今日、草なぎくんのドラマを見た。
イモト、いいなぁ~。
ああいう人、きっといたよね、明治とか大正に。
あ、ドラマは昭和の話だけど。
美しい姉の代わりに写真花嫁としてアメリカに渡るイモトと、
家も土地もないその日暮らし状態の草なぎ君。
(役名忘れた)
それでも、「一緒に働いて生きていけるパートナーが必要だった」と言って結婚する2人。
荒地を耕し、野菜を育てる2人のなんと美しいこと。
でも、現実はドラマのようにいかないんだよね。
そういう話をしていたら、イザナミが友人の娘の話をした。
その人は私と同年代で独身。職業は弁護士だ。
「どうして独身の私が『夫の浮気』とかを扱わなきゃなんないの?」と家で愚痴っているそうだ。
私の英語学校の同級生も同じことを言っていた。
彼女も独身弁護士。
離婚を扱うことが多いそうだ。
私は、弁護士じゃないけれど、耳年増。
他人のいろんな話を聞きすぎて、結婚に明るい未来を感じられない。
本当はものすごく感じてみたいんだけど、その気持ちに『他人の現実』が水をさす。
「結婚して幸せになる自分」を思い描けない。どんな人が相手でも。
「今は幸せでも、いつかこの人を嫌いになったり、軽蔑の眼差しで見ることになるのかも」と
思うと、心が冷え込んでいく。
あぁ、不幸だ。
これこそが不幸だ。
相手ありきの不幸よりも、自己完結的に行き着く不幸。
ずっと不毛だと分かっているけれど、
「大丈夫。この人といれば間違いない」と自分を納得させるだけの材料を
いつもどこかでなくしてしまう。
盛り上がる自分を冷徹な目で見下ろす自分がいて、
気付くと、いつしか自分が見下ろす側にいることを意識するようになる。
そうして、自分と相手を見下ろして、冷え切った将来の関係を予感する。
まだ冷え切ってなくても、「そうなるはず」だと思ってしまう。
じゃあ、相手が、そんなことを感じさせない人ならいいんじゃない?
と思うけど、世の中にそんな人はいるのだろうか、といつも同じ袋小路に入ってとまどう。
「所詮は他人ですよ」と冷徹な自分がささやくのを聞いてしまうのだ。
きっと、見下ろす冷徹な私に向かって「大丈夫。表面的には違っても、根っこの部分で価値観が
同じだから」とか言ってくれる人、そしてそれが本当である人の出現を待っているのかも。
……そんな人が現れたら超ラッキーだと思うけど。
聞けば、世の中にはそんな人がいないわけじゃない。
しかし、問題はそれをどうやって私に分からせてくれるか、なのだ。
所詮他人だから、「オレの背中を見て感じてくれ」と言われても、それは無理。
他人だから、ちゃんと表現してもらわないと分からん。
そう。そうなのだ。
コミュニケーションの問題なのだ。
私は、自分の表現力が乏しいくせに、相手には表現力が豊かであってほしいと願うのだ。
普通、そこらへんは女性の方が得意で、男性は不得意な人が多いと思う。
人によっては、私が「ないものねだり」をしていると言うのだろうな。
しかし、それでも、私は相手にそれを求めるのだ。
そして、「言わなくても分かってくれるでしょ」を嫌うのだ。
そのくせ、私は心の中で相手に「言わなくても分かるでしょ」と言っている。
口に出すことはあまりないけど。
つきあいが長くなると、露骨に顔に出てしまうことはあるけど。
やっぱり、いつも、相手じゃなくて自分の問題なんだよなー。
……見合いの方が向いていたかも(今更)
****************
「あなたになら言っても大丈夫だと思う」
「あなただったら……」
「あなたには言っちゃうけど……」
知り合いや友人の口から出るこのフレーズ。
今更ながら危険だと気付いた。
なぜなら、オリのように心のうちに溜まるからだ。そして、その自覚はない。
なんとかそれを掃出してリセットする必要がある。
****************
まー、そんなことはどうでもいいから、「私、モテたい」って思えるぐらいのたくましさが欲しい。
結局、上にずらずら書いたことって、考えても仕方のないことだ。
いざなみ「結婚なんて、「えいやっ」てやってしまえば、案外うまく行くものよ。
どうして今までそうしなかったの?」
イモト、いいなぁ~。
ああいう人、きっといたよね、明治とか大正に。
あ、ドラマは昭和の話だけど。
美しい姉の代わりに写真花嫁としてアメリカに渡るイモトと、
家も土地もないその日暮らし状態の草なぎ君。
(役名忘れた)
それでも、「一緒に働いて生きていけるパートナーが必要だった」と言って結婚する2人。
荒地を耕し、野菜を育てる2人のなんと美しいこと。
でも、現実はドラマのようにいかないんだよね。
そういう話をしていたら、イザナミが友人の娘の話をした。
その人は私と同年代で独身。職業は弁護士だ。
「どうして独身の私が『夫の浮気』とかを扱わなきゃなんないの?」と家で愚痴っているそうだ。
私の英語学校の同級生も同じことを言っていた。
彼女も独身弁護士。
離婚を扱うことが多いそうだ。
私は、弁護士じゃないけれど、耳年増。
他人のいろんな話を聞きすぎて、結婚に明るい未来を感じられない。
本当はものすごく感じてみたいんだけど、その気持ちに『他人の現実』が水をさす。
「結婚して幸せになる自分」を思い描けない。どんな人が相手でも。
「今は幸せでも、いつかこの人を嫌いになったり、軽蔑の眼差しで見ることになるのかも」と
思うと、心が冷え込んでいく。
あぁ、不幸だ。
これこそが不幸だ。
相手ありきの不幸よりも、自己完結的に行き着く不幸。
ずっと不毛だと分かっているけれど、
「大丈夫。この人といれば間違いない」と自分を納得させるだけの材料を
いつもどこかでなくしてしまう。
盛り上がる自分を冷徹な目で見下ろす自分がいて、
気付くと、いつしか自分が見下ろす側にいることを意識するようになる。
そうして、自分と相手を見下ろして、冷え切った将来の関係を予感する。
まだ冷え切ってなくても、「そうなるはず」だと思ってしまう。
じゃあ、相手が、そんなことを感じさせない人ならいいんじゃない?
と思うけど、世の中にそんな人はいるのだろうか、といつも同じ袋小路に入ってとまどう。
「所詮は他人ですよ」と冷徹な自分がささやくのを聞いてしまうのだ。
きっと、見下ろす冷徹な私に向かって「大丈夫。表面的には違っても、根っこの部分で価値観が
同じだから」とか言ってくれる人、そしてそれが本当である人の出現を待っているのかも。
……そんな人が現れたら超ラッキーだと思うけど。
聞けば、世の中にはそんな人がいないわけじゃない。
しかし、問題はそれをどうやって私に分からせてくれるか、なのだ。
所詮他人だから、「オレの背中を見て感じてくれ」と言われても、それは無理。
他人だから、ちゃんと表現してもらわないと分からん。
そう。そうなのだ。
コミュニケーションの問題なのだ。
私は、自分の表現力が乏しいくせに、相手には表現力が豊かであってほしいと願うのだ。
普通、そこらへんは女性の方が得意で、男性は不得意な人が多いと思う。
人によっては、私が「ないものねだり」をしていると言うのだろうな。
しかし、それでも、私は相手にそれを求めるのだ。
そして、「言わなくても分かってくれるでしょ」を嫌うのだ。
そのくせ、私は心の中で相手に「言わなくても分かるでしょ」と言っている。
口に出すことはあまりないけど。
つきあいが長くなると、露骨に顔に出てしまうことはあるけど。
やっぱり、いつも、相手じゃなくて自分の問題なんだよなー。
……見合いの方が向いていたかも(今更)
****************
「あなたになら言っても大丈夫だと思う」
「あなただったら……」
「あなたには言っちゃうけど……」
知り合いや友人の口から出るこのフレーズ。
今更ながら危険だと気付いた。
なぜなら、オリのように心のうちに溜まるからだ。そして、その自覚はない。
なんとかそれを掃出してリセットする必要がある。
****************
まー、そんなことはどうでもいいから、「私、モテたい」って思えるぐらいのたくましさが欲しい。
結局、上にずらずら書いたことって、考えても仕方のないことだ。
いざなみ「結婚なんて、「えいやっ」てやってしまえば、案外うまく行くものよ。
どうして今までそうしなかったの?」
コメント
「間違いない」なんて信じきれる相手なんかいないと思いますよ。
所詮は他人だもの。
多少と諦めと冷めた妥協と忍耐の上に"対等な関係"が生まれるんじゃないかしら、などと
思ってます。
はー、この歳でこんなことを言ってるなんて、まだまだ子供だなー、自分、と反省しました。
それにしても、「結婚がそんなにいいものだとは思えない」と言っていた(と思う)福山雅治の
結婚間近報道が飛び込んできてちょっと動揺しています。
「おー、同じことを言っている人がいる」と勝手に親近感を持っていたのに、
「福山、お前もか」と。
しかも相手は小西真奈美ちゃん。
なんだ。よく知らないけど、いい娘風じゃないか。
何が「結婚がそんなにいいものは……」だよ!とツッコミたい気持ちでいっぱいです。