なんとなく辛口
2001年4月11日私はバイト先だろうが、仕事先だろうが「人」を育てることはしない。
私が「いわゆる」人を育てる立場にたったとしても、
仕事のやり方の、その「やり方」の部分しか説明しない。
「あとは自分でやってちょうだい、大人でしょ。」というのが私のスタンスなのだ。
え?そんなの無責任?
それはなんに対する無責任?
外国で社会人人生を歩み始めてしまったせいかもしれないが、
「なんで成人して、働いて金もらおうって人間を教育してやらなきゃいけないわけ??」と思ってしまうのである。そんなことは会社がやることじゃないでしょうが、と。
なので、香港の会社から日本の会社に転職をした時
非常にたまげた。
なんせ、入社してきた新入社員に、ご丁寧に2ヶ月間も研修をしてやるのだ。
もちろんその間、企業は新入社員に金を払ってやるわけだ。
恐ろしく人件費を無駄使いしているようにしか私には見えない。
特殊な職種で、訓練が必要というならわかる。
しかし、大概研修を受ける人間の配属先は、特殊な資格や
技能が必要な部署ではないことが多いし、
その研修の内容は敬語の使い方だったり、集団行動の練習だったりと
まるで小学生が学校のルールを知るために受ける
オリエンテーションのようなものだったりするのだ。
私の時はどうだったかというと、研修はなかった。
そして会社で契約書にサインをし、簡単な仕事の説明を受けると、
上司から
「はい、現場に行ってきて」と即言われた。
あの時は、その後どうしたらいいのか途方にくれはしたものの
それが普通だと思った。
だって、私の給料は、初日のその日も拘束された時間分について
もらえることになっていたからだ。
もちろん、初日から儲けなんて当然生みだせなかったが、
しかし、上司や先輩の手を煩わせて、手取り足取り仕事を
教わるのもどうかと思ったものだった。
その時間、確実に上司や先輩は儲けを生み出せなくなると思ったからだ。
まぁ、実際実践においては手取り足取り教わったのだが。
・・・・・・・。
敬語の使い方って、普通に生活していれば
日常の中で習得できるものなのではないだろうか。金もらってまで、会社で習うことだろうか。
集団行動の練習も理解に苦しむ。
私に理解できるのは「コミュニケーション能力の向上を目指す訓練」だけである。
これは恐らく、社会にでようが家庭にいようが成人した人間には必要な能力なのだと思う。
そして、こればっかりは得手不得手があるように思える。
コミュニケーション能力が高いというのは何も饒舌である
必要はなく、他者との意思の疎通を円滑に運ぶ能力があり、
尚且つ自分の意味するところを相手に過不足なく
伝えられることを指すのだと思う。
世の中には色んな人がいるのだ。
しかし学生上がりだと、今までずっと自分と同世代の
人間としか付き合ってこなかったので、その色んな人達と
コミュニケーションをとるのに異常にストレスを感じてしまう
可能性があるからだ。
しかし、それをうまくやっていく方法すら自分でみつけ実践するのが
妥当だと私は思っている。
こんな私って辛口かしら???
しかし、どうして日本の会社って、自分自身の精神処理が
下手くそな人が多いのでしょうか。
これはやっぱりコミュニケーション能力が低下しているせいに
違いないと思うんですが。
やっぱり、研修は必要か。
私が「いわゆる」人を育てる立場にたったとしても、
仕事のやり方の、その「やり方」の部分しか説明しない。
「あとは自分でやってちょうだい、大人でしょ。」というのが私のスタンスなのだ。
え?そんなの無責任?
それはなんに対する無責任?
外国で社会人人生を歩み始めてしまったせいかもしれないが、
「なんで成人して、働いて金もらおうって人間を教育してやらなきゃいけないわけ??」と思ってしまうのである。そんなことは会社がやることじゃないでしょうが、と。
なので、香港の会社から日本の会社に転職をした時
非常にたまげた。
なんせ、入社してきた新入社員に、ご丁寧に2ヶ月間も研修をしてやるのだ。
もちろんその間、企業は新入社員に金を払ってやるわけだ。
恐ろしく人件費を無駄使いしているようにしか私には見えない。
特殊な職種で、訓練が必要というならわかる。
しかし、大概研修を受ける人間の配属先は、特殊な資格や
技能が必要な部署ではないことが多いし、
その研修の内容は敬語の使い方だったり、集団行動の練習だったりと
まるで小学生が学校のルールを知るために受ける
オリエンテーションのようなものだったりするのだ。
私の時はどうだったかというと、研修はなかった。
そして会社で契約書にサインをし、簡単な仕事の説明を受けると、
上司から
「はい、現場に行ってきて」と即言われた。
あの時は、その後どうしたらいいのか途方にくれはしたものの
それが普通だと思った。
だって、私の給料は、初日のその日も拘束された時間分について
もらえることになっていたからだ。
もちろん、初日から儲けなんて当然生みだせなかったが、
しかし、上司や先輩の手を煩わせて、手取り足取り仕事を
教わるのもどうかと思ったものだった。
その時間、確実に上司や先輩は儲けを生み出せなくなると思ったからだ。
まぁ、実際実践においては手取り足取り教わったのだが。
・・・・・・・。
敬語の使い方って、普通に生活していれば
日常の中で習得できるものなのではないだろうか。金もらってまで、会社で習うことだろうか。
集団行動の練習も理解に苦しむ。
私に理解できるのは「コミュニケーション能力の向上を目指す訓練」だけである。
これは恐らく、社会にでようが家庭にいようが成人した人間には必要な能力なのだと思う。
そして、こればっかりは得手不得手があるように思える。
コミュニケーション能力が高いというのは何も饒舌である
必要はなく、他者との意思の疎通を円滑に運ぶ能力があり、
尚且つ自分の意味するところを相手に過不足なく
伝えられることを指すのだと思う。
世の中には色んな人がいるのだ。
しかし学生上がりだと、今までずっと自分と同世代の
人間としか付き合ってこなかったので、その色んな人達と
コミュニケーションをとるのに異常にストレスを感じてしまう
可能性があるからだ。
しかし、それをうまくやっていく方法すら自分でみつけ実践するのが
妥当だと私は思っている。
こんな私って辛口かしら???
しかし、どうして日本の会社って、自分自身の精神処理が
下手くそな人が多いのでしょうか。
これはやっぱりコミュニケーション能力が低下しているせいに
違いないと思うんですが。
やっぱり、研修は必要か。
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