最近、どうも……
2001年12月8日人並みに早起きできるなぁ〜と思ったら、
熱があるらしい。笑)
そんでもってハイになってるから起きれるのね。
だって私変温動物ですから、冬は絶対絶対早起きなんかできないはずなんだもの。
寝ている間に自分の鼻に触って、
その冷たさにびっくりして起きることがしょっちゅう。
それでも
「う〜ん、夢の中で冷たいものに触っちまったぜ。
グーーーーー。」
と布団から出ない私ですもの。
そうそう。
そういえば、昨日「ハリー・ポッター」のゲームをもらいましたの。
ううっ、初めてこの仕事をしていてよかったと思ったわ。
しかし、おかし、かかし (……し〜ん 誰かつっこんでくれ 汗)
あ、それ、ビデオカード入ってないと表示されないんじゃない?
あ、それ、Pentium セルロン じゃかなりきついよ。
と言われて、ちょっとブルーな気分に。
私の愛機を作ったIBMでは、伝統的にPCにはビデオカードは
搭載しないのだ。
(って、これってノートだけの話だろうか??)
あうあう。
これってヘビの生殺し状態だわ。
今ここにあるのに〜。
いぢれない〜。
と、いうわけでハリー・ポッターである。
まだ映画は観にいっていないが、絶対絶対観にいくぞ〜。
と、そんなに力んで言うほどのことでもないが。
ところで、この話題のハリー・ポッター、
実は英語版と米語版では微妙に違うのである。
というか、1巻に至ってはタイトルからして既に違っている。
(あれ、この話前に書いたっけ?? まぁ、いいや。)
原書では「the Philosopher’s Stone」だが、
米語版では「the Sorcerer s Stone」なのである。
「賢者」と「魔術師、魔法使い」。
この違いはどっから出てくるのだ??
アメリカの人達は、あの人達を賢者と呼ぶのに抵抗があるのだろうか??
まぁ、いいや。
ぎゃ〜ぎゃ〜騒いではいるものの、物語に関していえば、
実は既に記憶の彼方への入り口に言ってしまっているのだ。
それというのも、1年以上前に3巻とも知人に貸したままで
それらが帰ってこないからである。
とほほ。
そんなこんなで、10ヶ月くらい前に罪深きことをしてしまったことを
思い出してしまった。
丁度今日のように寒い日だった。
もこもこと着込んで、地下鉄銀座線の中をずんずん歩いていた時である。
やけに薄着のアメリカ人親子(父、母、2歳くらいの子供)に
出くわした。
父「あ、ハリー・ポッターだよ〜。」
とお父さんが指差した先には、私のわきの下にはさまれた
ハリー・ポッターがあった。
しかし、私の着込み具合から、タイトルはほとんど見えなかったはずである。
そして、その時、理由は忘れたが、私は急いでいた。
私(うっ、目ざとい)
「こんにちわ〜。(ニコ〜)」
父「ほらほら、ハリー・ポッターだ〜。」
子供は全然関心がなさそうである。
それにも関わらずハリー・ポッターを連呼する父親。
父「ほらほらほら〜、
ほらほら〜、ハリーだ。」
私「(……汗)」
そのまま何事もなかったように立ち去ろうとしたが、
さすがに周りの目が気になりだし、
仕方なく立ち止まって、ハリー・ポッターを子供に差し出してみた。
子供、それでも関心を示さず。
父が手に取り、本を開く。
と、地下鉄が次の駅に到着。
私「あ……、返して。」
と身を翻し、電車を降りる私。
その間わずか15秒くらいである。
ふと降りかえると、そこには
よくアメリカのコメディ映画に出てくるような
豆鉄砲をくらった鳩のような顔をした父と母の顔があった。
子供は相も変わらず、関心なさそうに明後日の方向を向いていた。
う〜む、急に本を取り上げて悪かったが
なぜにあのおとっちゃんは人を引きとめてまで
ハリー・ポッターが見たかったのであろうか……。
と今更思う。
しかし、あの終始関心なさそうにしていた子供には
悪いことをした。
やっぱ、取り上げたのはまずかったよなぁ〜。
でも、私は急いでいたのである。
きっと、あの一家のあの日の夕飯の話題は、
ハリー・ポッターを掴んで走り去った変な日本人の話だったろう。
あ〜、日本人のイメージを悪くしてしまった……。
あぁ、今日もオチがない。
すんまそん。
熱があるってことで……。
熱があるらしい。笑)
そんでもってハイになってるから起きれるのね。
だって私変温動物ですから、冬は絶対絶対早起きなんかできないはずなんだもの。
寝ている間に自分の鼻に触って、
その冷たさにびっくりして起きることがしょっちゅう。
それでも
「う〜ん、夢の中で冷たいものに触っちまったぜ。
グーーーーー。」
と布団から出ない私ですもの。
そうそう。
そういえば、昨日「ハリー・ポッター」のゲームをもらいましたの。
ううっ、初めてこの仕事をしていてよかったと思ったわ。
しかし、おかし、かかし (……し〜ん 誰かつっこんでくれ 汗)
あ、それ、ビデオカード入ってないと表示されないんじゃない?
あ、それ、Pentium セルロン じゃかなりきついよ。
と言われて、ちょっとブルーな気分に。
私の愛機を作ったIBMでは、伝統的にPCにはビデオカードは
搭載しないのだ。
(って、これってノートだけの話だろうか??)
あうあう。
これってヘビの生殺し状態だわ。
今ここにあるのに〜。
いぢれない〜。
と、いうわけでハリー・ポッターである。
まだ映画は観にいっていないが、絶対絶対観にいくぞ〜。
と、そんなに力んで言うほどのことでもないが。
ところで、この話題のハリー・ポッター、
実は英語版と米語版では微妙に違うのである。
というか、1巻に至ってはタイトルからして既に違っている。
(あれ、この話前に書いたっけ?? まぁ、いいや。)
原書では「the Philosopher’s Stone」だが、
米語版では「the Sorcerer s Stone」なのである。
「賢者」と「魔術師、魔法使い」。
この違いはどっから出てくるのだ??
アメリカの人達は、あの人達を賢者と呼ぶのに抵抗があるのだろうか??
まぁ、いいや。
ぎゃ〜ぎゃ〜騒いではいるものの、物語に関していえば、
実は既に記憶の彼方への入り口に言ってしまっているのだ。
それというのも、1年以上前に3巻とも知人に貸したままで
それらが帰ってこないからである。
とほほ。
そんなこんなで、10ヶ月くらい前に罪深きことをしてしまったことを
思い出してしまった。
丁度今日のように寒い日だった。
もこもこと着込んで、地下鉄銀座線の中をずんずん歩いていた時である。
やけに薄着のアメリカ人親子(父、母、2歳くらいの子供)に
出くわした。
父「あ、ハリー・ポッターだよ〜。」
とお父さんが指差した先には、私のわきの下にはさまれた
ハリー・ポッターがあった。
しかし、私の着込み具合から、タイトルはほとんど見えなかったはずである。
そして、その時、理由は忘れたが、私は急いでいた。
私(うっ、目ざとい)
「こんにちわ〜。(ニコ〜)」
父「ほらほら、ハリー・ポッターだ〜。」
子供は全然関心がなさそうである。
それにも関わらずハリー・ポッターを連呼する父親。
父「ほらほらほら〜、
ほらほら〜、ハリーだ。」
私「(……汗)」
そのまま何事もなかったように立ち去ろうとしたが、
さすがに周りの目が気になりだし、
仕方なく立ち止まって、ハリー・ポッターを子供に差し出してみた。
子供、それでも関心を示さず。
父が手に取り、本を開く。
と、地下鉄が次の駅に到着。
私「あ……、返して。」
と身を翻し、電車を降りる私。
その間わずか15秒くらいである。
ふと降りかえると、そこには
よくアメリカのコメディ映画に出てくるような
豆鉄砲をくらった鳩のような顔をした父と母の顔があった。
子供は相も変わらず、関心なさそうに明後日の方向を向いていた。
う〜む、急に本を取り上げて悪かったが
なぜにあのおとっちゃんは人を引きとめてまで
ハリー・ポッターが見たかったのであろうか……。
と今更思う。
しかし、あの終始関心なさそうにしていた子供には
悪いことをした。
やっぱ、取り上げたのはまずかったよなぁ〜。
でも、私は急いでいたのである。
きっと、あの一家のあの日の夕飯の話題は、
ハリー・ポッターを掴んで走り去った変な日本人の話だったろう。
あ〜、日本人のイメージを悪くしてしまった……。
あぁ、今日もオチがない。
すんまそん。
熱があるってことで……。
コメント