明けたわ
2003年1月2日人間としての私:
---12月30日
この日、我が家は恒例の年賀状書きで揉めていた。
というのも、実は私が右の脇の下を手術したせいで、PC入力をためらったせいである。
皆さんは知らないでしょ〜が、指先と脇の下の筋肉はよ〜つながっているのである。
指先を使うと傷が痛いので、右利きの私はしばらく箸を左手で使っていたのだ。
おまけに、昨年頭にPCがぶっ壊れたせいで、年賀状のあて先リストを最初から打ち込まなきゃならなかったせいである。
母「あら〜。おか〜さんはコンピュータなんてやったことないからできないわ〜」
父「……」
姉「え〜。あんたやってよ〜。私、いやよ。データの打ち込みなんて」
父「……」
私「おねーちゃん、やってよ。データの打ち込みくらい普段会社で
やってんだからできるでしょ〜!!」
姉「ええ〜!!」
私「手術後間もない妹にやらすんかい。鬼〜!!
だいたい、誰のお陰で毎年年内に年賀状を出せると思ってんのよ」
実は、我が家では数年前プリンターを導入するまで、誰1人として年明け前に年賀状を出したことがなかった。
だから、1月1日は必死の形相で家族全員が年賀状書きに専念する日だったのだ。
プリンターは、そんな我が家に平和な正月をもたらしたのである。
姉「いやよ〜。だいたい、あんたはこれ以外家族に全然貢献してないじゃない。
年に一度のあんたの活躍の場を奪うなんてこと、姉としてはできないわ〜」
父「……」
母「……(新聞を読み始め、すでに蚊帳の外)」
私「あ〜、傷が痛い。いたたたた〜」
父「……」
母「(おもむろに蚊帳の中に)
あら、傷痛むの?そうよね〜。お箸も左手で使ってるものね〜」
と、家族全員姉を見る。
姉「……。わかったわよ。やりゃ〜いいんでしょ(ムスッ)」
私(やった)
と、今年は姉が年賀状のあて先リストを打ち込むことになった。
しかし、姉はリストの打ち込みを終えると、一番退屈で眠い仕事、つまり肝心のプリント作業を放棄してとんずらしたのである。
私「だ〜。あいつ〜、逃げやがったな〜!!!」
と、結局は傷の癒えない私が徹夜で年賀状をプリントしたのである。
---明けて、大晦日
昨年はさんざんな目にあったので、今年は良い年にしたいと
意気込む私は久々に2年参りを決行することにした。
家から1.5キロほど先には、毎年年始の参拝客数が国内10位以内に入るようなデカい神社がある。
神様の私から見ると、末の弟がいるところね。
これは行ってお年玉(お賽銭)あげないとね、と張り切ったのはよかったが、その先には落とし穴があった……。
大鳥居から神社の境内への道のりは遠い。
物理的には当然めちゃくちゃ近いのだが、毎年警備にあたる警察官が交通規制を敷いていて、すぐには近づけないのだ。
もみくちゃにされながら、ようやくお賽銭箱の前に出れた。
弟にお年玉をあげるわよ〜、と5円玉を握り締めたところでハタと気付いた。
皆さん、頭の中で通勤ラッシュを思い浮かべて欲しい。
私はその真中にいるようなものだった。
ナント、左手が抜けない。
ということは、右手でお賽銭を投げるしかないのである。
しかも、体は人ごみに押されて、賽銭箱からどんどん遠ざかるばかり。
私(あ〜〜〜〜。この世には神も仏もいないのか〜!!!)
と、涙ながらに右手で5円玉を賽銭箱に放り投げる私の姿がそこにはあったのだ。
……手術後の脇の下が痛かった。
神様としての私:
---正月1日
何もせず、寝ながら御節を食べたわ。
お賽銭箱の中身は……明日数えればいいわ。
---正月2日
何もせず、ぼ〜っと御節を食べたわ。
お賽銭の中身は……明日数えればいいわ。
---12月30日
この日、我が家は恒例の年賀状書きで揉めていた。
というのも、実は私が右の脇の下を手術したせいで、PC入力をためらったせいである。
皆さんは知らないでしょ〜が、指先と脇の下の筋肉はよ〜つながっているのである。
指先を使うと傷が痛いので、右利きの私はしばらく箸を左手で使っていたのだ。
おまけに、昨年頭にPCがぶっ壊れたせいで、年賀状のあて先リストを最初から打ち込まなきゃならなかったせいである。
母「あら〜。おか〜さんはコンピュータなんてやったことないからできないわ〜」
父「……」
姉「え〜。あんたやってよ〜。私、いやよ。データの打ち込みなんて」
父「……」
私「おねーちゃん、やってよ。データの打ち込みくらい普段会社で
やってんだからできるでしょ〜!!」
姉「ええ〜!!」
私「手術後間もない妹にやらすんかい。鬼〜!!
だいたい、誰のお陰で毎年年内に年賀状を出せると思ってんのよ」
実は、我が家では数年前プリンターを導入するまで、誰1人として年明け前に年賀状を出したことがなかった。
だから、1月1日は必死の形相で家族全員が年賀状書きに専念する日だったのだ。
プリンターは、そんな我が家に平和な正月をもたらしたのである。
姉「いやよ〜。だいたい、あんたはこれ以外家族に全然貢献してないじゃない。
年に一度のあんたの活躍の場を奪うなんてこと、姉としてはできないわ〜」
父「……」
母「……(新聞を読み始め、すでに蚊帳の外)」
私「あ〜、傷が痛い。いたたたた〜」
父「……」
母「(おもむろに蚊帳の中に)
あら、傷痛むの?そうよね〜。お箸も左手で使ってるものね〜」
と、家族全員姉を見る。
姉「……。わかったわよ。やりゃ〜いいんでしょ(ムスッ)」
私(やった)
と、今年は姉が年賀状のあて先リストを打ち込むことになった。
しかし、姉はリストの打ち込みを終えると、一番退屈で眠い仕事、つまり肝心のプリント作業を放棄してとんずらしたのである。
私「だ〜。あいつ〜、逃げやがったな〜!!!」
と、結局は傷の癒えない私が徹夜で年賀状をプリントしたのである。
---明けて、大晦日
昨年はさんざんな目にあったので、今年は良い年にしたいと
意気込む私は久々に2年参りを決行することにした。
家から1.5キロほど先には、毎年年始の参拝客数が国内10位以内に入るようなデカい神社がある。
神様の私から見ると、末の弟がいるところね。
これは行ってお年玉(お賽銭)あげないとね、と張り切ったのはよかったが、その先には落とし穴があった……。
大鳥居から神社の境内への道のりは遠い。
物理的には当然めちゃくちゃ近いのだが、毎年警備にあたる警察官が交通規制を敷いていて、すぐには近づけないのだ。
もみくちゃにされながら、ようやくお賽銭箱の前に出れた。
弟にお年玉をあげるわよ〜、と5円玉を握り締めたところでハタと気付いた。
皆さん、頭の中で通勤ラッシュを思い浮かべて欲しい。
私はその真中にいるようなものだった。
ナント、左手が抜けない。
ということは、右手でお賽銭を投げるしかないのである。
しかも、体は人ごみに押されて、賽銭箱からどんどん遠ざかるばかり。
私(あ〜〜〜〜。この世には神も仏もいないのか〜!!!)
と、涙ながらに右手で5円玉を賽銭箱に放り投げる私の姿がそこにはあったのだ。
……手術後の脇の下が痛かった。
神様としての私:
---正月1日
何もせず、寝ながら御節を食べたわ。
お賽銭箱の中身は……明日数えればいいわ。
---正月2日
何もせず、ぼ〜っと御節を食べたわ。
お賽銭の中身は……明日数えればいいわ。
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