人さんだったらしく、
「ウェディングプラン」の無料サービス(でも、申し込みが必要)についてきちんと説明をしてくれていなかったことが旅行直前に判明。
私は「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩を見たい」という希望を持っていたのだが、そのオプショナルツアーを申し込もうにも、旅行のスケジュールが確定したのが旅行の2、3日前。
(10日くらい前に1度スケジュール表が送られてきたのだが、何か不備があったらしくて姉1号が回収していった)
結局、オプショナルツアーに関しては、自分が旅行会社に直接出向いて申し込みする羽目に。
わざわざ尋ねて行った旅行会社のカウンターで、オプショナルツアー「ハワイ島でキラウェア火山の溶岩ウォークツアー」に参加したい旨を告げると、
旅行会社のおぢちゃんはサラッと、
「あ〜、キラウェア火山の溶岩ウォークツアーね〜。それ、つまらないですよ」
と言ってのけた。
私 「……は? (-_-#)」
おぢちゃん「それより、こっちのプラネタリウムツアーの方がお勧め。
プラネタリウムはねぇ〜、ハワイで一番高い山に登ります。
そこで観るんですよ〜、きれいですよ〜。
寒いですけど、コートはツアーで貸し出してますから大丈夫。
ほら、溶岩たって、ドロドロしてる溶岩じゃなくて固まってる
溶岩の上しか歩けないし。
ドロドロしてる溶岩は熱くて危険だし。
ただ、黒い岩みたいなとこ歩いてもねぇ〜、つまんないでしょ〜」
私 「……」
お、おぢさん、それがつまらないかどうかを判断するのは私なのよ。
わ・た・し。
あんたにゃ〜関係ないだろ〜が(ノ-_-)ノ ~┻━┻)
だいたい、つまらないってんなら、ど〜して
パンフレットに載せてんのよ?!?!
それに、避寒地のハワイに行くのに、ど〜して
コート着るような寒いところに行かなきゃいかんのよ〜?!?!
星を見るために山に登るんだったら、プラネタリウムなんかに
入らずに直接上を見上げりゃあいいじゃないよ〜!!!
と私が思ったのは言うまでもない。
そんなわけで、なんだかすっきりしない気持ちのまま
旅行会社の人の話を聞いたのだが、結局どのツアーに参加しても
早朝出発は避けられないことが分かったので、
「今回はツアーには参加しないことにしました」と言って
旅行会社を後にした。
(信じがたいが、大手旅行会社なんすよ、そこ)
すったもんだあったけど、ようやく出発日を迎えて、
意気揚々と成田へ出発した天照一家だったが、当然それだけで済むはずはなかった……。
成田での集合時間は午後7時過ぎだったが、余裕を持って6時には成田に入っていたため、
搭乗時間までめちゃくちゃ暇だった。
スケジュール表を見ると、6〜7時間のフライトで、現地に着くのは同日の朝9時。(日付変更線超えるからね)
そんでもって、機内食の表示は「朝食」となっていた。
私 「ということは、つまり、到着直前に食事が出るってことよね?
だって、朝食だもん。 搭乗してすぐに食事が出るとすれば、
“夕食”って書いてあるはずよね?」
天照母「そうでしょ。 そうよ。 そういうことだわね」
っつ〜ことで、成田のレストランでたらふくご飯を食べ、「も〜首までご飯がつまってるわっ」てなくらい満腹になったところで搭乗したところ、
離陸して1時間もしないうちに、キャビンアテンダント(CA)のおねーさんたちが食事を配り始めた。
私 「……(汗)」
CA「洋食と和食、どちらになさいますか?」
そう、CAの人たちには罪はない。
罪はないのだ〜(涙)。
CA「(ずいずぃ)どちらになさいますか?」
あぁぁぁぁぁ〜、どうしてこんな腹いっぱいのところで
「洋食」なんだ〜?!?!?!
でも、でも、JALそばなんて、JALそばなんて食べたくない〜!!!
私「……よ、洋食でお願いしばす……(うううううう)」
私にとって、選択肢なんてものは存在しなかった。
−−−−つづく